2012年6月25日月曜日

フィリピン 役所手続きの面倒さ

今度、仕事をすることになった会社に、事前に色々と書類を提出しなければなりません。 それで、ここ数日、あちこちウロウロしております。提出の必要のある書類は、下記の、実に、9種類! で、あちこちの役所・公的事務所に行くのですが、行くところ行くところ、『何でこんなに人が多いねん!!!』。 面倒くさいなんてモンじゃない。 たまりません。 まあ、十分予想はしていたので、イライラは最小限ですが。

1.College Diploma
2.Birth Certificate
3.Police Clearance
4.NBI Clearance
5.SSS Number
6.Tax Identification Number
7.Philhealth Number
8.Pagibug Fund Number
9.Medical Examination


1 いきなり卒業証書。 どうしたか記憶すら無い。ということは、23年前の卒業以来、1度も使ってないということ。ネットで調べたら、学校で卒業証明書を発行してくれるとのこと。 我が校は、英文で海外返送もしてくれる。日本にFEDEXで、申し込み書を送って手配。

2 出生証明書。日本の公式書類で代用するなら戸籍謄本なのだろうが、これはパスポートのコピーでよいとのこと。

3.4. 警察の前科無しの証明書。 何で警察が2つもあって、2ヶ所から取らないといけないのだ。ポリスとはローカルで、NBIは国家警察。 前科情報も共有してないのか????

5.6.7.8 これらは税金と社会保険関係なのだが、全部別々の窓口にいって申請しなければならない。 超面倒くさい! こんなことは普通、会社がするのと違うのか!? と思いながらも、全部取得しました。 SSSはスーカット、Phihelthはアラバン、PAGIIBUGはパサイ、というふうに全部バラバラの場所、おまけに何処も長蛇の列。はははは。あーあ。

9.健康診断。運転免許でもそうだが、フィリピンでは、健康診断といえば、ドラッグテストがついて回ります。 ドラッグやってません! 合法ドラッグのマルボロしか吸ってません(笑)。


日本でもそうだが、役所というものは仕組みや組織を複雑にすれば、自分たちの仕事(職)が増えるから、合理化・簡素化の意識は働かない。加えて、チンタラチンタラ仕事する。


とにかく、ここフィリピンで一番ストレスを感じるのは、このような公的手続き関係。

たまりません。

明日は、最後の仕上げで、NBI(ケソンシティ)とドラッグテストに行ってきます(笑)。

助けて。

2012年6月21日木曜日

フィリピン 南シナ海 中国に負けるな!

最近、フィリピンの新聞に毎日のように出ている、南沙諸島の領有権問題。 中国とフィリピンの船が対峙しあったままです。

南シナ海は、中国とフィリピンだけじゃなく、中国とベトナムも激しく対立しています。 その他、マレーシア、ブルネイ、、、、

この問題を地図で確認しようと思って調べたら、出てきたのが下の図。ウィキペディアさんから拝借です


よく見てくださいよ。
赤い線が、中国の主張する領海線だそうです。

スゴイですよね、 これを認めたら、フィリピンとベトナムは自国の直ぐ近海まで、中国の領海が迫っている感じになる。 フィリピンもベトナムも、中国みたいな大きな国じゃないですから、自国の本土の直ぐ近くに中国の領海があるという感じになってしまう。

これは、フィリピンもベトナムも引けませんよね。

それにしても!

よく見てください、赤い線。

えげつないなんてもんじゃない。

すごいですな、傍若無人、チャイナさん。

今後の世界は、この傍若無人な国と、どう対峙していくのか。

経済的にも軍事的にも、モラルもマナーも、品位品格も、公正も正義も全く無いこの国をどうしたらいいのか。 

この国の政府報道官がしゃべっている映像などみたら、メチャクチャ嫌な気分になる。

嫌いだーーーーーーーーーーーーーーーー

フィリピン ユニクロ 強烈

今日、就職関係のリクワイヤメント(提出書類)を手配するために、パサイ方面に行ったので、ついでにモール・オブ・エイシア(MOA)によって、オープン間もない ”ユニクロ” に行ってきました。


木曜になので、MOA全体が、どちらかと言うと閑散としている中、ユニクロの活気のあることといったら、スゴイもんでした。 仕事の用事で行ったのでカメラを持っていなかったのが残念ですが、平日にも関わらず、お客さん一杯でした、ユニクロ! ユニクロのペーパーバッグを持って歩いている人が、MOAの中で、やたらと目に付きます。 他の洋服屋さんも、対抗してセールを打っているのですが、誰もいません(笑)。 ただユニクロだけが大盛況でした。


日本の品揃えを、日本の価格のまま、日本と同じ陳列方法で、日本と同じつくりの店で、売ってました。 


番良かったのは、キャッシャーをはじめ、フィリピン人の店員さんのマナー・サービスまでが、日本と同じレベルであったこと


キャッシャーに商品を持って並ぶと、手の開いたレジの係りの人が、手をあげて、大きな声で、『次のお客様!こちらにどうぞ!』(英語)と、声を掛けてくれます。 他のデパートみたいに、一つのレジに3人も4人も居るなんてことはありません、1レジ1スタッフです。 これも日本と同じくらいのテキパキさで、会計を済ませ、商品を梱包してくれました。


ユニクロでさんざん買い物した私の目には、レジ係りの人が商品を畳む手付きまで、日本と一緒でした。さすがです!教育がしっかり徹底してます! ストレスフリーで買い物できました。


さすがは日本の代表的小売企業だ! というところを見せ付けています。これからも頑張って欲しいものです。


それにしても凄い宣伝量です。MOAの建物の外側の巨大広告をはじめ、館内の天井から吊るされている広告は、完璧に全部ユニクロが占拠してました(笑)。


嫁さんは、もうウキウキ。 私の日本からのお土産のせいで、元来ユニクロファンですから。セールなので、590ペソのブラトップ買って、ニコニコにておりました。 あと愛子ちゃんにユニクロキッズのドレス一枚390ペソ。 私のトランクス、いくらか忘れた(笑)。


日本では、どちらかと言うと安い商品なのですが、ここでは決して安い服ではないと思います。でも、店一杯のフィリピン人客が、それも若い人達が、楽しそうに、一杯買い物しているのをみると、ここフィリピンも中間層がかなり厚くなってきたのだなという印象を強く持ちました。


とにかく、気持ちのいい買い物でした。 ユニクロ頑張れ!

フィリピン 就職だ!

というわけで、ここフィリピンで仕事をすることが決まりました。 ふと見た求人記事に、ピンときて、早速、履歴書を書いて応募したところ、2度の面接を経て、ジョブ・オファーを頂いた。 ラッキーというか、有難いと言うか、非常に光栄に思います。もう40半ばだし、日本でも就職なんて、そう簡単では無いと思えるなか、フィリピン現地で、1社だけ応募して、すぐに決まってしまうとは、本当に有難いことでございます。


日系企業の日本人管理者募集だったのですが、基本的に、大学を出てから積み上げてきたキャリアの延長線上にある仕事なので、今になって若いときから色々苦労してきたことは、無駄ではないなと思いました。


嫁さんのスモールビジネスも頑張っているし、それとは別にもう一つ商売をしかけてます。私の就職がこんなに早く決まるとは思ってもなかったので、それなりの備えをしてきたのです。ですから、想定以上の収入は確保出来る見込みになって、ヤレヤレです。


余裕の無いときは、万事に慎重を期さねばなりませんが、上げ潮ムードの時は、積極的に行くべきです。あれやこれやと、思いがめぐります。


綺麗ごとでは済まない世の中ですからね、、、とくにフィリピンは。。。。。
金銭的に詰まるということは、死を意味するといっても過言ではありません。
実感です。


生活保護をもらってる人間が、何百万人?? そんな、甘っちょろい国じゃありません。 


まあ、地の底まで落ちてしまうと、逆に生きていきやすい国かもしれませんねフィリピンは。 私は地に這うように生きる気はありませんから、普通の文化的な暮らしを、きっちり送っていきたいと思います。


でも企業で仕事するのは、久しぶりだから頑張らないと。 今は、80%楽しみ・20%緊張、といった心持です。 基本的には、”出来る” という感触が大いにあるから応募したのであって、ジョブ・オファーにサインしたのですから。頑張ります。

2012年6月17日日曜日

フィリピン 英語力が復活してきた

以前にフィリピンで生活して、英語の勉強意欲が出てきたなんていう記事をかきました。

http://miliondividendazo.blogspot.com/2011/11/blog-post_08.html

家庭内は、完全に3ヶ国語のチャンポン状態ですが、外に出ると私が話す言葉はやはり英語中心になります。 新聞が好きなのでたまに英字新聞を買ってよみます。 テレビの言葉は、野球(MLB)でも、プロレス(WWE)でも、ニュース(CNN)でも、全部英語。 こういう環境で2年半も生活していると、自分でも知らず知らずのうちに、英語力が復活してきています。


学生時代はペラペラだったのですが、日本にいるころは ”ペラ” くらいに落ち込んでたのですが、現在は ”ペラペ” 位には回復した気がします。


英語の多い生活環境にいますと、当然学習意欲が触発されてきます。 英字新聞なんかよんでると、キーワードがわからないと、手持ちの電子辞書で確認したりしますから、語彙も復活していきます。


企業の募集記事なんかみると、『要ビジネス英語』 なんていう表現を見かけます。 わかったような、わからないような、何とも言えない表現ですが、商談や調整事を英語で行えるという定義ととるならば、私自身、今なら、ビジネス英語は大丈夫と言えそうです。


タガログ語は、幼稚園レベルから、なかなか進展しません(笑)。 これは、フィリピンでは英語が出来れば、そんなにコミュニケーション障害を感じませんから、タガログ語を上達する必要性に迫られないからだと思いますね。


最近、得意なのは基本は英語で喋っていて、タガログ語の表現をしっている部分だけ、タガログ語で表現するという、良くない話し方。 フィリピンでは、ラジオのDJでも、チャンポンで話したりしますけど、これはあまり良くないと、フィリピンではみなされているみたいです。 でも結構便利なんですよね。 逆に英語の表現につまったときに、タガログ語でカバー出来たりしますから(笑)。


語学の習得と言うのは大変なエネルギーを要する学習です。


英語を習得したいなら、英語の環境の中に自分を放り込むことが、一番楽な学習法だと思いますが、なかなか難しいことでもあります。 それが今出来ているのは、フィリピン移住生活の大きなメリットだと思います。

2012年6月16日土曜日

フィリピン ユニクロ 今日オープン!

ユニクロのフィリピン1号店が、今日6月15日、モール・オブ・エイシア(MOA)にオープンしました。 少し前から、結構あちこちで宣伝していたので、嫁さんと一緒にMOAへ行こう! と予定していたのですが、突発用事で行きませんでした。


私は、日本で1人暮らししている時、上から下まで、Yシャツ・スラックス・トランクス・靴下まで、全部気がつけばユニクロばっかりということもありました(笑)。別にユニコロファンじゃありませんが、値段の割には丈夫だし、買い易い店舗だし、近くにいつも店があったし。 大阪の心斎橋筋のユニクロなんて、めちゃ格好いい店舗です。


以前、嫁さんにユニクロの 『ブラトップ』 (下の写真)というのを、日本で買ってきてやったことがあるのですが、これが好評。 嫁さん曰く、2年経っても全然型崩れしないとのこと。 まあ、そんなに頻繁に着ているわけではないですが、ここフィリピンの安物とは、あきらかに品質・出来が違う。 それでいて、リーズナブルな値段ですから、嫁さんは、すっかりユニクロファン。 オープンを心待ちにしていたようなので、また今度暇を見つけて連れていってやりましょう。


写真は先日、新聞に折りこまれていた、ユニクロのパンフレット。 大判で、厚紙で、カラーで、これを新聞に折り込むなんて、金の掛け方が違いますね。フィリピンで有名らしいモデルさんを使ったゴージャズなパンフレットです。 マニラ市内は、ボディーにユニクロのオープン告知を宣伝するバスがやたら目に付きましたし、今日も、各新聞1面広告を出してるみたいです。 ちょっと前は、テレビの夕方のニュース番組で、特集してました。 いかにも、ユニクロが金を出してるだろうな思える、レポートでしたが、ユニクロを知らないフィリピン人でも十分そそられる内容だっとと思います。


ユニクロブランドの告知に、『ジャパン』 というブランドを全面に出してる。チャイナさんの粗悪・偽物天国のここフィリピンでは、やはり、ジャパンは、まだまだブランド力あり。 まあ、ユニクロは全部、メイドインチャイナなんでしょうけど、それは只、場所がチャイナだというだけ。 品質はあくまで、ユニクロ・ジャパンですね。








ジャパン・ナンバー1・ファッションブランドというのは、少し言いすぎだと思うのですが(笑)。


日本で彼女の誕生日のプレゼントにユニクロ買ったら、しばかれそうですが、ここなら十分。子供の服もあるし、誰かに何かをプレゼントする場面などは、ユニクロで決まりです。


私の普段着も相当くたびれているので、買ってこうようっと!

2012年6月14日木曜日

人生はプロレスなり


ボクシング、相撲と格闘技の話しをしたら、調子が出てきて止まらなくなってきた。 
私の一つの人生観に深入りしよう。

それは、人生はプロレスのごときなり!!!

