2012年2月29日水曜日

フィリピン 初めてコンタクトレンズを買った

日本に一時帰国する前に、新しいコンタクトレンズを買いに、アラバンのフェスティバルスーパーモールへ行った。OPTICAL CLINICのお店は、モールの中にかなりの数あるので、何軒か入って色々聞いてみた。


日本のように、コンタクトレンズをつくるのに、眼科医の診断がいるなんて堅苦しいことは無し。その場ですぐ出来る。それはいいのだが、店によって対応が全然違う、値段も全然違う。 何が違うのかは、説明が難しいのだが、私の感想は、



きちっとした店=遅い・高い    適当な店=早い・安い



こんな感じでしょうか。

当然、気の短い私が選んだのは後者(笑)。



(きちっとした店)
私のかけていた眼鏡のレンズを分析。乱視が入っていることがわかったようで、このタイプのコンタクトは高くなるという。4800ペソだと。でもちゃんと、テスト装着して確認してくれる。1年使えるタイプのレンズです。


(適当な店)
最初からコンタクトレンズは1500ペソとズバリ。例の草原の風景が見える機械を使って、さっさと視力を測って、出来合いのコンタクトを出してくれた。テスト装着も何もせず、小瓶に入ったレンズを紙袋に入れて、ハイッ と渡してくれた(笑)。所要時間10分。1年用のレンズです。



家に帰って、コンタクトレンズをはめてみました。全然、問題ありません。よく見えますし、違和感もありません。 というか、日本のウィークリータイプのレンズみたい。凄く薄手で、装着感は凄くいいが、果たして1年持つのかな、という感じです。


でも、正解だったと思いますよ。こんなもんでいいと思いますよ、コンタクトレンズ屋なんて。あとは、ユーザーの自己責任ですから。

2012年2月28日火曜日

日本一時帰国 まだ寒いかな

ということで、3月1日に日本に一時帰国。 

主たる用事は、心臓の術後6ヶ月のチェックアップ。以前、記事にした大阪の今里ハートクリニックに行きます。 スーパーCDで心臓を撮影、ワークステーションで心臓の3D映像をグルグル回して、見てきます(笑)。何も無いと思うのですが、最近いたって調子がいいですから。


(ブログ記事参照) 心臓病の物凄い素晴らしい専門病院
http://miliondividendazo.blogspot.com/2011/09/blog-post.html



天気予報などによると、日本は今、いわゆる三寒四温が始まっているのかなという感ですね。 春の足音は聞こえているのでしょうか?前回の帰国は残暑厳しい9月でしたから、こちらの服装そのままでよかったのですが、今回はそうは行きません。昨日、ウィンドブレーカー買いました。週間予報によると、私の滞在期間はぐっと気温が上がる予報でしたから、よかったです。


毎回、帰国するときに、今回が最後の日本かもしれないなぁ、なんて考えるのですが、そうもいかないみたいです。 何だかんだと用事があるのもです。


次回帰国があれば、妻子を同伴しようかな。


愛子ちゃんを、大阪のUSJと海遊館でも連れていってやるか。寒くない暑くない良い季節にね。

2012年2月27日月曜日

フィリピン イミグレーションの怪

私のVISAは、結婚ビザ(13a)ですが、初回申し込みから1年経ったので、2回目の本申し込み(13e)を、2ヶ月以上前の、1月中旬にしました。 これで、VSAに関する諸手続きは終ったと安心していたのですが、肝心の外国人登録カードが、待てど暮らせど、出来てこない。 手続きをお願いしているジュネムインターナショナルさんに、問い合わせたところ、イミグレーションの業務がほとんどストップ状態だそう



聞くところによると、イミグレーションのトップ人事に変更があって、その新任にTOPが公明正大で、不正嫌い。だから、下々のスタッフに、訳のわからない料金や、袖の下、特別特急料金などを一切行わないようにと徹底したらしい。それは結構と思いきや、それに伴って、今まで業務をやっていた職員が大量に辞めてしまったとのこと。で、VISAの更新の手続きなどは、全く滞り、書類山積みのまま、放置状態だそうです。



