母が死んで1週間が経ちました。 初七日は昨日なのかな、今日なのかな。完全に宗教色を排して行ったフィリピンでの母の見送りでしたので、日本で納骨の時に、ボンさん読んで法要をとりおこなうことになりました。フィリピンにいる私は出来ませんので、兄弟が万時段取りしてくれることになってます。
母が急にいなくなって、入浴などの毎日の大騒ぎイベントが必要なくなり、何とも静かな、喪失感が漂っています。これで、愛子ちゃんの騒ぎ声が無かったら、本当に寂しさもひとしおのことでしょう。
突然の終わりを迎えた、フィリピンでの母の介護生活。 振り返っても仕方のないことですが、私の発案に親父が賛同して始まった異国での介護生活。 どうだったんでしょうね。 確実に言えるのは、母の寿命というか運命は、日本にいてもフィリピンにいても、ここまでだったんだろうなとは思います。胆石が発端の肝臓障害ですから、日本だとかフィリピンだとか関係ないですものね。
そんなことより、母にとって良かったのかどうか。。。。。
親父や私、そして日本にいる私の兄弟にとって良かったのは間違いありません。自分が自ら手を下す介護からは開放されて、少ない少ない年金で人を雇って、世話してもらって生活が送れたのですから。しかし、母自身は、そんなことを有難いと思うより、日本への郷愁が強くなってしまって、幸せを感じることなんて無かったんじゃないかと思ってします。 かと言って、日本にそのまま居れば、幸せだったかというと、フィリピン以上に、不幸だったと思います。
結局、、、、6年前か7年前か忘れたが、母が脳卒中で倒れて半身麻痺及び若干の知的障害を負ってしまったときに、母が幸せになる道は無くなってしまったのだと思う。 おそらく、あの世にいる母の記憶に、脳卒中以降の辛い記憶は無いのではないかと思います。
絶望的な状況の中で、せめてもの、ベストの選択をしたと思いたい。 フィリピンに来なかったら、もっと悲惨な状況だったと思う。
成功か、失敗か、、、なんて今更どうでもいいことだが、
これでよかったんだと、、そう思っておこう。
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