ははは、バカみたいですか? わからないだろうな、この深い哲学的意味が。


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人間の定義は、理性をもった動物であることです。 つまり、犬畜生のように本能だけで生きてるわけではないのです。 言い換えると、人間であるゆえんは理性があるということです。

では、理性とは何か。それは、本能を制御する能力です。これは同意してもらえると思いますが。社会的な存在である人間は、常に理性で自分の感情や行動をコントロールしながら生きています。寝ている時以外、100%理性が働いて、私たちの行動を制御しています。

理性が働くとき、そこには、意図が入り込む余地が十分にあります。

例えば、目の前の人が、物凄く失礼な事をいって、メチャクチャ腹立ったとき。 理性の働きの弱い人(つまり本能的な人・動物に近い人)は、直ぐにぶん殴ります。 一方、理性の強い人は、自分の行動を理性的に選択します。 ぶん殴るべきか、笑って流すべきか、無視すべきか、、、等々。 そこには、損得勘定も働きますし、喧嘩して勝てる相手かどうかなどという判断も入るでしょう。 そして、最終的に選択した態度を、行動として表すのです。。。。。。。。。。。

これを自分の演出と呼ばずに何と呼ぶのでしょうか。数ある台本の中から、自分で選択して、それを行動に出すわけです。まさに演出ですね。

そうです、理性を持った動物である人間は、常に自分を演出しながら生きているのです。 演出の度合いは人によって違います。それは、理性の強さの違いです。 感情的直情的な人は自己演出の度合いが少ない、往々にしてこういう人はいわゆるアホが多い(失礼)。 理性の強い人は、自分を完全に覆い隠して生きている人もいます。こういう人の中には、過剰演出の結果、自分でも自分自身がわからなくなることも普通です。演出している自分が、いつの間にか本当の自分のような気がしてくる、あるいは、もう自分がどんな人間なのか、訳わからなくなる。 まあ、これは両極端な例ですけどね。

会社にいるサラリーマンや、彼女と初めてデートする男、なんてのは演出の最高調時でしょうね。 逆に家族と家でくつろいで居る時なんかは、演出の度合いが低い。 でも、必ず理性は働き、自分の意図が働いているはずです。

寝ている時だけです。演出が止まっているのは。 だから寝言で本音を言ってしまうこと多いんじゃないですか、嫁さんの横で愛人の名前を呼んだり(笑)、会社の上司の悪口言ったり。。考えてみると、寝言って、怒る人多いですよね。 つまり、理性が開放されて、演出が止まっているんですな。


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さて、プロレスラー。 

例は、タイガー・ジェット・シン。 アントニオ猪木の全盛期のライバルでした。『狂えるインドの虎』 タイガー・ジェット・シン。 サーベルを口にくわえ、顔面神経痛のような表情で、若手レスラーに取り押さえられながら入場、観客にサーベルで襲いかかる、唾を吐く、でも決して観客には迷惑を掛けない(笑)、相手のアントニオ猪木とは流血の死闘、反則攻撃のオンパレード、でも最終的には、ヒーローのアントニオ猪木をきちっとたてる。 その狂乱ぶりは、たとえそれが演技とわかっていても、近づいたら殴られそうという恐怖心をあおるに十分でした。


この『狂えるインドの虎』、普段はメチャクチャ礼儀正しいジェントルマンです。ばしっとスーツを着こなしたビジネスマンでもあり、地元のカナダ・トロントのインド社会では知らない人は無いほどの有名人だそうです。日本でも他のレスラーの赤ん坊をあやしてやる程の、心優しき男だったそうです。

これ以上の、”プロ意識” を持った人は滅多にいないのではないか。



プロレスの見方は十人十色かもしれません。 しかし、私が思うに、プロレスの本質は人間の演出を見るものです。ボクシングを観るよりも、演劇を観るほうに近い。 演劇を観て、これは八百長だと言うバカいないでしょう。


レスラーとしての演出は、レスラー個人の持っている個性や外観、バックグラウンドに大きく影響されます。演出がはまったときに、プロレスラーは凄みを発揮します



チャンピオンカーニバルに優勝して、トロフィーを抱きかかえて、たった一人でリングの端にうずくまり、加勢してくれる仲間も無く、まわりのレスラーの攻撃を警戒して、あたりをキョロキョロ見回す、アブドーラ・ザ・ブッチャーの表情とたたずまい。。。。私が観た中で、最高の演出場面でした。 アブドーラ・ザ・ブッチャーのプロレスラー(俳優)としての、才能が遺憾なく発揮された場面でした。私はそこの何を感じたか。。。黒人・デブ・醜い顔・・・・・・・・差別され、のけ者にされ、いじめられ、貧しくて、、、、そんなスラムの子供が、やっと手にした玩具を、周りの子供にとられまいと、抱きしめている。。。そんな情景を感じたのです。 アブドーラ・ザ・ブッチャーという醜いプロレスラーにとっては、まさに最高の演出でしたし、ブッチャーはそれを自分で行ったのです。 最高の俳優だと思いました。



最近のプロレスはダメになりましたね。 一昔前の、猪木・馬場の時代が一番よかった。最近は素でリングにあがって、何を表現したいのかわからないレスラーばっかり。 片やアメリカのプロレスは、コミックショーに成り果てた。。。。プロ中のプロであったタイガージェットシンや、最高の俳優であったアブドーラ・ザ・ブッチャーはもういない。



人の人生は、何を自分で演出して生きていくかです



本能のまま生きているのではないのですから。



社会というリングにおいて、あなたの役どころは何ですかね。。。。



いつも自分が中心の我侭スーパースター アントニオ猪木ですか?
堅実無比、決して道を踏み外さない ジャイアント馬場ですか?
常に一歩引いて、謙虚さを持ち味にした、坂口征二ですか?
コンプレックスを出世のバネにした 長州力ですか?
スターの猪木・馬場へのジェラシーを個性にした、上田馬之助ですか?
実力ピカイチでもいつも脇役、縁の下の力持ち、藤原義明ですか?
肩書きだかが自分のたより、ビール腹を突き出すチャンピオン ハーリーレイスですか?
何があってもプライドだけを高くかかげる、ミルマスカラスですか?
根暗で不気味な不良少年、前田日明ですか?
不器用さを自分の売りにして、皆に好かれたラッシャー木村ですか?
異形の自分に常にイラダチを隠さなかった、アンドレ・ザ・ジャイアントですか?
何も取り柄が無いけど、決して諦めない心だけある、テリー・ファンクですか?
ポーカーフェースの下は、燃えたぎる闘志の、ドリー・ファンク・ジュニアですか?
人を馬鹿にして見下すが、それ相応の実力のある、ブルーザー・ブロディですか?



人生とはプロレスのごときなり、人は皆プロレスラー









2012年6月13日水曜日

フィリピン 不毛なフィリピン論

今日は一日雨模様で日照無し。 今、夜の9時半だが、外に出たら気持ちいい、気持ちいい。珍しく湿気が引いて、体感はまさに日本の秋。 ひんやりした夜風がほんとうに心地いいです。

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昨日、ある人(日本人)と話していて、ダイレクトに質問を受けた。

『何故、フィリピンが好きなのですか?』  という質問。

私がフィリピンが好きと言ったから、多分、好きでないその人は興味を持ってそのような質問をされたのだと思う。

私は、少し考えて、答えました。

『飾らないところ、気取らないところ、寂しくないところ・・・・・』

一応、

『好きでない部分も一杯ありますけどね、差引きしたら、好きが勝ちますね。』

 
と注釈を入れました。


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あちこちのフィリピン関係のブログをたまに閲覧するのですが、まあ、色々とフィリピンの悪口や、フィリピン人の問題点などなど、よく語られるところであります。 そういう、いわば、フィリピン論・フィリピン人論、は話しのネタとしては非常に面白いし、酒の肴にすると大いに盛り上がることでしょう。 しかし、実質的な話しの意味としては、全く不毛な話しだと思いますね。 私も、その手の話し嫌いじゃないですが、あくまでブラックジョーク的な意味でしかありません。



衛生面、サービス面、マナー面、教養面、社会インフラ・・・・こきおろすにはネタに事欠きません(笑)。日本人同士で話していたら実に面白いです。



私個人の見解ですが、フィリピン(人)が好きでここに永住したい・・・なんて日本人は100人に1人の変わり者だと思いますよ。 私がその筆頭(笑)。 マジでそう思います。 だから、私にとっては非常にいいところなのですが、決して他の日本人に勧めようとは思いません。 自分で飯をがっつがっつ食いながら、普通の日本人は食えないだろうなと・・・・自分でわかっているのです。 しっちゃかめっちゃかな道路をイライラもせず(もう慣れた)スイスイ運転しながら、普通の日本人は我慢できないだろうな・・・とわかっているのです。 変わり者の自分を一般化してはいけません(笑)。



自分で自分をフォローすると、自分が変わり者だと認識している人は、正常な変わり者です(笑)。自分を変わり者だと思っていない変わり者は、真性の変わり者であります(笑)。



フィリピンでリタイヤメント事業が難しいと思うのも、この100人に1人の変わり者しか、顧客になりえないと思うからです。 自分の親をフィリピンに連れてきておいて、何なんですが、日本に帰りたいという親父は、それはそれで、普通だと思いますね。 



色んな悪いところも良いところも含めて、これがフィリピン。年々変わっていく高成長経済国ですが、そんな変化は10年スパンで感じるものであって、日常生活では関係ありません。 これがフィリピンなのです。 日本人は日本にいるのが普通。 フィリピンが好きという変わり者だけが住めばいいのです。



フィリピンが好きか嫌いかなんてのは、何回か旅行で来たらわかりますって。 住んでみなければ見えないこともありますが、少なくとも自分に合うか合わないかくらいは、直ぐに感じ取れるはずです。



基本的にフィリピンをこき下ろす、フィリピン論・フィリピン人論。不毛な話しです。 



変わり者の日本人だけが好きになる国、それがフィリピン。



何が好きか何が嫌いかなんてのは、その人次第、その人の自由。



我は100人に1人の変わり者なり。 わかっています。 だってフィリピンが好きなんですもの。



何故フィリピンが好きかというタイトルで、ブログの記事いくらでも書けますが、それも不毛な話し。変わり者のの言いたい放題にしかなりませんからね。 でも、何かの参考にはなるかな、あくまで参考。 じゃあ、今度思い切り、何故フィリピンが好きか書いてみようかな。 フィリピン美化論になりますよーーーーーーー、だって変わり者ですから(大笑)。


2012年6月12日火曜日

日本の大相撲を語ろう


前回の記事でボクシングのこと書いたので、楽しくなってきたから、ついでに大相撲の八百長問題についてぶった切りましょう。


少し前、大相撲に八百長があると、どこかのメディアが書いて、社会問題にまでなってましたね。


私の感想。 
『何を今更、、、、八百長があるなんて日本人なら皆わかっていたんじゃないの?』


八百長問題で理事長が交代したり、力士が首になったり・・・アホじゃなかろうか。



大相撲を、柔道や剣道といったその他の格闘技と同列でとらえることが、そもそも間違いである。相撲とは何か? 本質は、人間を造った神様の前で、人間がこれほど強くなったことを、神様にお見せするものなんです。 起源からして、あれはショーなんです。 だって、そうでしょう、化粧廻しなんていう派手な衣装をまとって入場したり、赤青白黒の房、あれは全て神様が宿っているのですよ。形式美は儀式です。とてもじゃないが、スポーツではありません


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私は、京都場所を京都府立体育館で観戦したことがあります。もちろん本場所じゃないですから、巡業中の花相撲興行です。 ほら、出てきましたね、興行という言葉が。

力士の稽古風景があって、しょっきりという相撲コントで観客を楽しませたり、呼び出しの人が歌を歌って美声を披露したり。 会場の隅では、力士がファンにサインしたり、写真撮影に応じたり。なごやかな雰囲気の中で、興行は進行し、いよいよ取り組み開始。 前座の前頭力士からはじまって、三役登場あたりから盛り上がって、いよいよ結び(メインイベント)、横綱対決! 当時は、北の海vs若乃花(2代目)でした。 観客はすっかり出来上がっていて(よっぱらっていて)、やんやの大歓声! 横綱同士が、ぶつかり会う! よいしょ! こらしょ! 寄って残して、寄って残して、投げて粘って、投げて粘って、最後は若乃花が北の海を転がして、試合終了。 お互い怪我しないように、上手に相撲が終りました。。。。。観客は満足して帰っていきます。


これがスポーツか!?

プロレス興行そのものじゃないですか。会場の雰囲気もプロレスの地方興行そのもの


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で、八百長だと言って騒ぐんですか、大相撲に。

え? 本場所は別だって?

別なもんですか。

100%筋書きがあるか、少しだけ筋書きがあるかの違いですよ。そりゃ、地方巡業よりは真剣勝負が多いし、、いや真剣勝負が大半でしょう。 でもね、、、、、、

若・貴兄弟の優勝決定戦。 弟・貴乃花の腰砕けを見て、真剣にやってると思った人がいたら、笑ってしまいますよ。 正しい見方は、兄・若乃花に花を持たせたのだが、貴乃花は若すぎて、ちょっと演技が下手だったなぁ、でも微笑ましい結果でオーライ、オーライ。 これが大半の人の感想じゃなかったですかね。


魁皇と千代大海が、永年にわたってお互い助け合いながら、つまり星をもらったり与えたりしながら、大関を維持してきたのは、誰でもわかっていることじゃなかったのかな?


わかった上で、楽しんでたんじゃないの? マジで、わかってない人いるのかな
相撲をアマチュアスポーツのようにとらえて、八百長なんて一切無いと思ってる、おめでたい人なんていたの?