一体、何の話しかわからないですが、袖の下を取れない仕事なんてやってられない、とでもいうことなのでしょうか?楽しい国ですね、ほんと。 イミグレーションなんて、外国人相手の業務で、国として本当に恥ずかしいことだと思わないのでしょうか、思わないのでしょうね(笑)。ということで、ジュネムインターナショナルさん自身が非常にお困りの様子。私のように、フィリピンの役所の体質がわかっている人間は、ジュネムさんの説明に理解を示しますが、そうでない人は、そりゃ怒るでしょうね。本当に、大変な国です。



実は、私3月1日に日本に一時帰国の予定が、ずっと前から決まってました。しかし、外国人登録カードが無かったら、出国すら出来ない。 日が迫ってくるにしたがって心配になり、ジュネムさんにヘルプお願いしたところ、イミグレーション曰く、航空券の提示と超特急料金2000ペソで間に合わせるとのこと。ははは。不正撲滅のはずじゃなかったのかな。信じられない役所さんです、フィリピンイミグレーションさん。



しかし、私としてはこれ以上待つことは出来ないし、航空券を提示し、手数料を払って、本日やっと外国人登録カードをゲットしました。3日後には出国予定。 滑り込みセーフでした。やれやれ。



何処へでも一人で行く私ですが、イミグレーションだけは、嫌な話しを一杯聞いていたので、今まで1人では行ったことありません。ジュネムインターナショナルさんに手続きをお願いしてました。今回のようなことが起こったら、自分個人ではどうしようも無いところです。何はともあれ、ジュネムさん、ありがとうございました。

2012年2月25日土曜日

フィリピン 今日はEDSA革命記念日

1986年ですから、25年も前になるのですね。私がまだ大学生の頃ですが、テレビで見たのをよくおぼえています。 フィリピンのピープルズパワー革命。 黄色一色の群集が、革命を唱えて、コーリーアキノ女史を支持して、マルコス腐敗政権を打倒した、民衆革命です。イメルダ婦人の贅沢三昧が凄く報道されましたね。マラカニアン宮殿から、米軍のヘリコプターで大統領が脱出する映像を、鮮明におぼえてます。


今日、2月25日は、そのEDSA革命記念日らしいです。その革命から、フィリピンは良くなったのでしょうか?当時を知らない私には何とも言えませんが。



私が言えるのは、日本の民衆も、そろそろ怒ったほうがいいのではないかということ。 今の民主党政権のていたらくは、日本版ピープルズパワー革命に値しますよ。 なにせ、マニュフェストと言って、国民に公約して大きな支持をとったくせに、そのマニュフェストに書かれていることを全く実現できないのですから。これは、国民に対する背信、詐欺ですよ。



日本人って、怒らない国民ですよね。戦前前までは、違ったはずです。歴史を勉強すると。敗戦を期に、GHQからはじまるアメリカさんの指導によって、精神を破壊されてしまった日本。 かつての誇り高き日本人、大衆1人1人まで浸透する高い道徳性でヨーロッパ列強を驚かせた日本人。もう、昔の話しですね。


外国で生活していますが、人一倍、祖国の歴史を誇りに思ってる私です。 どんどん、誇れない国になっていく祖国が、寂しいです。

フィリピン 日焼け対策

暑い、暑い、暑い! 
日中は、太陽光線が痛い。暑いという感覚より、痛いという表現がピッタリきます。じりじりと肌が音をたてて焼けるんじゃないかと。。。日本よりも、太陽からの距離が短い感じで、光線がキツイ。『プール行こうか!』、毎日言ってます(笑)。



今日も嫁さんはお出かけ。友達の結婚式です
珍しく(笑)、その友人は裕福な家庭の子で、ちゃんとホテルでレセプションがあります。招待状も、綺麗な封筒で、さすが!という感じのものでした。ですから、当然ドレスコードあり、フォーマルらしいです。 嫁さん、今日ばかりは、きっちり化粧して、私の姉にもらったお気に入りのバッグ持って、胸元の大きく開いたロングドレスで決めてました。久しぶりに、我が嫁さんを見て、ドギマギした自分が可笑しい(笑)。



