2012年6月14日木曜日
人生はプロレスなり
ボクシング、相撲と格闘技の話しをしたら、調子が出てきて止まらなくなってきた。
私の一つの人生観に深入りしよう。
それは、人生はプロレスのごときなり!!!
ははは、バカみたいですか? わからないだろうな、この深い哲学的意味が。
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人間の定義は、理性をもった動物であることです。 つまり、犬畜生のように本能だけで生きてるわけではないのです。 言い換えると、人間であるゆえんは理性があるということです。
では、理性とは何か。それは、本能を制御する能力です。これは同意してもらえると思いますが。社会的な存在である人間は、常に理性で自分の感情や行動をコントロールしながら生きています。寝ている時以外、100%理性が働いて、私たちの行動を制御しています。
理性が働くとき、そこには、意図が入り込む余地が十分にあります。
例えば、目の前の人が、物凄く失礼な事をいって、メチャクチャ腹立ったとき。 理性の働きの弱い人(つまり本能的な人・動物に近い人)は、直ぐにぶん殴ります。 一方、理性の強い人は、自分の行動を理性的に選択します。 ぶん殴るべきか、笑って流すべきか、無視すべきか、、、等々。 そこには、損得勘定も働きますし、喧嘩して勝てる相手かどうかなどという判断も入るでしょう。 そして、最終的に選択した態度を、行動として表すのです。。。。。。。。。。。
これを自分の演出と呼ばずに何と呼ぶのでしょうか。数ある台本の中から、自分で選択して、それを行動に出すわけです。まさに演出ですね。
そうです、理性を持った動物である人間は、常に自分を演出しながら生きているのです。 演出の度合いは人によって違います。それは、理性の強さの違いです。 感情的直情的な人は自己演出の度合いが少ない、往々にしてこういう人はいわゆるアホが多い(失礼)。 理性の強い人は、自分を完全に覆い隠して生きている人もいます。こういう人の中には、過剰演出の結果、自分でも自分自身がわからなくなることも普通です。演出している自分が、いつの間にか本当の自分のような気がしてくる、あるいは、もう自分がどんな人間なのか、訳わからなくなる。 まあ、これは両極端な例ですけどね。
会社にいるサラリーマンや、彼女と初めてデートする男、なんてのは演出の最高調時でしょうね。 逆に家族と家でくつろいで居る時なんかは、演出の度合いが低い。 でも、必ず理性は働き、自分の意図が働いているはずです。
寝ている時だけです。演出が止まっているのは。 だから寝言で本音を言ってしまうこと多いんじゃないですか、嫁さんの横で愛人の名前を呼んだり(笑)、会社の上司の悪口言ったり。。考えてみると、寝言って、怒る人多いですよね。 つまり、理性が開放されて、演出が止まっているんですな。
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さて、プロレスラー。
例は、タイガー・ジェット・シン。 アントニオ猪木の全盛期のライバルでした。『狂えるインドの虎』 タイガー・ジェット・シン。 サーベルを口にくわえ、顔面神経痛のような表情で、若手レスラーに取り押さえられながら入場、観客にサーベルで襲いかかる、唾を吐く、でも決して観客には迷惑を掛けない(笑)、相手のアントニオ猪木とは流血の死闘、反則攻撃のオンパレード、でも最終的には、ヒーローのアントニオ猪木をきちっとたてる。 その狂乱ぶりは、たとえそれが演技とわかっていても、近づいたら殴られそうという恐怖心をあおるに十分でした。
この『狂えるインドの虎』、普段はメチャクチャ礼儀正しいジェントルマンです。ばしっとスーツを着こなしたビジネスマンでもあり、地元のカナダ・トロントのインド社会では知らない人は無いほどの有名人だそうです。日本でも他のレスラーの赤ん坊をあやしてやる程の、心優しき男だったそうです。
これ以上の、”プロ意識” を持った人は滅多にいないのではないか。
プロレスの見方は十人十色かもしれません。 しかし、私が思うに、プロレスの本質は人間の演出を見るものです。ボクシングを観るよりも、演劇を観るほうに近い。 演劇を観て、これは八百長だと言うバカいないでしょう。
レスラーとしての演出は、レスラー個人の持っている個性や外観、バックグラウンドに大きく影響されます。演出がはまったときに、プロレスラーは凄みを発揮します。
チャンピオンカーニバルに優勝して、トロフィーを抱きかかえて、たった一人でリングの端にうずくまり、加勢してくれる仲間も無く、まわりのレスラーの攻撃を警戒して、あたりをキョロキョロ見回す、アブドーラ・ザ・ブッチャーの表情とたたずまい。。。。私が観た中で、最高の演出場面でした。 アブドーラ・ザ・ブッチャーのプロレスラー(俳優)としての、才能が遺憾なく発揮された場面でした。私はそこの何を感じたか。。。黒人・デブ・醜い顔・・・・・・・・差別され、のけ者にされ、いじめられ、貧しくて、、、、そんなスラムの子供が、やっと手にした玩具を、周りの子供にとられまいと、抱きしめている。。。そんな情景を感じたのです。 アブドーラ・ザ・ブッチャーという醜いプロレスラーにとっては、まさに最高の演出でしたし、ブッチャーはそれを自分で行ったのです。 最高の俳優だと思いました。
最近のプロレスはダメになりましたね。 一昔前の、猪木・馬場の時代が一番よかった。最近は素でリングにあがって、何を表現したいのかわからないレスラーばっかり。 片やアメリカのプロレスは、コミックショーに成り果てた。。。。プロ中のプロであったタイガージェットシンや、最高の俳優であったアブドーラ・ザ・ブッチャーはもういない。
人の人生は、何を自分で演出して生きていくかです。
本能のまま生きているのではないのですから。
社会というリングにおいて、あなたの役どころは何ですかね。。。。
いつも自分が中心の我侭スーパースター アントニオ猪木ですか?
堅実無比、決して道を踏み外さない ジャイアント馬場ですか?
常に一歩引いて、謙虚さを持ち味にした、坂口征二ですか?
コンプレックスを出世のバネにした 長州力ですか?
スターの猪木・馬場へのジェラシーを個性にした、上田馬之助ですか?
実力ピカイチでもいつも脇役、縁の下の力持ち、藤原義明ですか?
肩書きだかが自分のたより、ビール腹を突き出すチャンピオン ハーリーレイスですか?
何があってもプライドだけを高くかかげる、ミルマスカラスですか?
根暗で不気味な不良少年、前田日明ですか?
不器用さを自分の売りにして、皆に好かれたラッシャー木村ですか?
異形の自分に常にイラダチを隠さなかった、アンドレ・ザ・ジャイアントですか?
何も取り柄が無いけど、決して諦めない心だけある、テリー・ファンクですか?
ポーカーフェースの下は、燃えたぎる闘志の、ドリー・ファンク・ジュニアですか?
人を馬鹿にして見下すが、それ相応の実力のある、ブルーザー・ブロディですか?
人生とはプロレスのごときなり、人は皆プロレスラー。
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