いいですか、相撲も興行。 相撲はショー。 これが基本
プロレスのように100%台本があるわけではもちろん無い。しかし、アマチュアスポーツじゃない。しかるべき、演出はあって当然。 だから楽しいんでしょ


それを何を今更、八百長が問題なんて・・・・・・・・・・

馬鹿馬鹿しくて、笑いがでるぜ。


興行であり、ショーである。 
だから、私は大相撲が好きなのです。





フィリピン マニー・パッキャオは真の英雄

フィリピンが世界に誇る、ボクシングの歴史的チャンピオンのマニー・パッキャオがついに負けた。微妙というか、ほとんど勝っていた試合だったのに、2対1の判定で負けて、タイトルを失った。


このマニー・パッキャオという人、フィリピンばかりでなく、世界的なヒーローですな。 ラスベガスの会場が常に満員で大熱狂。 戦績を見ても、伝説となりうるボクサーです。 なおかつ、この人の生い立ちが、極貧の家庭に生まれて、少年時代は路上で物売りをしていたらしいのです。 それがフィリピン人のサクセスストーリーとして、フィリピン人の崇拝をよび、まさに国民的ヒーローです。



私は、プロレスおたくであって、真面目に殴りあうボクシングなんてのは、全く興味無しなんですが、複数の人から、パッキャオの試合について意見を求められました。



私の答えは。。。 
『今回は初めからパッキャオが負けると思ってた。』 
というものです。


これがフィリピン人の反感を呼ぶ呼ぶ(笑)。 
BAKIT!!! (何故!!!) と詰め寄られます(笑)。




私には根拠があるのです。プロレス的、物の見方です。


ボクシングは興行。 いいですか。 興行なんです。
試合のストーリーがどこまで決められているかは別問題。 プロレスもボクシングも相撲も興行なんです。 興行とは客商売。 観客が一杯入らないとどうしようも無いのです。 アマチュアのオリンピックじゃないのですから。


思い出すのがパッキャオの前回のタイトルマッチ。この試合は、今回とは逆で、パッキャオが判定勝ちで、その微妙な判定ゆえ、フィリピーノからも疑問が上がったほどでした。 パッキャオは本当に勝ったのか? もう力が衰えたのではないかと。。。。。


その時新聞に書いてあった、興行面からの意見。 パッキャオの試合がエキサイティングじゃなかった、そろそろ引退すべきか、リマッチをやっても会場一杯の観客は見に来ないのではないか。。。。。。。。。


こんな論調でした。 私のプロレス頭は、興行のエースとしてのパッキャオの正味期限は切れたのだなと、次回はパッキャオが負けて、次なる時代にバトンがわたるな、、、とこう思ったのです。




そしたら、その通り。 パッキャオは負けました。
多分、本当は勝っていたのでしょう。 でも、微妙な判定になったら新チャンピオンの誕生という、興行サイドからのストーリーは完全にあったと思いますね。 だからパッキャオはKOするか、もしくは圧倒的な優勢でしか勝てる余地はなかったのです、はじめから。


リマッチが取りざたされてますが、パッキャオは引退したほうがいいような気がします。
パッキャオのリベンジストーリー興行になるのでしょうが、どちらにしても1回きりの単発ストーリーです。



試合後のリング上、私が期待した光景は、伝説のパッキャオが、無名の若き新チャンピオンの手を上げて、称える。。。。世代が交代した瞬間の演出だったのですが。。。。。。



パッキャオは明らかに不完全燃焼の顔してました。
そして、最もいけなかったのは、新チャンピオンを祝福するムードが会場に無かったのではないか。それより、勝者を非難するムード、つまりパッキャオに同情するムードが強かった気がする。それはテレビの画面からも伝わってきた。



もしかしたら、このブラッドレーという新チャンピオン、顔が悪いこともあって、パッキャオの後継者とはなり得ない悪役かもしれない。 そうすると、次なるストーリーは、英雄パッキャオの復活リマッチということになってしまうのだが。。。。



ボクシングのプロレス的見方でした(笑)。

フィリピン ランチタイムは教養の強要(笑)

私が仕掛けたのですが、我が家のランチタイムは、インテリジェントトークの時間です。 まあ、いつもくだらない話しばっかり(私を除く我が家のフィリピン人連中)なので、少しくらい、まともな話しをしようや! というのが主旨。

私が一方的に始めました(笑)。 でも、嫁さんはじめ、メイドの子も結構興味あるみたいです。

飯を食い始めると、私が問いかけます。

『今日は何の話しする?』

答えは常に返ってこないので、私が勝手にきめる。



例えば、今まではこんなアジェンダ。

・栄養のバランスについて
・学校の勉強は何故必要か?
・マッカーサーという人物について
・中国製の偽物商品について
・高いものは安い(家電製品の例)
・フィリピン人には何故デブが多いか
・食料の自給率について
・宗教の違いについて
・日本とフィリピン何故物価が違うのか
・歴史とは勝者によって語られるものである
・袖の下、チップ文化について 
                     その他色々。


一つ一つがブログのネタになりそうです。


総括的な私の感想。

まあ、うちでメイドするような人たちなので仕方ないですが、彼らの知識、常識の底の浅さには唖然とします。 本当に何にも知らない。 何の考えも持ち合わせていない。 いわんや、自分の主義主張や意見などというものは、持ったことも無い、考えた事もない。

今日はフィリピンの独立記念日でした。

そこで話題に出したのが、エミリオ・アゲナルド。対スペイン、対アメリカの独立抵抗運動のリーダーであり、フィリピン史上の英雄の1人です。 皆、名前くらいしかしらない。 びっくりした。 フィリピンに関わるようになってから、フィリピンの大雑把な歴史は調べてみました。 この、少し調べてみる、気になるから調査する、関心を持つ、、、この態度を日々の生活で持っているかどうかが、人間的な深さ、幅をつくるうえで極めて重要。。。だと私は思うが。。。

そんな知識欲は、全くゼロなんですよね、彼ら。。。。。

さすがに今日は少し恥ずかしかったみたいです彼ら。 私が知っていて、フィリピン人の彼らが知らないということに。


今日も明日も続きます、ランチタイム、インテリジェントトーキング(笑)。 まさに教養の強要です(笑)。

フィリピン 元気にいこうや!

ブログの更新をかなりさぼってしまいました。ネタが無いとか言うわけでは全然ありません。というか、毎日ネタだらけなのですが、私は心があることに集中すると、全ての時間をそちらに傾ける性癖があるので、ブログを書く時間が後回しになっただけです。

ということで、元気です。 母が他界して、もうすぐ1ヶ月。心はすっかり喪があけて、前進モードです。



私の友人のジュン。典型的フィリピン人。 用事があって最近よく我が家に来ます。

嫁さんと別れ、近所に悪口を言いふらされ、仕事も無く、金も無く、35歳の働き盛りなのですが、何かと大変な状況です。 日本人が日本でそんな状況に陥ったら、グッタリ落ち込んでしまうでしょうが、奴は何故かいつも笑ってます。 常に楽しそう。 ジョーク飛ばして一人で笑って女性陣にひんしゅくかっても気にしない。 結構、男前なので、安物サングラスで格好良くきめて、あちこちで女の子に声かけてます。

こいつは、アホか。。。。。。

でも頭脳自体は悪くないと思う。まあ、頭がいいほうだと思います。大学出だし、英語もちゃんと話すし。

問題山積でも、それがどうした! いつも幸せそう。

典型的フィリピン人であります。

本当にうらやましくなる。

その性格を私にわけてくれ!!!!

というわけで、本日のタイトル、元気にいこうや!

でした。

2012年6月4日月曜日

フィリピン 貧乏からの脱出方法

私のことじゃないです(笑)。 フィリピン庶民の中でも、底辺クラスにいる人達の話しです。 まあ、介護やメイドなどで雇う人は、そんなレベルの人が多かったです。そんな連中と話しをした時に、何回か私が説教したお話し。

ドストエフスキーの『未成年』という小説に、主人公のアルカージィが、自分の理想を話す場面がある。 ロスチャイルドになること、と言うのだがその方法が面白い。 ロシアの路上で野たれ死んだ浮浪者の上着から、縫いこまれた札束がわんさか出てきたという話がある。 毎日、少しずつ、貯蓄していけば、誰でも必ず、間違いなく、金持ちになれる。 そこに必要なのは、本当に継続する強固な意志だけ。 あとは、時間の経過だけです。 100%金持ちになれる方法。 毎日少しずつ貯金して、決して手を付けない。 それだけ。



たとえば、ベティキャブの運転手がいる。ベティキャブとは、サイドカー付きの自転車。人力の長短距離タクシーみたいなものです。この運転手、一日の稼ぎは200ペソ。 ベティキャブのレンタル料をオーナーに100ペソはらって、一日の売上は300ペソだから、見入りは200ペソだけ。 妻子もいて、まさに食うや食わずの生活。 でも死んでない。 生きてる。


一日200ペソの生活を180ペソに切り下げなさい。 200ペソから100ペソに50%切り下げるのは無理だが、20ペソ:10%の切り下げは絶対できる。 200ペソと180ペソ。 大して違わない。


一日20ペソを貯金する。絶対に開かない貯金箱に入れて手を付けない。 絶対に絶対に手を付けない。2年間、手を付けない。


20ペソ × 365日 × 2年 = 14,600ペソ。

彼らには持ったことも無い大金の出来上がりです。


さあ、ベティキャブを買おう! 新車を買ってもお釣りがくるぞ。

これで、収入が1日300ペソにアップしました。レンタル料が無いから。

ここから貯蓄額を一日50ペソにUP。 それもまだ250ペソ使える。 すこし生活レベルはあがりました。

一日50ペソ。絶対にやめない、継続する、絶対に手を付けない3年間です。

50ペソ × 365日 × 3年 = 54,500ペソ。


ワオ! 中古のトライシクルが買える! サイドカー付きバイクです。 上手く探せばお釣りがくるぞ。

自己所有のトライシクルで営業開始! 一日の売上は500ペソ!

もうこれで満足? ダメダメ。

貯蓄を一日150ペソに。 生活費は何と350ペソも使える!

150ペソ × 365日 × 2年 = 109.500ペソ!!!!!

次なるビジネスは!?



大切なのは全部食ってしまわないことですね。

150%難しいのはわかります。でもこれしかないのです。 子供が病気になっても、貯蓄には手を付けないことです。それは、誰かに助けてもらえ。そのくらいの、面の皮の厚さは許される。将来にお返ししなさい。

まあ、こんな話しでございます。

継続は力なり、Where There is a Will , There is a Way.

継続する意思の強さ、コツコツ努力することの大切さを、物語るお話しです。


馬の耳に念仏、フィリピン人に人生計画の説教・・・・・・・・。

2012年6月2日土曜日

フィリピン 教会に行こう

台風が来ているらしく、今日は一日雨、日照無し。 涼しいというか、肌寒い感じです。


明日は日曜日。 何が原因かわかりませんが、明日の朝、近所の教会に嫁さんと行くことになりました。 見物気分でしか行ったこと無い教会ですが、明日はちゃんと、お参りしてこようかなと思います。


もともと私は神様に手を合わせる行為は嫌いじゃない。 大阪に住んでいたときは、毎年元旦に、生魂神社でお祓いをしてもらっていた。 結構な寄付をして。 散歩コースだった、大阪城公園。 中にある豊国神社(秀吉太閤殿下の神社)にいつも寄って、賽銭入れて拝んでいた。 神社の境内に入ると、何となく厳かな気持ちになる。 ですから、神社を見つけると、ちと足を止めて手を合わせる人でした。 京都の下賀茂神社などは、境内の空気が明らかに違う。 神様の雰囲気満点だと思います。


キリスト様には縁もゆかりも無いのですが、私は、神様を差別しないようにしています。 キリストさんでも、仏さんでも、アラーさんでも、、、そして私の好きな日本の八百万の神様にしても、拝む対象は違っても、 神様の前で手を合わせる人間の心は一緒なのです。


例えば、日本ではお宮参り、フィリピンでは洗礼式。 形は全く違いますが、新しく生まれた赤ちゃんの、健やかな成長を願って、神様に報告する親の心は一緒です。 困った時の神頼みも多分一緒なんでしょう(笑)。 神様の違い(宗教の違い)によって、憎しみあったり、喧嘩したり、果ては殺し合いしたり、、、、そんな馬鹿げたことはありません。 おろかの一言です。


フィリピンに来てから、好きな神社参りしてませんから、何となく教会にでも行ってみようという気になったのかもしれません。 多分に母が亡くなったことも影響しているのでしょう。 そして、新しいフィリピンでの生活に向けて心のけじめをつけたいと思ったのかもしれません。



拍手を打ちたいな。

教会で、パンパンやったら怒られるかな。 ははははは。

2012年6月1日金曜日

フィリピン エージェントの金の持ち逃げ

今日は、いい日だった。 色々の事が前に転がった。 いい知らせもあった。 いいアイデアも出てきた。 すこぶる気分がよろしい。 フィリピン生活では、極めて珍しい充実した日でした。



友人の来訪あり。その友人が来るなり、ワーワーと話し出した。 彼のお兄さんが、タギッグのコンドミニアムを買ったそうだ。 海外出稼ぎで稼いだ250,000ペソを頭金として払った。 払ったとたんに現金を持った仲介屋(エージェント・女性)が姿をくらました。 金持って逃げたんです。


そんでもって、警察や弁護士やらに訴えまくって大変らしいです。 救いは、偽物エージェントではなく、ちゃんと契約のあるエージェントらしいので、公式領収書のある払い主は絶対有利。 解決すると思うのですが、時間がかかる、余計な経費がかかる。 もう大変らしいです。


見たこと無い金を持って、動転してしまったのだろうな、そのエージェントの女性。 金を見ると我慢できない人が、多いです、ここフィリピン。 根は悪い人間じゃなくても、目の前に金を見ると、衝動を抑えられないようです。 体が勝手に動いてしまうという感じでしょうかね。


綺麗なお姉さんを見ると、衝動が抑えられない奴も一杯います(笑)。 というか、そんな奴ばっかりと言ってもいいか(笑)。


動物じゃないんだから、理性でコントロールしろよ、って言いたくなりますね。


目の前の現金の誘惑に負けて、一生を台無しにする人。。。。。

気をつけましょう。



えっ? 取られる金があるのかって?