最近、嫁さんは、仕事に私用に、外に行くことが非常に多い。私は、愛子と留守番が多い(笑)。この暑い太陽光線の下のお出かけは、女性にとってお肌の大敵です。嫁さんも、先日30歳になりましたので、曲がり角、曲がり角。 一昨日のこと、鏡を至近距離で見て、『顔の肌が汚い!』 と嘆いておりました。 大体において、フィリピン女性は、日本の女性みたいに肌が綺麗じゃないです。そりゃ、年がら年中、夏の太陽にさらされ、露出度の大きい服をきてたら、そうなります。 まあ、その中では、嫁さんは、結構気を使ってたほうですから、自分の顔の肌のダメージを見て、これではイカン、と思ったみたいです(笑)。



それで、何かのクリームを買いたいと言い出したのですが、私が買ってやったのは、女性の洗顔用の石鹸。 結構の値段でしたこれ。 私の考えは、まだ若いのですから、肌がくすんで見えるのは、毛穴の汚れだと。 ここマニラでの外出ほど、ホコリにまみれることはありません。 1に洗顔、2に洗顔、、だと思ってアドバイスしました。 更には、外出時の傘の携行の義務付け(笑)。上半身露出満点の、タンクトップ1枚で太陽のしたに出ますから(笑)。ちょっとは気をつけなさいという意味で、折りたたみ傘を、ジャパンホームセンター(日本の百均のフィリピン版)で買いました。


まあ、そのうちまた、アンチエイジングクリームでも買ってやろう。



という文章を入力する私の手。キーボード上でみると、、、真っ黒! まるでトライシクルドライバーの手みたい(笑)。いいですね、男は。 なーーーんにも気にならない。


え? 頭の毛穴? 


気になりますね(笑)。

2012年2月22日水曜日

フィリピン 介護生活を考える⑥ 人(介護士・メイド)その3

介護における人間関係について思っていることを、書きたいと思います。昨日の続きみたいな話しです。


介護とは、被介護者が介護者に、世話してもらうということです。直接的な接触です。 我が家の愛娘、愛子ちゃんの世話をする時に、よく思うのですが、愛情が無ければ、人の世話なんてやってられませんよ。愛子ちゃんがウンチをたれたときも、おしっこでマットを濡らしてしまったときも、笑いながら後始末が出来て、愛子が傷つかないように決して怒らず、励ましてやる。こんな気持ちで世話できるのは、娘を愛してやまないからです。



赤ちゃんを陰でいじめるベイビーシッターじゃないですが、嫌いな人を世話するなんて、本当に嫌な仕事です。適当にやって済ませようと思うはずです。嫌々する仕事なんて、決して上品質の仕事にはなりません。 特に介護の現場では、それは事故を生む可能性もはらみます。 嫌がらせを生む可能性もあります。介護者が被介護者を嫌っていれば、ろくなことになりません。


介護者と被介護者の人間関係の悪化は、往々にして、被介護者の側に原因があると思います。被介護者というのは世話してもらう身なのですから、



『すみませんね、ご迷惑ばかりおかけして。ありがとうございます。』


という姿勢でいてもらわなくては困ります。そういわれると、介護者のほうも、気持ちが良くなり、更に良い世話をしてあげようという気になるというものです。



身体障害者の方や、お年よりは社会全体で守っていかねばばりません。それは絶対です。ただし、年寄りや身体障害者はそれを当然の権利ととらえてはいけません。 電車の中で、席を譲らんか!とばかりに座ってる人の前に立つ、年寄りがいますが(特に大阪 笑)、憎たらしいことこの上ない(笑)。年寄りや身体障害者といった、守ってもらう立場の人には、 『すいませんねえ』 という姿勢でいてもらいたいものです。でないと、物事が上手くいかなくなります。



更に、介護というのは、いつまで続くのかわからない仕事です。介護の必要性がなくなるのがいつかということは、神様しかしりません。うちの母だって、明日終るかもしれないけど、10年以上続く可能性も十二分にあると思います。そして、介護という仕事に休日はありません。主婦の仕事と一緒です。365日ずっとです。24時間ずっとです。



本当に、人間関係が良くなければ、絶対に成り立たない仕事だと思います


○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○



これだけ、前置きの考えを述べておいて、フィリピンの我が家です。


この基本的な考えが全くわかっていない日本人(私の親父)と、それでも、心を入れて一生懸命介護してくれるフィリピン人、その真ん中で、ストレス一杯ながら踏ん張っている私と嫁さん、こんな構図です。金を払ってフィリピン人を雇っているんだから、仕事をするのは当然だ、みたいな姿勢で狭い家の中が、上手く行くはずがありません。いい人には、恵まれるのですが、仕事が長続きしない、定着が悪いというのは、こういう状況のせいかも知れません。