ははは、まあ、今に見てろ(笑)。


2012年5月31日木曜日

フィリピン 売ります 新しい車椅子

ほとんど使って無い、新品同様の車椅子あります。

アラバン・フェスティバルモールのローズ・パーマシーで、4800ペソ+で買ったものです。 コンパクト仕様で、足は悪いけど、しっかり自分で座位を保てる人向けの、軽快な車椅子です。

3000Pで使っていただける方、よろしくお願いします。

メール jjwinkle14344@yahoo.co.jp  まで。




フィリピン 生まれて初めて老眼鏡

最近、急速に本の文字が見にくくなった。 イヤダイヤダ。 これって、結構イライラする。 文庫本の文字が読めない、車の中で地図が見えない、競馬新聞の文字がわからない・・・・・・・。 


どんなんでもいいから、買ってきて! と嫁さんに言って買ってきてもらった。100ペソ。


老眼鏡なんて、確か100均で売ってたように思うので、とりあへず何でもいいかと思って掛けてみた。 よく見える(笑)。 


私の持論。 人間の体の部品、耐用年数50年論。 まだ数年あるが、徐々にあちこちガタが来るんだろうな。 目は既に来てしまった。 頭の毛は既に耐用年数を終ってる(笑)。 歯は今のところ頑強。 心臓は既にサイボーグ。 肩は全然大丈夫。 腰もOK。 なにも今のところOK(笑)。


各パーツの耐用年数は50年程度なのだが、人間の耐用年数は、日本では80年超の時代。 ここフィリピンでは、50年程度で終わりの人が多い。 これは、日頃の手入れの差。 それと、パーツの修理能力(医療)の差。 私の心臓だって、日本の病院で、保険使って、高度治療をしたもらったから、事無きを得ているだけ。 フィリピン庶民だったら、ハートアタックで死亡、40代半ば。 全く珍しくも何とも無い。


若くは無いのは自覚しているが、一層、気をつけていかないと。


自分の人生は、正直いつ終っても別にいいんだが(本音)、娘はまだ2歳。


まだまだ、一頑張りも二頑張りもしなければ。

2012年5月28日月曜日

フィリピン 汗を流して労働


昼から、スリッパーショップの模様替えをした。


新学期シーズンにあわせて、学校・仕事用の靴をコーナーにまとめて売り出すのが目的だったが、やりはじめると納得いくまで止まらないA型の私(笑)。 こうしよう、ああしようと言い出して、店員がノロノロやっているのがイライラして、自分でガンガン働いてしまった。


Tシャツがグッショリなるくらい汗かきました。でも、たまにはいいものです。一生懸命、屈んだり立ったりしながら労働していると、ストレスフリーです。 家で、料理しているより、よっぽどいいです(笑)。 愛子ちゃんも汗みどろになって、パパの邪魔をしておりました(笑)。


重装備の店とちがって、陳列物の機動性は十分。 ですから、当然のマネージメントとして、シーズンに合わせた商品陳列のやり変えは必須だと思います。 そういや、雨期・台風シーズンはスリッパーの売上が上昇する季節。 汚れちゃったり、傷んでしまったりするんですね、スリッパーが。 ここのところ、連日夕立のような雨がふってます。 今日は午前中でしたが。 乾季の終わりを感じます。 雨期、台風シーズン、そして、BERの月へ。 年後半は稼ぎ時なのかな。 稼げたらいいですが(汗)。


嫁さんも、早朝からバクラランへ仕入れに行って、午後は私と店舗の陳列作業に大汗、夕食後は店頭に立ってます。 深夜までの営業です。 頑張ってます。 仕事のあることの幸せをわかっているみたいで、店の仕事は嬉々としてやっております。 うんうん、いいことだ。


次なる商売の構想も出来つつあるんですが、全然前に進んでません(笑)。まあ、あせらず確実にやっていきます。 焦ってやると、ろくなことが無いのがフィリピン。 また軌道にのったらブログでも紹介させていただきます。 

2012年5月27日日曜日

フィリピン 海外出稼ぎ・OFW の闇

WORK ABROAD, SEX AND BAYAD


今日買ったフィリピンの大衆新聞の大見出しです。 単語直訳すると、海外出稼・セックスで旅費 みたいなかんじです。タガログ語なので、嫁さんに読んでもらって教えてもらいましたが、ダバオにいる韓国人の男:韓国へのフィリピン人労働者斡旋者が、出稼ぎに必要なお金の払えないフィリピン人女性に、体で払うように勧めていたというものでした。


この記事をきっかけに、今日家に来ていたフィリピン人の知り合いと、OFWの実態の話しになりました。その人(女性)は、自らもシンガポールへメイドとして出稼ぎにいった経験を持ち、親戚にも友達にも、マレーシア、ホンコンなどでメイドをしていた知り合いが多いそうです。


OFWとは、オバーシーズ・フィリピノ・ワーカー。 国内に仕事が無いから他国へ働きにでるフィリピン人のことです。なぜ真ん中が F なのかわかりませんが。 PHILIPPINO だったらPですが。


このメイドとしての海外出稼ぎ労働、かなりの確立で、雇主によるセックスの強要があるみたいです。そのことをエキストラ・ジョブ等と言って、出稼ぎ労働者の間では、さも仕方の無いことのように暗黙の了解になっているみたいです。雇い主による強要なのか、合意のものか、あるいはメイドのほうから売り込んだのか、それは知りません。 でも普通に常識的に考えたら、雇主による強要の線が濃厚でしょう。


私は訪ねました。メイドの出稼ぎを希望するフィリピーナは、皆、その実態をわかった上で応募しているのかと。 答えはイエスでした。 覚悟の上の、海外メイド出稼ぎだそうです


シンガポール、マレーシア、ホンコンなどが多いそうです。


ある人の話しを聞いただけですから、誇張もあるでしょうが、セックスサービス付きメイドが、かなりの確立で存在するのは事実のようです。


以前、大量のエンターテイナーと称するGROが日本のフィリピンパブで働いていた時代がありましたが、さすがは日本、売春の強要などは無いに等しかったようですし、客としてあちこちで遊んだ私の実感としても、日本のフィリピンパブは健全だったと思います。恋に落ちる個人行動は、色々あると思いますが。


まあ、別に驚きもしませんでしたけどね、さもありなん と思っただけです。



ここで、嫁さんの一言、

GUSTO MO BA !?  ( DO YOU WANT IT !?)

はははは。


で、今までうちに来たメイドや介護士を思い出してみました。嫁さんと2人で大笑い。
デブばっかり、超おばさんばっかり、オカマあり、、、、、、
この間、23歳の女性が来たと思ったら、まるで子供(笑)。

我が家が、健全なのはあたりまえです(笑)。

はいはい、違います!
どんな美人のメイドが来ようと我が家は健全です!
はい、すいません!





2012年5月26日土曜日

フィリピン 介護生活は成功だったのか?

母が死んで1週間が経ちました。 初七日は昨日なのかな、今日なのかな。完全に宗教色を排して行ったフィリピンでの母の見送りでしたので、日本で納骨の時に、ボンさん読んで法要をとりおこなうことになりました。フィリピンにいる私は出来ませんので、兄弟が万時段取りしてくれることになってます。


母が急にいなくなって、入浴などの毎日の大騒ぎイベントが必要なくなり、何とも静かな、喪失感が漂っています。これで、愛子ちゃんの騒ぎ声が無かったら、本当に寂しさもひとしおのことでしょう。


突然の終わりを迎えた、フィリピンでの母の介護生活。 振り返っても仕方のないことですが、私の発案に親父が賛同して始まった異国での介護生活。 どうだったんでしょうね。 確実に言えるのは、母の寿命というか運命は、日本にいてもフィリピンにいても、ここまでだったんだろうなとは思います。胆石が発端の肝臓障害ですから、日本だとかフィリピンだとか関係ないですものね。


そんなことより、母にとって良かったのかどうか。。。。。


親父や私、そして日本にいる私の兄弟にとって良かったのは間違いありません。自分が自ら手を下す介護からは開放されて、少ない少ない年金で人を雇って、世話してもらって生活が送れたのですから。しかし、母自身は、そんなことを有難いと思うより、日本への郷愁が強くなってしまって、幸せを感じることなんて無かったんじゃないかと思ってします。 かと言って、日本にそのまま居れば、幸せだったかというと、フィリピン以上に、不幸だったと思います。


結局、、、、6年前か7年前か忘れたが、母が脳卒中で倒れて半身麻痺及び若干の知的障害を負ってしまったときに、母が幸せになる道は無くなってしまったのだと思う。 おそらく、あの世にいる母の記憶に、脳卒中以降の辛い記憶は無いのではないかと思います。


絶望的な状況の中で、せめてもの、ベストの選択をしたと思いたい。 フィリピンに来なかったら、もっと悲惨な状況だったと思う。


成功か、失敗か、、、なんて今更どうでもいいことだが、


これでよかったんだと、、そう思っておこう。

2012年5月25日金曜日

フィリピン イライラ  いつなんだ!!!

久しぶりのイライラシリーズ。 


フィリピン人と接していると感じること。 
彼らには、 『When』(英語) 、 『いつ』(日本語) の概念が、かなりのレベルで欠落していると思います。 これが、私の嫁さんも含めてですから始末が悪い。




例えば、こんな会話。


私  『今日来る約束の彼は、いつ来るの?』 
嫁  『いま田舎にいるって。』
私  『あのね、どこにいるかはきいてないの。いつくるの?』
嫁  『田舎から帰ってきたら。』
私  『だから、それはいつ?』   イライラ イライラ
嫁  『知らない』
私  『さっき電話で話したんでしょ、いつ帰るかきいてないの?』
嫁  『まだ子供の学校の用事あるって。』
私  『だからね、いつ帰るか、聞いたの?聞いてないの?』 イライラ ブチッ


彼が、どこにいようが、何の用事があろうが、私は興味ないし、聞いてないの。 ただ一言、いつなのか、日付と時間を言ってくれたらいいのに、会話がかみ合わない。


嫁さんの名誉のために、これは嫁さんばかりではない、確実にフィリピン人全般に言える。話しの中に、あるいは段取りの中に、『When』(英語) 、 『いつ』(日本語) の概念が入らないことが多い。


何時か?、何てどうでもいいのか。 段取り、調整で一番大事なポイントだと思うのは、私、日本人だけか。





私   『おい、貸した金の期限過ぎたぞ、いつ返す?』
友人  『娘の学校のお金を払ったばかりなんです・・・・・』
私   『何の話しや、お前の娘の学校はどうでもいい、いつ返すの?』 イラ
友人  『学校のお金高いんです・・・・』
私   『学校の話しは私には関係ない! いつ返せるの?』 イライラ
友人  『お金があったら、すぐ返します・・・・』
私   『だから!それはいつだ!』  ブチッ ブチッ
友人  『すぐです、お金があったらすぐ返しに行きます』
私   『(スゴイ・・文字通り話しにならん・・・・・) 』



これは、確信犯だと思えますが、そうでもないんです。一生懸命、答えているのです。いつ?という問いかけに、日時を答えるという頭脳回路は持ち合わせていないようです。




(2年前、母の入院中)



私  『明日、感染症の専門の先生が来るのですが、いつ来られますか?』
受付 『明日来ますよ。』
私  『明日の、いつですか?』
受付 『明日スケジュール入ってますから。』
私  『明日の、何時頃ですか?』
受付 『そこまでは、わかりません。』 (うんざりした顔で言いやがった)
私  『せめて、朝なのか昼なのか午後なのか夕方なのか・・・・・』
受付 『明日来ますから、心配しないで。』


彼らの、 『いつ』 調整最小単位は、日のようです。その日の何時という調整は、彼らの許容範囲を超えるくらい精密すぎることのようです(笑)。


患者は、いつ来るかわからない先生を、朝からずっと待っているらしいです。私には出来ませんでした。



こっちにも段取りというのもがあるの!


『だから、それは いつだ!!!!!』









2012年5月23日水曜日

フィリピン 死亡後の流れ

病院にて病死、フィリピンで火葬、日本へ持ち帰り・・・という一般的なケース(もちろん死因に何の事件性も無い)ですので、諸手続きの流れを書いてみたいと思います。



●看取り、死亡確認

病院発行の死亡証明書(Certificate of Death)受け取り。主治医、病院発行者、私(遺族)のサインあり

●病院にて会計を済ませる。済まないと病院から出られません。

●遺体は病室を出て、安置室(フリーザー)で待機、迎えを待つ。



※病院、ドクターの仕事はここまでですから、次は葬儀屋の手配です。



●メモリアルパーク(火葬場併設)の事務所に行って交渉。私がお願いしたメモリアルパークでは、全て込み込みのパッケージプライスを提示されました。家族の意向によっては、必要なもの必要でないものがあると思いますので要確認です。しかし、大概、時間はないし、気は動転してるし、値段交渉などしている余裕はありません。ですから、不謹慎でも、生前に急な事態が予測されるなら、万一に備えて、先行して相談しておくことはいいかもしれません。




(今回葬儀屋のしてくれたこと) 130000ペソのパッケージ

・遺体の搬送   病院→メモリアルパーク  救急車型ライトバン
・死後処理    ホルマリン・死化粧・衣装着替え・棺桶への安置
・棺桶、骨壷は全てパッケージに含まれます
・遺体の搬送   メモリアルパーク→自宅   救急車型ライトバン
・自宅内に安置  白カーテンや、照明、カーペット、記帳台など全て設置
・遺体の搬送   自宅→メモリアルパーク  霊柩車
           いわゆる出棺です、母の好きだった音楽を鳴らしながらゆっくり進みます
・火葬       待合室で最後の別れ、焼却炉に入るまで見送りました
           火葬は、2時間程度で完了。遺骨拾いはありません。
           完全に遺灰になって出てきます。
・骨壷       遺灰を骨壷へ、メモリアルパークの綺麗な袋で包んでくれます。

(葬儀屋で受け取る書類)
火葬証明書(Certificate of Cremation)
●市役所のスタンプのある公式死亡証明書(Certificate of Death)

 ※市役所への届出は葬儀屋がやってくれましたが、役所の処理が通常なら3-4日要するらしいです。今回は帰国が翌日でしたから、特別にプッシュして、自ら役所に出向いてゲットしました。スケジュール要確認です。


(利用した葬儀屋)

Loyola Memorial Chapels & Cremation    (LMCCI  Sucat)

    sucat rd, Brgy BF Sucat, Paranaque City   ℡826-7014

※高いか安いかはわかりませんが、
  日本人の納得のいく仕事(迅速さ、マナー、清潔さ等)をしてくれました。




※葬儀屋の仕事はここまで、次は帰国の段取りです。



●死亡証明書の翻訳 日本の役所で要りますが、フィリピン現地では不要でした



(日本大使館にて帰国の手続き)

母の遺骨・死亡証明書(市役所受付済み)・火葬証明書・故人のパスポート
            以上が必要書類でした。

●中身の検査・壷の封印

●『遺骨証明書』 の受け取り(帰国時の最重要書類)
 壷の中身は遺骨だけであるという日本大使館のお墨付きです。
 これがないと空港で荷物検査で空けられて、かき回され、大騒ぎになって、多分帰国出来ないでしょう。

●故人のパスポートの抹消処理

●大使館の受付が平日の15時半までですの要注意。私は遅れそうだったので16時半まで待って頂きました。



(いざ帰国の途へ NAIAへ)

骨壷を預ける人いませんから、機内持ち込み手荷物です。日本大使館発行の 『遺骨証明書』は、何回も提示を求められます。 空港ビルに入るとき、チェックインカウンター、イミグレーション、搭乗ゲート前のボディチェック。



無事、機内へ。




2012年5月22日火曜日

フィリピン おかん日本へ京都へ

姉に抱かれて、母は今 飛行機の中。

きっと久しぶりの日本への到着を待ちわびているのでしょう。

日本大使館でもらった遺骨証明、何回も空港で提示を求められました。

仕方ないですよね、なんせ白い粉なんですから。。。。

母はぶつぶつ文句言ってるかも。

『何か文句あんのん??』

でも無事に遺骨を持った姉を見送って、ほっとした。

虚脱感、空虚感、寂しさ、疲れ。。。。。。

午後は眠ってしまいました。


我がフィリピン生活、第二章が明日から幕開けです。

ぼんやりしている暇はありません。


母のために借りたこの家も、10月で契約満了。

こじんまりした新しい家を探し出してます。


可哀想なのは、我が家で介護の仕事をしてくれていたスタッフ。

失業です。

これも仕方ないですよね。

でも、皆最後まで、本当によくやってくれました。


私も失業? ははは。

ここからが腕の見せ所。 やります。


2012年5月21日月曜日

フィリピン 母は帰国の途へ

今日は、近くのメモリアルパークで母の火葬。

市役所で死亡証明書の受付をして、パサイの日本大使館へ。

そこで、骨壷に封印をしていただいて、遺骨である証明書を発行してもらった。

明日、姉に抱かれて、母は帰国。

一昨日の朝、母が逝ってから、様々なことが実に要領よく運んだ。

何をやってもスムーズに行かないフィリピンでは奇跡的でした。

私の頭は手順の段取りでフル回転、今、どっと疲れました。

葬儀屋はスーカットロードにある、Loyola Memorial Park.

病院からの搬送、死後処理、化粧、家への搬送、棺おけ、家のセッティング、霊柩車による迎え、火葬、待合室使用、骨壷、役所への届出、火葬証明書。。。。。

全てお任せパッケージで13万ペソでした。

高いか安いかは知りませんが、十分満足のいく仕事はしてくれました。

キリスト教色は一切排除して、行いました。

坊さんの出番は、日本に帰って納骨の時に。

疲れました、正直。

色々手伝ってくれた方々、本当にありがとうございました。

さようなら、おかん。

そして、わが人生は続いていく。

まだまだ、まだまだ、これからだ。

さて、仕切り直し。

今日は寝る、明日から頑張って行こう!

2012年5月20日日曜日

フィリピン 母は明日旅立ちます

色々な人が来てくれて、母がフィリピンの自宅ですごす最後の夜です。

明日は、近くのメモリアルパークで火葬です。

病院で逝ってから、色々の段取りはスムーズに進みました。

ドタバタしている時はそうでもないのですが、少し落ち着くと寂しさがこみあげます。

今もまだ、、、、母が 『あーしんど』 といって起きそうな気が。

ほんとに、安らかな顔で寝ています。

くも膜下出血で倒れて以降、苦しい表情の多かった母。

今は10歳も若返って、久しぶりに見る母本来の顔です。

天国に行ったら、半身麻痺なんてなくピンピンしているんでしょうね、おかん。

寂しいよ。 ほんとに。

でもな、、、、、、よかったな おかん。 楽になれて。

最後の瞬間、母の呼吸が止まりそうになったとき、

耳元で大きな声で言った私の言葉、聞こえたかな。。。。。

『おかん! もうええで! ゆっくり休み!』

多分聞こえたんでしょう、今の寝顔を見ると。

おかん、ちょっと疲れたわ。

今日は、涙も一杯でた。

明日はもっと一杯でるかな。

おかんに言われるな、

『もうええて! 男が泣かんとき!』

わかったよ、人前で泣かんように頑張るわ、おかん。。。。。

フィリピン おかん やっと楽になれた

本日、朝、9時37分、母が永眠しました。

奇跡は再び起こらず、昨日からまた昏睡状態。

朝、日本から駆けつけた姉と私が病室に到着するのを待っていたように、

私たちの見守る中、呼吸を止めました。

くも膜下出血で倒れてからというもの、しんどい人生だった、おかん。

今、綺麗に化粧して、寝ている母は安らかそのもの。

悲しみの中でも、私はこう言わずにはいられませんでした。

『おかあちゃん、楽になってよかったな・・・・・ゆっくり寝なさいよ・・・・』

エイシアンホスピタルという素晴らしい病院で、ほんとによくしてもらいました。

家族も最善は尽くせたと思っております。

ありがとうございました。

母が最後に口にしたものは、おととい私が舐めさせたソフトクリーム。

一昨日はまだかすかに意識があった。

かすむ意識の中、ソフトクリームを一生懸命舐めた母。

食べ物は禁止だったので、ほんの少しだけ、舐めただけ。

どうせならもっと食べればよかったな、おかん。

最後の最後まで、甘いもの好き。

母らしい最期でした。

今までありがとう、そしてご苦労様でした、おかん。



2012年5月16日水曜日

フィリピン これは奇跡か・・・・・・・

昨日、突然、母の意識が戻った。

絶望感に打ちひしがれてICU内にいる時、突然、母がしゃべった!

『もうええ・・・・・しんどい・・・・・・・』

静寂なICU内に響き渡る、私と親父の歓喜の声。

その後、意志疎通が出来るまでになった。

私 『何か欲しいものあるか?』  母 『甘いもん・・・・・・』

私 『愛子覚えてるか?』    母 『当たり前・・・・』

私 『お父さんと一緒にいたいか(笑)?』  母 『ぜんぜん!・・・・・』

(涙・・・涙・・・・)

肝性脳症による重度昏睡からに生還・・・・・・・・・・

ドクターも、こんなケースははじめてみたと。

経験豊富なドクターが、びっくりして喜んでウロウロ。

昨日は、葬式や火葬の話しまでしていたのに・・・・・・

これは奇跡か。

恐るべし母の生命力・・・・・しぶとい(笑)


またケーキとアイスコーヒーが食べられる日まで・・・・

頑張れ、おかん!

2012年5月14日月曜日

フィリピン 母が逝きそうだ・・・・・

急激な容体悪化・・・・

今、アラバンのエイシアンホスピタルのICUにいる。

肝臓悪化、腹水が溜まり、毒が脳に回り、昏睡状態・・・

もう帰ってはくるまい・・・・・・・・

覚悟も段取りも全く出来ないほど、急・・・・・

おかん、いつでもそうだ、何か起こすと極めて急に。

ICUか、家に帰るか、、、というくらい絶望的な症状・・・・

最後のあがきにICUを選択したまで。

神様、、、、仏さんでも、キリストさんでも、誰でもいい。

今回、1回だけ、助けてやってはもらえまいか。

2012年5月12日土曜日

フィリピン スモールビジネス関心高い?

昨日もそうですが、フィリピンの商売関係の話しをするとアクセスがグッと増えますね。 まあ、私がする話しは、生業レベルのスモールビジネスですが。 でも、関心が高いようなので、参考までにもう一つ。

フィリピン庶民層向けのアパートメントです。これが、なかなか投資効率が良いように思う。実は、以前に詳細な建築見積をとったことがある。建物自体は、1DKが4部屋。 真ん中に階段があって、1階に2部屋、2階に2部屋。 土地面積は60㎡。 私の性格上、ええ加減な計算は許さないので、セメントからブロック、ジャリ、木材、ワイヤー、釘、その他ドアノブやヒンジにいたるまで、詳細な積み上げ計算をしました。

想定家賃は、1部屋月額5000P。4部屋で20000Pです。 建設用土地も、ある場所を想定して、取れる家賃の相場にしました。

さて見積りですが、

建設資材     23万ペソ
労務費    18万ペソ
手続き費用      4万ペソ
その他予備  2万ペソ     合計 47万ペソ

(端数省略、大雑把)


大雑把な書き方ですが、バックにある計算は委細詳細です。 労務費にはミリエンダまでちゃんと算入してます(笑)。

ちなみに想定した土地の取得費用は、これも概算で26万ペソ。60㎡ですから、1㎡あたり4333ペソです。ここは決して自分では住めない場所です(笑)。すぐに洪水で、膝まで水が来る、ははは。 一応、良心的に床を一段あげるためのセメント見積りになってます。

土地26万p、建設47万p 合計73万p。
月2万pの家賃収入で、約36ヶ月での回収目論見になります。

日本で2000万のマンションを、月10万で貸したら、単純計算で200ヶ月ですよね。36ヶ月は早くないですか? 

まあ、素人の単純乱暴計算ですが、大体の様子はつかめます。
 
当然、建設規模はこの倍でも3倍でも、あるいは半分でも可能です。規模が変わったら、手続き費用だけ据え置きで、その他はほぼ比例で計算したらいいと思います。

人件費がバカ安いフィリピン、庶民向け住宅の建築資材の安さ、これが投資回収が早くなる原因だと思いますね。 庶民の生活が苦しい裏返しが、持てる者の楽チン生活を支える構図です。

当たり前ですが!

絶対に、空室にならない場所の選定が第一です。結果、知らない土地では出来ないと思います。自分の土地勘のある場所でないと。

それと、家賃の滞納リスクがありますので、保証金を取っておくことは絶対必要。フィリピンでは、借り手の権利など全く無いような、貸主側の強権的契約がまかり通りますから、大丈夫だとは思いす。

建屋のメンテナンス費用なども、積み立てておいたほうがいいと思いますので、更に固めの目論見が必要でしょうが、そんなに割りに合わない商売ではないと思いましたが、如何でしょう?

台風でひっくり返ったら????

さあ、どうするかな、はははは。

ひっくり返らないほうにかけても、いいんじゃないですか(笑)。

2012年5月11日金曜日

フィリピン こんな商売はどうですか?