年寄りというものは、そして、認知症のある人というものは、どうしてこうも頭が固いのか、偉そうなのか。介護されるのをあたかも当然の権利みたいに考え出したとき、介護する人は嫌になります。人間関係が崩れると、全て上手くいかなくなります。介護って、なんてヤリガイのない仕事だろうと、思えてしまうのです、被介護者の、 『すみませんね、ありがとう。』 この言葉が無ければ。



これが我が家の危機の状況の本質なのですが、それを生み出すベース、つまり被介護者側に不満を蓄積していっているのは、以前に述べた、ホームシック ・ フィリピン(人)嫌い なのです。

フィリピン 介護生活を考える⑤ 人(介護士・メイド)その2

人(介護士・メイド)について書き始めましたが、今回では終りそうにありません。
フィリピン人介護者についての評価・所感は次回に回します。
今回は介護士の資格(資質)について書きたいと思います。



日本では、ホームヘルパーとか介護福祉士などの資格があるようですが、フィリピンで介護生活を送る上で、資格を持った人が必要なんてこと、一切感じたことありません。大体、そのような資格はなにを身につけるものなんでしょうね。調べる気もありませんから、知りません。下の世話の仕方とか?片麻痺の人の抱き起し方?認知症の人との会話の仕方とか?そこに何か学術的な、論理があるのですかな?まあ、もし、簡単な医療行為があるとすれば、それは資格が要るでしょうが。



介護する上で最も大切なこと。それは、 『心』 です。 
良い介護者とダメな介護者を分ける、決定的な違いは、『心』 が入っているかどうかです。



『フィリピン人は皆、天性の介護士だ』 といわれますが、大きくはあたっていると思います。当然、フィリピン人とひとくくりにして話すのは不適切ですが、素晴らしい介護者の資質を持ったひとは、どこにでもいると思います。 『心』 の入る人です。我が家で、働いてくれた介護者のなかでベスト4がいるのですが、共通しているのは、私の母のことを愛してくれたことです。 『情がうつる』 という表現が一番ピッタリです。



フィリピン人の一番良いところは、年寄りと子供に優しい、体にハンデを持った人に寛容といった特性だと思います。 私はこれを、『弱い者への優しい心』 だと思ってます。 


何故か。 彼ら自身が弱い存在だからです。 貧富の格差の凄まじいフィリピン。 大部分の庶民は、社会的に非常に弱い存在です。 明日をも知れぬ生活、万一の時の保障など何も無い。 そういう弱い立場のひとは、お互いが助け合わないと生きていけません。 弱い者は群れるのです。 野生動物でもそうです。 アフリカで、弱い草食動物は群れをつくります。 そして、弱い子供を群れの中央にに置いて皆で守ろうとします。 人間社会の群れの、最小最強単位が、ファミリーですね。




私の母は、 『年寄り・女性・体が不自由』 と、弱い者の条件が3拍子そろっています。 フィリピン人の介護者は、母に凄く同情の心を寄せてくれます。 そして、献身してくれます。 仕事としてやっているはずなのに、まるで、自分の母のように接して、心配して、母を助けようとしてくれます。 これは、私の実感です。 そのフィリピン人介護者の姿に、私が思わず目頭を熱くしたことは、2度や3度ではありません




エピソードをあげましょう。




《マジョリーおばさん》

母が胆石で3週間入院した時、介護者マジョリーは、3週間ほぼ、ぶっ続けで母の病室の長イスで過ごしました。 私が、付き添いを替わってやろうと申し出た時に、断られました(笑)。 彼女は私に、こう言いました。 『あなたが居ても、お母さんの下の世話を出来ないじゃないか。私がするから、家に帰りなさい』。 実の息子(私)、形無しですよ、本当。 そこに、特別手当をくれとか、そんな打算は一切無い。マジョリーは、手術室から生きて出てきた私の母をみて、顔をグシャグシャにして泣いていました。