先のタギッグ市の記事を書いていて、思い出した話しがあるので書いてみます。


商売の話しです。話しの出所は、私のフィリピン人の友人。大学出の男で、私の知り合いの中では、まあまあの奴です(どんな表現や すいません)。


商売のネタは、ダンプトラックを買って、パンパンガ等の田舎の山から、砂利をメトロマニラの建築現場に運ぶというもの。商売のキモは、運送代を得るのではなく、田舎で砂利を買って、メトロマニラの建設現場で売るという売買の形の商売。 まあ、もちろん付加価値は運送労務になるわけですが。


とにかく、ここ数年のメトロマニラの砂利需要は天井知らずらしいです。いくらでも需要がある。それは、納得いきますよね。 これだけの建設や開発があちこちで進行してたら、さもありなんと思います。ですから、田舎から砂利を運べば運ぶほど、売上げが上がるということ。


この私の友人は実際に雇われて、ダンプトラックの助手をやっていて、田舎の砂利積載現場から、メトロマニラの砂利降ろし現場まで全部見てきて知っているとのこと。数十台のダンプトラックを所有するオーナーだったらしく、まるでコンボイのように、数十台のダンプが田舎の山から、マニラ目指して疾走する様は、壮観だったらしいです。 なんか格好いいですね(笑)。


面白かったのは砂利の値段! 田舎の山を切り崩して、砂利をトラックに売る現場があるらしいのです。そこには、エージェントが一杯いて、やって来る空のトラックを山の切り崩し現場に斡旋する。 正確な金額は忘れましたが、大型のダンプに一杯一杯積載して、お値段1000ペソ。 要はただみたいな金額です。 それがマニラにつくと、ゼロが一つ増える。10000ペソ。 一往復の粗利9000ペソ。 ガソリン代一往復3000ペソ。 ドライバー給料1トリップ500ペソ。 一往復の純利益は、、、、5500ペソですな。 これを一日2往復する。 ということは、ダンプ1台あたり、1日11000ペソの利益。 月33万ペソ。 ダンプ3台で月99万ペソ。

(金額は全て、大雑把)


まあ、こんな商売らしいです。スービックか何処かで、中古のダンプ買って、参入しないかという話しでした。中古のダンプっていくら位のものか、全く想像つきませんが、月33万ペソ叩き出してくれたら、1年もあれば十分回収じゃないですかね。 わかりませんが。


まあ、市中のタクシー・ジープ・トライシクル、全部そうですが、難敵は車のメンテナンス費用。ダンプとなると、これもバカにならないでしょうから、相当固く見ておく必要はありそうなビジネスですが。

それと、この商売の難題は、ダンプのパーキングスペース。自家用車みたいに、そのへんに停めておくなんてこと出来ませんからね。パーキングロットの取得あるいは、リースも必要だと思います。


ご興味のある方いらっしゃたら、キーパーソン紹介しますよ。砂利の売り買い、車両の整備や、登録保険関係まで全てできる知識をもった男です。英語話します。


先ずは田舎の現場と、マニラの荷卸し現場の視察から。 実際にダンプに乗せてもらって、体験するのが一番でしょうね。


フィリピン タギッグ市の新興開発地域

ある人に案内されて、タギッグ市の振興開発地の土地を見てきた。

私が知らなかっただけだとは思うが、メトロマニラ内にこれほどの広大な空き地が残されているとは。 

大雑把な場所は、タギッグ市のラグナベイ寄りのエリア。SLEXからC5に乗り換えて、スイスイ走ったら、パラニャケの我が家から20分くらいで着いた。 C5沿いの開発ぶりは知っていたが、C5の東側に旧来のダウンタウンを抜けると突然、地平線の見えるような広大な土地が広がる。


C5からの開発地域の入り口は、かの有名なCamellaさんが、いち早く大規模なビレッジとコンドミニアム群を建設中。さらにその東側は、広大な空き地が残されていて、現在徐々に開発が進んでいるのが見える。 ほとんどが草原のような状態なのだが、所々で、区画整理がなされ、道がつくられ、家が建設されている。10年も経ったら結構な街になるんだろうなというのは、感覚でわかる。C5からはひっきりなしに、砂利やセメントのトラックが進入していく。


その広大なエリアの中にある、小集落の一角の土地を、投資のために買わないかというのが、今日案内してくれた人の主旨。草ぼうぼう、数十世帯の集落なのだが、そこは旧来の個人オーナーがまだ持っている土地らしい。 話しによると、この一体は、大手のデベロパーや、大資本が巨大な単位で土地を買占めているらしい。 私が見た現場は、まさに田舎の平原の中の、小集落という感じで、ミクロで見ると何の魅力も無い土地。 だが、マクロで見ると、非常にいいポジションに思えた。10年単位の、先の話しでですよ。C6という幹線道路が、今から出来るのか出来ているのか知らないが、とにかく、開発されて街が出来上がっていくのは確実だと思った。


今日の話しの要旨。1200㎡(端数省略)の土地(現状は草原もしくは粗末な住居)が2ミリオン。1㎡あたり1666ペソですな。 それを買って、50㎡単位に区分けして売り抜けるということ。50㎡は220千ペソ。1㎡あたり4400ペソになります。


笑いながら聞いていたのですが、このあたりはそんなことばっかりやって、儲けている奴が多いだろうなとは実感します。一昔は田んぼだったらしいこのエリア。ラグナベイが近いので、平坦なのだろうと思いますが、地盤の強さや、洪水の問題など、全く未知数。 案内人は、50㎡単位なら、いくらでもバイヤーはいると強弁する。 私が見た、この1200㎡の土地のオーナー宅は、非常に粗末な下層庶民の家。多分、このオーナーも、二束三文だった土地が、開発の波によってミリオン単位で売れるということで、売り抜けを狙っているのでしょう。


嫌ですねこういうのは。もう売り抜けられたジョーカーなのか、今からいくらでも売り抜けられるエースなのか。バブル時代を思い起こさせる話しでした。


でも、開発が凄いのは確かです。


お金持ちの方で、投機的な投資(変な日本語)に興味のある方が、いらっしゃったら、紹介ならびにご案内できますよ。


私?


2百万ペソくらい、どうなってもいいや! と言える位の身分でしたら、買ってみますね。 でも、そんな身分じゃございません(涙)。

2012年5月4日金曜日

フィリピン 少し暑さが和らいだ

今日は雨が降った。ここ数日は、曇り空という状態が出てきて、幾分暑さが和らいだ。 太陽光線が雲でさえぎられているとほっとします。まあ、もう5月ですから、少しずつ雨季に向かっているのでしょうか。蒸し暑いのもまた嫌ですけどね。


今年のここマニラの暑さはやっぱり異常みたいです。フィリピン人に聞いてそういうのですから間違いありません。 太陽光線は、殺人光線です。 ほんと直射日光を浴びると、皮膚が暑いというより、痛いという表現がピッタリです。日本とは太陽光線の角度が違います。 太陽が近い感じです。


さすがに、よくエアコンを回した。 じじばばの部屋と、愛子ちゃんの部屋と。電気代の請求書が恐い(汗)。私も、一日3回水のシャワーを浴びるのが習慣化してしまった。水道代の請求書も見たくない(笑)。



1月  フィリピン
2月  フィリピン
3月  フィリピン → 日本
4月  日本
5月  日本
6月  日本 → フィリピン
7月  フィリピン
8月  フィリピン
9月  フィリピン → 日本
10月 日本
11月 日本 → フィリピン
12月 フィリピン



こういう2重生活が出来たら、ベストかな? 

6月・7月 ですかね、日本フィリピンともに今一つなのは。じめじめ蒸し暑い梅雨(雨季)です。


こうしてみると、日本にいるのは、春と秋。フィリピン以上に苦しい日本の夏と、寒い冬を避けられるわけですね。


優雅な老後を過ごせる方には、超おすすめの2重生活です。


私? ここ(フィリピン)で結構です(笑)。 もう慣れたし、寒い冬は関節によく無いし。

2012年5月3日木曜日

フィリピン 大穴が出る競馬

昨日のサンタアナ競馬場WTA(ウイナーテイクオール)の払い戻し金は280万ペソ。的中が1チケットだけで、主催者のテラ銭を控除した額を、たった一人の何処かのおっさんが総取りという結果でした。


WTAとは、日本の中央競馬風に言うとWIN7。 設定された連続7つのレースの勝ち馬を全て当てるというものです。レース横断の7連単です。3連単でも当たらないのに(汗)、当たるわけないと思いますが、ここの競馬は出走頭数が少ないので、少なくともロトよりは十分可能性がある様な気がしてしまいます。 あくまで気のせいですが。


注目すべきは払い戻し金。今回の280万ペソというのは、日本円で560万円。 チケットの購入金額はたったの2ペソ(日本円で4円)。 倍率に直すと、、、、ええええっと、、、140万倍ですな。 もし日本のように100円のチケットだったら、その140万倍というと、、、ええええっと、、、1億4000万馬券になりますな。


あくまで倍率だけの単純換算ですが、日本で1000万馬券というのは聞いたことも見たこともありますが、さすがに1億円馬券というのは聞いたことがない。


日本人の競馬好きに比べて、まだまだマイナー競技ですから、掛けられる金額そのものが極小なのですが、庶民のおじさん方にとっては、十分夢を見られる競馬です。それも、小さな小さな掛け金で。的中者無し、、なんてのも頻発して、その場合は翌日にキャリーオーバーされて配当に上乗せされます。


1チケット2ペソだったらね、、、、毎日10チケット買って、20ペソ(40円)。。。コレくらいの娯楽の出費許可は嫁さんから頂いております(笑)。


今回みたいな、ミリオン馬券は無理にしても、2ペソ(4円)が、10万20万になる快感を一回味わってみたいものです。無理?無理でしょうな。


いいんです。小額のどうでもいい金額で、夢みながら馬を応援する。競馬の基本です。ギャンブルの基本です。 勝とうと思うならしないことです。 遊ぼうと思うなら、ギャンブルは楽しいものですよ。

2012年5月2日水曜日

フィリピン 子育ってこんなに大変?

最近感じることですが、2歳になったばかりの愛娘の面倒を見るのが、結構大変なんです。元気すぎて、うれしい悲鳴なのですが、子育ってこんなに手間がかかったかなあ・・・と思うのです。


日本の標準的な家庭だったら、マンションの一室で、奥さん1人で、例えば3歳と1歳の子供の面倒を見ながら、家事をこなす。 なんて風景は一般的ですよね。 育児ノイローゼとか、そりゃ大変な仕事であることは確かなのですが、1人で出来てしまってる仕事でもあります。


今、想像するに、愛子ちゃんが2人いたら、完全にギブアップですわ(笑)。それくらい、手間が掛かっている気がする。何でなんだろうと考えると、やっぱり、日本とフィリピンの環境の違いがあると思います。


ここでは、少し裕福な家庭や、外国人の家庭は、メイドとともに、ヤヤを雇うのは珍しくありません。悪い盛りのガキ2人を抱えている向かいの中国人の家庭なんか、ヤヤを2人も3人も雇っているようです。それくらい、子供に手がかかるのです。


マンションの子供部屋で、玩具を広げて、子供が大人しく遊んでいる・・・・・・・・なんて光景は一切ありません。 


歩き回る走り回る、散らかして回る、壊して回る、ほっておいたら勝手に外に出る、それも裸足で(笑)。 片時としてじっとしていません。 そして、常に誰かに甘えながら遊びます。1人で遊べません。やんちゃ盛りは危ない盛り。ひと時として目を離せないのですよ。


うちは、フィリピンにありがちな要塞のような家と違って、どちらかというと開けっ広げな構造の家。外と中の区別はもちろんありますが、日本の家ほど厳格じゃない。そして、母の介護をするスタッフが2名常駐。 パパもママもいる。 子供がよく遊びに来るし、とにかく、開放的な環境で、愛子はやんちゃぶりと甘えん坊ぶりに拍車をかけております(笑)。


日本の都会の子供とは、やっぱり大きく違った環境で育っているのだと実感します。 良いか悪いかと聞かれたら、100%子供にはいい環境だと思いますよ。


もともと私は、子供がテレビゲームしてたり、携帯いじってたりすると、絶望感をおぼえるタイプの人間。子供は外で遊んでなんぼ。悪さをしてなんぼ。


うちも、嫁さんが仕事で外出気味なので、育児の中心はパパ(私)。 その分、愛子は、はっきり言ってママ以上にパパが好きです。 愛子を溺愛している私はうれしいのですが、大変でござりまする。


今、愛子ちゃんはスヤスヤ。


こんな文章を書けるのは、プリンセスがお休みの間だけです(笑)。

フィリピン どうしようもない

相変わらず、母に手を出すことが止まらない。

もうずっと、あきらめて無視してきたのだが、さすがに昨日は一言言った。

『そんなことして何のメリットがある!? 何故辞められない!?』

そしたら、

『ほっといてくれ! どうでもええわ!』

更に

『お前ええ加減にせいよ! 何でお前に説教されなあかんねん!』

だとさ。

もうあかん。

どうしようもない。

2012年5月1日火曜日

フィリピン 幸せになりたい


人生四十数年、振り返るには早いが、十分やってきたと思う。 超山あり谷あり。 色んな経験もした。 人を騙したことは無いが、騙されたことはある。それも一度ならず。人間不信に陥って、孤独を愛する人になったこともある。平凡なサラリーマン稼業も十分やった。 その後、背広の中が金であふれかえったこともあった。 都心のハイクラスマンションに一人で住んだ。 金はあったが、幸せは何処にもなかった。 2度結婚した。1度目は8年で破局を迎えた。 ひとえに私が我侭だったためと今は思う。幼稚園を出たばかりの息子と、永遠の別れになってしまった。 だが、心の傷は、直ぐに癒えた。商売に没頭した。金の威力が、心の傷が癒えるのを早めてくれたのは事実だった。 しかし、幸せにはなれなかった。楽しかったのだけど、幸せではなかった。

それが今、色んな巡り会わせで、フィリピンにいる。

世界が全く変わった。でも、それを何の驚きも無く受入れて、今、ここで当然のように生活している自分がいる。結構、図太い人間だと思う、自分で。 変わっているとも思う、自分で。 今は幸せか? そうでもないな。 金は無い。 でも死んでないし、これからも死なないだろう。 金は死なない程度にちょっとプラスでいい。 格好つけていってるんじゃない。 それなりの経験をした私が言うのだから嘘ではない。 金はそこそこ、少し足らないくらいが丁度いい。 それでいいと思いながら、今、自分が幸せだと言い切れない。