《レンレンさん》

30台前半のこの女性。全く何故か分りませんが、私の母が大好きみたいでした。旦那さんもいるし、決してレズビアンじゃありません(笑)。 たまの休みの日、彼女は家に帰ったのですが、母のことが気になって気になって、何度もテキストが入ります。そして、彼女は言いました 『I MISS HER』。 普段、世話ばかり掛けられているのだから、たまの休みには、せいせいするのが普通じゃないでしょうか。 次の日、レンレンが帰ってきたとき、母に抱きついて、キスしていたのは言うまでもありません。



《バラット君》

30台後半男性。とても優しい男で、母とは大の仲良しでした。母が、バラット君のことを、『先生、先生』 と呼んで、とてもしたっていました。 どうも医者と勘違いしたみたいです(笑)。 ある日、バラット君が、何やらマッサージ機みたいなものを買ってきました。 電気信号が発信されて、神経に刺激を与え、麻痺をした手足の回復を図るものみたいです。 バラット君、寝ている母の手や足に、マッサージ機をあてがって、長い長い時間過ごしています。 嫁さんに聞くところによると、彼の月給の半分くらいの値段はするだろうとのこと。 私は支払を申し出たのですが、断られました。 勝手に買って来たものだし、効果があるかどうかわからないからと。



他にもいっぱいあるのですが、これで十分でしょう。
こんな奴らです。 至らぬ点や、まぬけなところ、駄目な習性、フィリピン人には目に見える欠点が、一杯一杯あると思います。でも、この 『心』 という目に見えない長所によって、補って余りあると感じています。



技術か理屈か、何を勉強するのか知りませんが、介護の資格なんて、全く要りません。



介護に『心』の入る人、すなわち、一級の介護士です。


※あくまでも、フィリピン人にはいい介護士の資質をもった人が多いという話です。当然、全部が全部というわけではありません。とんでもない奴も多いです。でも、全体として、フィリピン人は弱いものに優しく、天性の介護士である ということは、言ってもいいと思います。

2012年2月20日月曜日

フィリピン フルーツに飽きてきた

介護のことを書こうかと思ったのですが、真面目な思いテーマを書く気がしない今日です。軽く流しましょう(笑)。


南国フルーツというと、フィリピンの醍醐味の一つです。確かに美味しいです。甘いマンゴは本当に美味しいし、バナナは日本の輸入物に比べたら、さすがは本場です、濃厚で美味しいです。ぶどうもいけます。パイナップルも甘くて甘くてすっぱくて、最高です。


でも最近、果物屋に行っても、そそられません。飽きてきました。というのは、年がら年中、同じものが陳列されているからです。多少のシーズン性はあるとはいえ、日本の季節ごとの、味の移り変わりという風情はまったくありません。


日本の果物は、季節とともに記憶されますよね。春といえば、イチゴとかメロンとか。夏といえば、スイカ・桃なんか。 秋といえば、柿、なし。 冬といえば、コタツにみかん。 季節の移ろいにしたがって、スーパーや市場の陳列も変化し、季節を感じて、食べたくなるものです。


ここは、一年中、スイカが置いてあります(笑)。もうええわ!って感じですね(笑)。マンゴもずっとあります。美味しいけど飽きた。


旅行者でフィリピンに来ているときは、あの甘い甘いマンゴを食うことが一つの楽しみでした。ホテルの備え付けの冷蔵庫の中身を全部外に出して、買ってきたマンゴを一杯詰め込むことが、滞在1日目のお決まりでした(笑)。 今は、、、マンゴ? もうええ(笑)。


書いているうちに、が食べたくなってきた。桃は見ませんね、ここでは。ロックウェルのパワープラントモールの特売所で一回見ただけかな。天下一品ですよね、日本の桃。


仕方ない、韓国食材店で、桃の缶詰買って来るか(笑)。

2012年2月19日日曜日

フィリピン 介護生活を考える⑤ 人(介護士・メイド)その1

今まで2年間で、もう正確な数忘れるくらいですが、20人は人を雇ったでしょう。ということは、長続きしない、定着しないとうことの裏返しですが。今回は、経験を踏まえて、家庭内の使用人について書きたいと思います。



《我が家の仕事》


◎介護補助

これは母の抱き起しや、寝かせる仕事がメイン。例の鈴がなったら、飛んでいかなくてはならない仕事です。トイレの手伝い、排便・排尿で汚してしまった後処理、歯磨き、入浴時の先発・体洗い、着替え、車の乗降り補助、外出同行、朝食の用意、その他色々、母の世話の仕事です。

◎家事

これは普通のメイドの仕事と変わりありません。フィリピン料理・後片付け・洗濯・掃除です。買い物は私自身が行います。料理に関しては、じじばばの日本料理は私が行い、私の食べるものは主に嫁さんが準備し、嫁さんとスタッフの食べるものはメイドが料理します。料理の3重構造です(笑)。

◎子守り

これが一番難しい仕事(笑)。我が家特有の重労働(笑)。それほど、愛子ちゃんは元気で重たい。でも、真面目な話し、嫁さんが外出がちなので、子守りをしてくれないと、私が何もできませんから、子守りも重要な仕事です。



《雇用形態》

常勤2名です。主に介護する人1名、メイド1名という雇い方です
以前は、同格で介護も家事も全部する人2名だったのですが、適任が見つからないこともあり、現在は役割分担して雇ってます。というのは、介護が出来る人は見つけにくいですが、メイドだったらいくらでも人は居ますから。2人ともステイイン(住み込み)です。


《待遇》

介護する人:月5000P メイド:月3600P。 3食付。それも我が家では、私や嫁さんと同じものを食べさせてます。 フリーシャワー、部屋完備。 勤務時間は朝7時~夜10時半。 といっても、夜は母の最終トイレが10時半なだけで、実質は夜8時半、母が就寝したら終了です。



《一日の流れ》

毎日毎日、我が家の生活の様子ですが、私と嫁さんが朝7時半くらいに起きると、介護士マリビックは両親の朝食の準備をしてます。メイドの姉ちゃんは家の内外を掃除してます。

8時前に第1回目の鈴が鳴ります。母の起床です。おむつは小便でぐっしょり。時にはシーツ、マットまで染み込んでます。母を抱き起し、オマルに座らせて、着替え、ベッドの掃除、洗面。そして、両親の朝食タイム。

私と嫁さんは日々の買い物にでます。メイドさんは洗濯。帰ってきたら、愛子ちゃんの入浴(笑)。メイドは昼飯の準備、私は両親の昼飯を準備。 11時頃、私と嫁さん以下皆で昼食。 12時に両親の昼食。これで午前中終了。

愛子ちゃんが昼寝に入ったら、嫁さんは店のOPENに出掛けます。私はほっと一息。両親はテレビ見てくつろいでます。2時頃、母のお昼寝るタイム。介護士マリビックが母を寝かせて、ヤレヤレ。使用人2名も、少し休みます。メイドさんは愛子の子守りで休めません(笑)。

夕方4時頃、夕食の準備開始。両親が散歩にでます。介護士マリビックがお出掛けのお手伝い。

夕方6時半、両親の夕食。それが終ったら、私たちの夕食。そして、メイドさんは後片付け、介護士マリビックは母の入浴準備、バスタブ洗って、湯を沸かして。

夜8時頃母の入浴タイム私、嫁さん、介護士、メイド。4人がかりです。一番の重労働。風呂が終ったら、母の着替え。歯磨き、そして就寝です。メイドさんは家中のゴミ処理。

愛子ちゃんもおやすみ。嫁さんは仕事にでます。私は、ほっと一息、パソコン、テレビ、本。 使用人2人には、母の就寝から最終のトイレの10時半まで、この時間だけソファに座ってテレビを視ることを許可しています。夜11時頃、嫁さん帰宅。私たちも就寝。


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こんな流れが毎日毎日です。この流れの中に、鈴が15回くらい不定期でなりますので、その度に介護士マリビックは駆けつけなければなりません。 彼女がシャワーとか、ちょっと出かけたとかの場合は、嫌々私が行きます(笑)。


今日は、実情をお伝えするだけにしておきましょう。
疲れました。
次回は、本題、私のフィリピン人使用人にたいする評価・所感を思い切り書きたいと思います

母と介護士マリビックおばさん

フィリピン バクラランの問屋街

今日は早起きして、車で商品の仕入れに行ってきました。表通りは小売店ばかりですが、ゴソゴソッと入ったところに、混沌とした問屋街があります。大抵ダース単位の売買です。半ダース6個がミニマムロット。中国系で完全に牛耳られています。日曜の朝早くでしたから、人が少ないほうです。普段はこんなもんじゃありません。