何故か・・・・・・・・・・

嫁さんと愛娘。 三人で川になって寝る幸せは何物にも変え難い。前は、金はあるが孤独。 今は、金は無いが愛する者が共にいる。 今、幸せなはずだ。 でも、心底そう思えない。

何でなんだろう。

ひょっとすると、死ぬまで幸せになれないのか。 自分はそういう性分の人間なのかと思ってしまう。

そんなことをウダウダ言ってる余裕も暇もないのが、普通の人生なのかもしれない。ということは、こんなアホなことをウダウダ言っている自分は幸せなのか。

成功とは、成功を目指して努力する過程である。

なんて言葉を昔聞いたことがあります。 成功とは過程だと。 結果ではなく。 何かしんどい人生ですね。 常に奮闘していなければならなくて、奮闘しているうちに人生が終ってしまう。 決してそこにゴールは無い。商売人はそうかもしれませんね。1000万稼いだら、次は2000万、次は5000万、1億、2億、10億、、、、、常に足らないのです(笑)。常に足らないということは、常に不満足なんです、常に不安なんですね。 いつまでたっても幸せは来ない。 幸せを追い求めてることが、幸せか? そうは思えんぞ。 充実感は確かにあるだろうが、その後の虚無感をぬぐいさることは出来まい。

思いおこせば、常に明日のために今日を生きてきた。明日というのは比喩ですよ。言い換えると、将来のために今を生きてきた。 その生き方が心底染み付いている。 どうしても、明日のことを考えない生き方はできない。もしかしたら、これが幸せになれない元凶の精神状態なのかもしれない。 そしてこの心の持ちようは、私自らがトレーニングして体得した精神だ。 今、全く違う環境で、生きてみて、その精神構造は幸せの阻害要因になっている気がしてきた。

今を生きたい。今の幸せを心から感じたい。幸せなはずなんです。

でも出来ない。嫌になってくる、ほんま。



文章構想も何も無いまま、脳からの信号をそのまま文字にしました。気が狂ったわけではありません(笑)。乱文失礼しました。




2012年4月29日日曜日

フィリピン ジョリビーのキッズパーティ!

お誕生日おめでとう!
愛娘、愛子が2歳になりました。元気元気で成長してくれて、何よりです。

必要以上に(?)誕生日を重視するフィリピン人(笑)。今日は近くのジョリビーで、ささやかながら誕生パーティをしました。実は私、あまり気乗りしてなかったのですが、結果は、やって本当によかった。愛子自身が知っている人が一杯集まって、楽しく大はしゃぎしている愛子を見てると、愛子は幸せだなと、つくづく思いました。よかったね、愛子ちゃん。

人に囲まれて、人と繋がって、生きていくフィリピンスタイル。今日は素晴らしいと思った。

それと、ジョリビーさん。 パーティの進行・盛り上げ、GOODです。 さすがは慣れたもので、陽気な3人のお兄さんが、一切仕切ってくれて、楽しかったですよ。こちらは、楽チンです。全く任せておけばいいのですから。 オープニングから、ダンス、ゲーム、ハッピーバースデイ歌唱、キャラククター登場、子供たちへのプレゼント。。。。。全く参加者を退屈させない、パーティ仕切りは見事でした。 さすがはジョリビー。

食べ物は、お決まりのフライドチキン・ハンバーガー・スパゲッティ・ポテトフライ・ソフトクリーム。いいんです。皆が知っているいつもの味。安心感があります。子供たちは大満足です。

何はともあれ、おめでとう愛子。 このまま、そのまま、元気で。























2012年4月27日金曜日

明後日は愛子ちゃんの2歳の誕生日


昭和の天皇誕生日は、我が家の愛子ちゃんの誕生日です。

あさっての日曜日、満2歳になります。

今のところ、言うこと無し。

元気元気に順調に育ってくれています。

今や愛子は私の、夢です。希望です。

日曜日は、楽しい誕生日にしようね。


浴衣を着ました。100%日本人。

ドレスにお着替え。ママに似てきた? 全然(笑)。


フィリピン ここの風邪はしつこい

ブログの更新かなりさぼってました(汗)。

プールに行った記事を書きましたが、あれ以来、夏バテと夏風邪が同時に来たような症状で、体調がすぐれませんでした。私は滅多に風邪を引かないのですが、どうもここフィリピンの風邪は一旦かかると、凄くしつこい気がします。なかなか、すっきり直らない。

それと、この暑さはどうでしょう。こたえます。

去年、こんなに暑かったかなあ。。。。

永年、ここに住んでるわけではないので、わかりませんが、異様に暑い気がします。地球温暖化の影響なのでしょうか

2012年4月13日金曜日

フィリピン 夕方のひと時

クソ暑い暑いメトロマニラです。相変わらず、太陽のエネルギーで体温まで上がっているように感じる体の火照りが続いています。


年中そうというばそうなのですが、太陽がきつくて、住宅街のまっ昼間は人が消える。 皆、家の中で寝ているか、ゆっくりしているのでしょう。フィリピン人は、非常によく昼寝をする国民ですが、午後は暑すぎて何もする気にならないというのも関係しているかもしれませんね。


でも、日が翳ってくる夕方になると、子供たちが出てきます。5時から6時くらいの間でしょうか。我が家の前も、隣近所のガキが出てきて、ボール遊びなどがはじまります。うちの家は、朝日はあたりますが、午後以降は、陰になります。前の道も、家々に太陽がさえぎられるかたちで、夕方になると涼しく遊べます。 子供たちと、その世話をしているヤヤさんが一緒に遊びます。


我が家の愛子ちゃんも、夕方になるとやる気満々で外に出て行きます。はす向かいの家が、中国人の家庭で、小学生低学年くらいのガキが2人います。この男の子2人を相手にまわして一歩も引かない愛子ちゃんです。毎日、楽しく遊んで、大はしゃぎです。


近所付き合いなんて、日本のマンションに住んでいた時は、ほとんどありませんでしたが、ここでは自然と顔なじみになり、和気藹々のコミュニティが出来ていきます。子供たちを中心として。

左端で何やら悪さをしているのが愛子ちゃん

人のボール遊びをジッと見つめる、この後ジャマしに行きました

下町と違って人口密度低いですね。

2012年4月8日日曜日

フィリピン プールに行った

午前中から、クソ暑いので、急に思い立って、 『プールに行こう!』。 

愛子ちゃんは、生まれて始めてのプールデビュー。 何故か水着だけは持ってる。 去年つかった浮き輪等を引っ張り出して、空気を入れてチェック、たまたま遊ぶに来てた子供2人連れて、すぐ近くのプールに出掛けました。


プレジデントアベニューから、スーカットロードに出て、マニラ方面に200メートルほど行ったところに、観客スタンド付きの競泳用プールが安く開放されています。25メートルのキチンとした競泳用プールなのですが、今日は晴天の日曜日。 家族連れが一杯、一杯で、まともに泳ぐことはできません。 まあ、今日は愛子と遊ぶつもりだから、まあいいか。


入場料は大人150P、子供100P、3歳以下はタダ。 ここは、闘鶏場と同じ敷地内にあって、闘鶏に行くオッサン方と、プールに行く家族連れ、若者グループで、大層賑やかでございました。


2時間ほどいて、水に入ったり出たりしたのですが、太陽光線は凄まじく、肩と背中がヒリヒリします。愛子ちゃんも興奮しすぎたのか、家に帰ったら、バタンキューでグーグー寝てました(笑)。

人だらけ、愛子はどこ?

それにしても、フィリピン人、泳ぎの出来る人が少ない。いない。

日本のプールだったら、遊んでいる人の中に、少しはましに泳げる人は必ずいるものだが、今日のプールでは皆無。 若い連中が泳いでるのを見ても、なってない。 私は、体力はともかく、形だけは出来ます。 平泳ぎで、ゆっくりゆっくりなら、いつまででも泳いでられます。 フィリピンでは学校で水泳の授業が無いらしいし、競泳という競技など無いに等しい。 私のフィリピン人の知り合いはたくさんいますが、多分、誰一人としてまともに泳げないのではなかろうか。これだけ海に囲まれた国なのに、不思議ですね。

2012年4月7日土曜日

フィリピン ホーリーウィークです

実質、昨日の金曜日で終ったのだが、ここフィリピンは今週は、いわゆる 『ホーリーウィーク』。 キリスト教とは縁の無い私ですが、一応、勉強しました。 ホーリーウィークてなんや?


イエスキリストさんが、死んで、生き返った話はしってますが、それを祝う祝日のようです。 木曜日に有名な 『最後の晩餐』 が行われて、金曜日に十字架に貼り付けにされて亡くなり、一日おいて日曜日に復活されたということですね。


昨日の金曜日は、グッドフライデイというそうで、本当にメトロマニラは完全に休みでした。近所のスーパーまでしまっていて困りました。あちこちの教会では、イエスキリストさんを担いでのパレードがあったようです。


キリスト教も、結構色々な行事があるもんだなと、フィリピンに住んでいると思います。


一応、キリストさんは、人々の罪を一身に背負って死んだとのこと。だから罪が許されるのかという問題は、微妙な話しになりそうなのでやめておこう。


ただ、どうも、この 『許される、許す』 というのがキリスト教のキーワードに思えてならない、今日この頃。 


先日観た、映画 『ゴッドファーザーⅢ』で、アルパチーノ演ずるゴッドファーザーが、牧師に向かって懺悔する。 『実の兄弟を殺してしまった。』 と。 牧師の答えは、神はお許しになる、だった。 そりゃおかしいだろ、と私は思います。 神を信じて、懺悔して、悔い改めれば、許されるのか。そんな簡単な論理じゃないとは思いますが、どうも、許されざることが許されてしまうのは、合点がいかないし、怖い話しだと思います


ひょっとしたら、フィリピン人の悪い奴は、人の物をくすねて、神様に懺悔したら許された気になっているのでは無いだろうか? 問題発言ですかね? どうも、そんな気がするんですよ。 キリストさんの教えのいいとこ取りというか、曲解じゃないのかなと思いますね。


もう少し、聖書を勉強してみようかな。


知識欲旺盛な私です。

フィリピン バスケットでは見込みないだろな

私の3大低俗趣味。 競馬・野球観戦・プロレス観戦。 


競馬とプロレスは年中やってるが、野球はオフ期間が終わり、今、開幕したばかりです。 フィリピンでは、たまにESPNでメジャーリーグベースボールを視て楽しんでます。 今日はシアトルマリナーズの試合を生中継していて、イチローがフルベースで打席に入ったときは、思わず声を出して応援してしまいました。


フィリピンに来てから、アメリカのメジャーリーグを視るようになったのですが、これがなかなか面白い。日本のプロ野球とは全然違った趣で、楽しい。 とにかく、1人1人のプレーヤーが個性的。日本の少年野球で教えるような基本型など、全く用なし、時には真面目にやっとんのかと思えるような選手もいて、視ていてあきません。


イチローはメジャーでも不世出のスーパースター。 かたや松井秀樹は日本ではスーパースターだったが、メジャーでは普通の選手になってしまった。 日本の野球とアメリカのベースボールは違う競技といってもいいくらいです。 どちらかというと、長距離打を売り物にする選手が、メジャーに入って目立てるわけが無いと思います。身体能力が違いすぎます。 反面、身体能力にたよったいい加減なベースボールなので、卓越したテクニックのイチローは、メジャーでますます光輝いたのでしょう。


小さな日本人選手。 パワーやスピードでは勝てません。テクニックと小技を売り物にする選手だけが、メジャーでも脚光を浴びそうな気がします。 今年の川崎ムネノリや元ヤクルトの青木は、いけると思うけど。ダルビッシュも本質は変化球投手だから、いけると思う。


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話しはフィリピンに戻って、フィリピンでは野球は無い。ナショナルチームはあるのだが、無いに等しいレベル。一般の人も野球に全く関心がありません。 フィリピン人の好きなスポーツは、もっぱらバスケットボール。 バスケットコートはいたるところにあって、若者が競技してます。


これが、私には理解できない


日本人以上にチビのフィリピン人男性が、何故バスケットをする。絶対に世界レベルで通用しない競技をわざわざ選んでしまっているように思えてならない。バスケットボールといえば、USAのNBL。身長200cmは普通、化け物ばかりです。バスケットボールは決定的に身長がものを言うのです。フィリピン人男性の平均身長はどのくらいかな? 多分160cm台前半だと思うな。私より背の高い奴は滅多にいない。ちなみに私175cm。


サッカーだったら、身長はほぼ関係ないのにと、いつも思う。南米やアフリカなど、発展途上国の貧しい子供が、路上でサッカーの練習をして、世界的なプレイヤーになるサクセスストーリーはよく聞く話し。ストリートチルドレンが、大金持ちになるストーリーです。 それは、ただボール一つで練習できるサッカーという競技の、入りやすさにあると思います。


フィリピン人もバスケットボールやってないで、サッカーやったらいいのにと、いつも思います。バスケットボールをやってる限りは、前述のようなサクセスストーリーは絶対生まれない


余計なお世話ながら、そう思います。

フィリピン 気をつけないといけない病気

病気のことばっかり書いてますが、当然いいことばかりではありません。フィリピンで生活する上で、特に気をつけなければいけないことも一杯あります。


日本人の3大死因は、ご存知の通り、癌・脳卒中・心筋梗塞です。
 ここフィリピンの庶民の間では、圧倒的に心筋梗塞、俗に言う 『ハートアタック(心臓麻痺)』 ではないかと思います。人が亡くなったという知らせを受けたときに、原因を聞いたら、ハートアタック という答えが多いように思いますね。 逆に、癌(カンサー)というのは、あまり聞かない。 長い闘病生活の後に、癌で亡くなったという話しは聞いたことが無い。あくまで庶民レベルの話ですが。



フィリピンでハートアタックが多いのは、絶対にのせいだと思う。 
完全にノンオイルの料理というのが、ほぼ無いに等しい。 野菜や豆が一杯の料理でも、必ず最初は油で炒める。 油自体の品質は、スーパーなどにノンコレステロール植物油など一杯あるので、そんなにひどいとは思わないが、毎日毎食使うから、やはり気をつけないといけないです。


日本食では、オイルを使わない料理なんて普通に一杯あります。 特に、煮物生物ですね。 フィリピンでは、この煮物と生物が無い。 煮物っぽいものはあるけど、全て油がかましてある。

フィリピン在住、数十年の方に話しを聞いたら、フィリピンに来て、心臓のつまる日本人の方、とても多いそうです。


はい。 私です(笑)。


私は、日本の病院でカテーテル手術してもらって、あっという間に直りましたが、ここフィリピンの庶民が、そんな高レベルの医療を受けられるかどうかは、はなはだ疑問。 ということは、私の狭心症レベルで、死んでしまうフィリピンの方が、とても多いのだと思います。私の手術だって、保険が効いてなければ、数十万の話しでしょうから。


フィリピン流、食生活スタイルが気にならない私だからこそ、本当に気をつけないといけません。食生活自体を見直すとともに、油を流してしまう中国茶(鉄観音)は、今や毎食卓に無くてはならないものになっています。

フィリピン 消えてなくなった病気2

昨日書いた記事の補足です。


フィリピンに来て、慢性の関節リウマチが根本治癒したとは言いません。多分、血液検査したら微弱ながらリウマチ反応が残っているのでしょうね。 結局、ずっと暖かい環境で、症状が出なくなっているということだと思います。元々、重度のリウマチに比べれば、軽微なものだったので、環境変化によって症状が隠れてしまったというのが、本当のところでしょうね。実際、日本に居るときは、寒い季節に症状が出やすかったのは確かですし。



さて、もう一つ、フィリピンに来て無くなってしまった病気(?)があります。


それは、水虫(笑)。


これも私のことなのですが、日本にいるときは、超軽度の水虫。やはり、年がら年中、靴下を履いて、靴を履いて、仕事していますと、どうしても少しむれます。この水虫も、重度の人は大変なようですが、私は洗えば収まる程度のものでした。


この水虫、日本のおじさん方の中では、相当に普及率が高いのではないでしょうか?


そう言や、と気がついたのですが、ここフィリピンでは、あまり聞きませんね水虫。庶民はスリッパが基本ですから、水虫になるわけない(笑)。 私自身も、日本の時に比べると、裸足の時間が圧倒的、というか、ほとんど裸足。 家の中でも、足が冷えるなんてこと無いですから、裸足にスリッパ。出掛けるときも、フォーマルの時以外は、裸足にスリッパ、サンダル。水虫になるわけありません。


スリッパ屋さん、なんて商売が単独で成り立つのも、靴以上にスリッパ需要の多い、フィリピンならではですね。


同列に扱うのはどうかと思いますが、私がフィリピンに来て無くなってしまったもの。リウマチの症状と水虫、というお話しでした。

2012年4月5日木曜日

フィリピン 消えてなくなったリウマチ。

フィリピンに来て、病気が自然治癒してしまったという話しです。


実は私自身にことなのですが、子供の頃からのリウマチ持ちです。 中学生の頃に、 『若年性関節リウマチ』 と言われ、それ以来ずっと、薬を飲み続けてました。 程度は極めて軽く、また進行しないので、普段の生活は問題ないのですが、それでも、日本にいるときは、朝に関節がこわばったり、夜疲れると、膝がうずいたり。。。。そんなことはありました。 リウマチが暴れだすと、関節だけでなく、体全体が、いいようのないだるさに見舞われて、本当に嫌なものです。


様々な、リウマチのいい先生がいると言われる病院にいきました。 大阪市立大付属病院、国立加古川病院などは、リウマチの専門性で有名です。 色々な抗リウマチ剤を飲み続けました。 二十数年、薬を飲み続けたでしょうか。 全く、改善しませんでした。 幸い、悪くもなりませんでしたが、嫌なリウマチの症状とは、2年前まで、20数年、付き合い続けました。


2年3ヶ月前、フィリピンにやってくるにあたって、一大決心して、薬を全てやめました。まあ、こちらで薬を入手するのが煩わしいこともあったのですけど、なにせ長い間飲んでた薬なので、それなりの重大決心であったわけです。


結果。


ウマチの症状は、消えてなくなりました。



薬をやめたから、良くなったわけじゃありません。ここフィリピンの温暖な気候のせいとしか、私には考えられません。20数年、飲み続けた薬が全く治せなかった、慢性関節リウマチが、いとも簡単に無くなってしまったのです。 体の実感として、今、リウマチの症状を感じることは皆無です。 本当にマジックみたいでした。


歩けなくて車椅子でフィリピンに来たおじいさんが、さっさと歩いていらっしゃる実例知っています。 


硬直してまるで棒のようだった母の左半身、いまは極めて柔らかくなってます。


そして、私のリウマチは、あっという間に消滅しました。



ありきたりの結論のようですが・・・・・・・・・・・・・・・

年中、夏というこの気候、日本人の体は経験したことが無いのです。寒い寒いということは、如何に体が緊張することか、温かいということは、如何に体がリラックスするか、ということだと思います。


フィリピンマジック。。。。。。。


ハワイでも、グアムでも、タイでも、同じことが起こったのでしょうか。 よく分かりませんが、これは間違いの無い事実です。 私自身のことですから。


リウマチで苦しむ方、少しですが、私はそのつらさがわかります。
転地療法、一考の価値、大有りだと思います。

フイリピン 暑い暑い!

連日、クソ暑い日が続く、ここフィリピンはメトロマニラ、パラニャケ市です。乾季なので、蒸し暑さはそれほどでもないのですが、太陽の距離が近い感じで、本当に暑いです。


母がちょっと元気が無いので、気になっていたのですが、家にいる介護係りのマリビックおばちゃんが言うには、 『ヒートストローク』 じゃないかと。 熱中症ですな。 すぐにインターネットで、熱中症を勉強してみたら、熱中症は炎天下の野外だけではなく、高温の室内でも起こるということ。 母自身は暑さを感じていないようですし、年寄り故か、冷房を嫌います。 『暑くないか?』 と聞けば、答えはきまって、『全然』。 日本人の老人ですから、バスタブでお風呂に入ります。 フィリピン人からすると、不思議で仕方がないようです。 何故、こんなに暑いのに、暑い湯につかるのかと(笑)。母に水浴をすすめられましたが、それは無理。 冷たいタオルで拭くにとどめました。 


決定的な感覚の違いなのですが、日本人にとって風呂は基本的に温まるもの、フィリピン人にとってシャワーは体をクールダウンするものです。体を洗うのは一緒ですが、得たい体感は180度反対です。


じじばばと違って、私は家の内外で動きますので、こう暑いと、頭と体をクールダウンしたい感覚は非常によくわかります。 ですから、私はクリスマス前後に涼しいときを除いて、ずっとシャワーはだけです。今日は3回シャワーしました(笑)。ほてった体を水でクールダウンするのは、本当に気持ちがいいです。 残念ながら、風呂につかりたいなんて全然思いませんね。


今までは、シャワーの後、薄毛隠しのために(笑)、すぐドライヤーを使っていたのですが、これもやめました。 濡れた髪の毛を自然乾燥したほうが、頭の熱が奪われる気がして、気持ちいいです。そういや、フィリピン人女性、シャワー後の濡れた髪の毛そのままで外出しますね。しらずしらずのうちに、行動様式が、熱中症対策になっているのかもしれません。


そして、気をつけなければならないのが、塩分です。 日本食を取ってたら塩分過剰はあっても、塩分不足は無いと思いますが、私のようにフィリピン流食生活になっていると、塩分不足は考えられるかもしれません。日本料理ほど塩が多くない気がします。 日本料理は、味噌汁と漬物がついていれば、塩分は超十分ですけどね(笑)。 大塚製薬のポカリスウェットは、ここフィリピンでも、頑張ってます。 コンビニ・スーパーで売ってます。毎日飲むようにしています。


フィリピンは暖かい気候がいいとは思いますが、それも程度があります。 こう暑いと、この気候が敵になりかねません。 健康管理に要注意です。 特に、爺婆は。

2012年3月31日土曜日

フィリピン 桜の季節

フィリピンに桜はありません。


普段は全くと言ってもいいほど、母国日本に郷愁など感じない私ですが、やはり日本人のDNAか、桜の花だけは、いいなあ、、見たいなあ、、、と感じます。
 この季節、日本では桜前線のニュースがありますね。 日本人が桜の花に感じる思いというのは、格別のものがあります。 世界に類を見ない、独特のものですね。


『もののあわれ』、 『無常観』、 『はかなさ』 といった自然と共生して、移ろい行く季節(自然)に感銘し、人間の命のはかなさを感じる。 日本人の感性は季節の移ろいとともにあるのです。たった数日の満開で、いさぎよく散っていく桜は、まさに日本人の感性の象徴であります。


これは、外国人にいくら説明しても、上手く伝わりません。いわんや、フィリピン人には(笑)。常夏の国の花は、フルーツと一緒でワンパターン。 感性を刺激しません。


大阪のマンションから事務所へ徒歩で通ってた。自宅と事務所のあいだにある大阪城公園。桜の季節は、毎日少し遠回りして、桜満開の下を歩いたものです。

で、少し昔の写真を。

大阪城公園 お決まりの宴会 後はゴミだらけ
満開
八軒家船着場から梅田方面をのぞむ
天神橋から天満橋・京橋方面をのぞむ

2012年3月30日金曜日

フィリピン 介護生活を考える⑦ 人(介護士・メイド)その4

介護の話し、随分と間が空きました。人(介護士・メイド)の4回目になります。心の面で、フィリピン人が介護士の資質があると以前書きましたが、今日は、ある1点に絞って話したいと思います。


それは、下の世話 です。


重介護にどうしてもつきものの、下の世話。 小便・大便です。 人間が生きている限り、この営みは止むことはありません。


母は、夜だけ大人用のオムツをしますが、昼間はオマルで行います。本人の尿意・便意がはっきりしていればいいのですが、うちの母の場合は、これがはっきりしない。つまり、本人の尿意・便意の感覚が、かなり麻痺していると思います。 必然、排泄の失敗が起こります。 いわゆる 『たれる』 ということです。ベッドやシーツを汚すことはしばしば。 そして、朝起きてオムツを外すとき、小便は仕方ないのですが、大便までしているときがあります。


はっきり言って、臭いとの格闘です。 私なんかは、全くの苦手なので、おえっ! となって、もうたまりません。 介護という仕事の、もっともやっかいな仕事だと思います、この下の世話。




フィリピン人の介護者の重要な、資質として、 『下の世話を気にしない』 、というのがあると思います。 これは、小さなことではありません。 とても重要なことです。 彼ら、あんまり気にしないのです。人を使う身の私からすると、非常にたすかります。


例えば、『ウンチで手が汚れる』。 私なんかは我慢できません。 でも、フィリピン人、とくにオバサン介護者は、平気な人が多い。 人を雇うときに、いつも警告するのですが、介護の仕事に下の世話はつきもの、大便の後始末など、出来ますか? と。 フィリピン人の答えは、たいてい、『それがどうした?』 みたいな感じです。 気にしないのです。



これは、何故かと考えてみました。 

答えは彼ら自身のトイレの仕方にあると思います。 フィリピン庶民はトイレットペーパーを使いません。 使うのは、水・石鹸、それと手。 用を足したあと、水でじゃぶじゃぶ洗うのですね。 石鹸を使うのはまだいいほうです。 水と手だけの人も多いと思います。 私なんかは、排泄した自分のお尻を手で洗うなんて考えられませんが、ここの人は皆そうします。 手は洗ったらしまい、手で排泄の処理をすることは、毎日のことなのです。



話しは脱線しますが、日本ではウォシュレットがかなり普及してますが、それは何故でしょう? 乾いた紙で、お尻をゴシゴシするだけより、清潔だし気持ちいいからではないでしょうか? ここの人は、手動ウォシュレットをずっとやっているのです(笑)。 絶対にそのせいだと思いますが、ここフィリピンでは、 『痔』 というのを聞いたことがない。 よく考えてみたら、ウォシュレットを使用しない日本人の紙だけスタイルは不潔ですよ。 水と石鹸で洗うほうが、はるかに清潔。 気にしなければ。



いずれにしても、下の世話を、こころよくやってくれる。 これは、本当にありがたい



細かいことのようですが、介護の経験のある人ならわかると思います。 この下の世話の精神的負担は大変なものです。 とくに慣れないうちは。 フィリピン人の介護者としての資質の重要な部分だと思います。

今日の 愛子ちゃん 10

ますます元気、ますます快調。 怖いものなし。 やんちゃぶりは、まるで男の子。 我が家の太陽です。



愛子はホース(馬)が大好き。パパの競馬好きの影響。

愛子の友達。ディープ君(笑)。

レストランに行くと、とにかくうるさい。ゆっくり食事出来ません!

一生懸命、水を食べてます。

色んな所で座り込むのが好きです。


最近やたらと寝相が悪い。ベッドは到底無理です。