2012年2月18日土曜日

フィリピン アニバーサリーが面倒くさい

今日は2月18日。 私たち夫婦の2回目の結婚記念日であったらしいです(笑)。 正直、完璧に忘れてました。 もっと正直言うと、、、、、結婚記念日が2月の何日だったか、おぼえていませんでした(大汗)。


そう言えば、朝から嫁さんが怪訝そうな顔と態度をしていました。多分、 『この人今日が何の日か忘れているな!』 と思って、私を観察していたのでしょう(笑)。 私はそんなこと全く頭にありませんから、普通にしてるだけ。。。。。。。



夜になって、季節はずれの打ち上げ花火があがってました。

それを見て嫁さんが、嫌味たっぷりに言いました。



『花火なんかして、今日は何をお祝いしてるのかなぁぁぁぁぁ』



はっと気が付いた私。時既に遅し。。。。。。。。




日本人のおっさんで、結婚記念日を祝う人います?もっと言うと、日そのものを忘れている人多いんじゃないですか?必死の自己弁護。




ここフィリピンは、アニバーサリーをやたら大切にします
アニバーサリーのために生きてると言ってもいいくらいだと思います。クリスマス、ヴァレンタイン、誕生日、結婚記念日、死んだ人の誕生日まで祝います(逆に命日という概念は希薄)。 誕生日なんか、家族や友人の数だけあるのですから、大変です。



自分の誕生日さえ忘れる私、そういうことには全く無頓着。これは、男として、フィリピンでは大きな減点ポイントです。はははは。



あーあ、面倒くさい。



と言ったらダメですね、頑張ります(笑)。



愛子ちゃんの2歳の誕生日忘れないようにしなければ。
大丈夫、4月29日、昭和の天皇誕生日に生まれた、プリンセス愛子様ですから、忘れようがありません(笑)。

2012年2月17日金曜日

フィリピン 介護生活を考える④ 鈴を鳴らせば人が来る


親父が持ってる呼び鈴
 写真はフィリピンのアイスクリーム屋さんがもっているのと同じ呼び鈴です。

フィリピン介護生活の我が家の象徴です。

親父がいつも持っていて、フィリピン人の介護スタッフに用がある時に、鳴らします母の起床、トイレ、ソファに座るとき、車椅子に移動するとき、着替えをする時、飲み物をこぼした時、何かを持ってきて欲しいとき、、、、、、。一日15回は、鳴らされます。


鈴が鳴る度、何をしていても、それをさて置いて、フィリピン人介護スタッフが、両親のもとにかけつけます


鈴を鳴らせば、人が駆けつけるなんて身分は、昔の英国貴族が召使を呼ぶ時のイメージしかありません(笑)。いい身分ですな(笑)。はっきり言いまして、鈴を鳴らされて、駆けつけなければならないなんて、プライドが傷つく状況です。でも、フィリピン人のスタッフは嫌な顔ひとつしません。それが仕事だからと言えばそれまでですが、よくやってくれると思います。それも、せっかちな親父が、『来るのが遅い!』なんていって、2回3回と大きな音で鈴を鳴らすこともしばしば。私なぞは、親父に対して、『何を威張っとんねん!』と思いますが、フィリピン人スタッフは、『YES!YES!』といって、駆けつけてくれます。



呼び鈴の用事の大半は、母のトイレ
母の身体的状況からすると、大人用のオムツに世話にならなければならない状況です。しかし、親父が母を可哀想がって、毎回毎回抱き起して、オマルに座らせることを譲りません。 私自身も、濡れたオムツをしているのは気持ち悪いと思いますので、この事には賛同しました。


親父は母を抱き起すことすら出来ませんから、結局フィリピン人介護スタッフが、母を抱き起し、オマルに座らせて、傍らで用が済むのを待ち、また抱き起して衣服を整え、ベッドもしくは車椅子に戻す、という重労働になります

毎日大活躍のオマル。フィリピンで買いました。

小柄な女性では少ししんどい仕事です。かと言って、男でこんな仕事をする人はなかなか居ませんので、結局、出来るだけ体格のいい女性ということになります。この意味で、フィリピンに多いバクラ(おかま)は、この仕事に最適なのです。心は女性のやさしさ、体は男の強さ。完璧です(笑)。 今は、おばさんスタッフです。


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思い出します。京都の団地の一室。親父と母の2人。当たり前です、鈴を鳴らしてもだれも来ません(笑)。今のフィリピンの家のように通気性がよくないです。寒い寒い冬。母はほとんどベッドに寝たきり。おしっこをたれる。ウンコをたれる。日本の部屋の床は畳み。染み込んだ臭いはなかなか取れません。フィリピンの家は石の床。モップで拭けば終わり。雪の降っているベランダに、濡れ物を干してもなかなか乾きません。ここの家では、南国の直射日光にあてればあっというまにパサパサ。思い出します。私が団地のドアを開けたとき、小便に臭いがしたことを。

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そんな境遇が、ここでは鈴を鳴らせば人が走って来てくれるのです。彼らの収入が増えて人を雇ったわけではありません。住む場所を、ここフィリピンに変えただけです




本人の承諾を得てますから、紹介したいと思います。マリビックおばちゃんです。


我が家の介護スタッフ マリビックおばちゃん


このマリビック、我が家へ来て半年になりますが、本当によくやってくれます。年の功か、よく気がつきます。自分の判断で物事ができます。日本語を一生懸命勉強して、母と意思疎通をしようとします。母の介護補助は一手に引き受け、家事も若い田舎から出てきた姉ちゃんを使って切り盛りしてくれます。そして、愛子の子守も。これほど適任のスタッフはなかなか見つかりません。彼女自身は5人の子供と飲んだ暮れ亭主を抱えて、大変な境遇のようです。でも、そのせいか、肝っ玉がすわってます。少々の親父のイビリには動じません(笑)。私が何よりマリビックを気に入っているのは、時間に正確なこと。たまの休みに家に帰っても、きっちり時間通り戻ってきます。これはフィリピン人では、極めて珍しい(笑)。




日本で介護に困っている老夫婦。鈴を鳴らせば人が飛んできてくれる境遇の人はどれほど居るでしょうか


施設に入っていても、1対1の介護など望むべくもありません。それが、ここでは1対1どころか、1対2、3 なのです。低額年金者といってもいい位の、私の両親。フィリピンに来た、ただそれだけで、こうなっているのです。文句を言ってたらバチがあたる、、、と私は思います。


大人のおむつ 中国製ですが結構すぐれもの


2012年2月16日木曜日

フィリピン 介護生活を考える③ フィリピンが嫌い

◎難しい日本人のフィリピン定住


私を含め、フィリピンに移住して、ここで生活して行こうなんて人は、当然、自発的意思で移住という行動をとるはずです。フィリピンとの関わり合いの始まりは人それぞれでしょうが、自らが何がしかの利点を見出したからこそ、フィリピンにやって来たはずです。サラリーマンの駐在や出張がきっかけであったり、女性関係がきっかけであったり(こういう人が一番多いのかな)しますが、フィリピンへの移住には積極的な意思があるはずです



もう一つ一般論として言えるのは、積極的自発的な移住であっても、長続きしない場合が多いということ。そこには、実際に住んでみると、異国ゆえの、もしくはフィリピン特有の苦労が見えてきます。あるいは、女性関係からフィリピンに入ったひとは、その破綻という結末が、フィリピン生活終焉の直接的原因である場合が多いでしょう。フィリピンが好きだったのに、住んでみて嫌いになるパターン。そりゃ、旅行者としてみるフィリピンと実際に住んでみるフィリピンと、全然見え方が違います。



何を言っているのかと言うと、自発的積極的にフィリピンにやって来た人でも、長続きしない場合が多いということ。



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◎被介護者の移住は消極的選択


鑑みるに、家の両親等は、フィリピンに行くしか方法が無かったともいえる状況。 そこには、是非フィリピンに行きたいとか、フィリピンはいい所だ、といった積極的な意思は全くありません。実にネガティブな選択の結果、移住してきたわけです。裏返して言うと、彼らは、本当は日本に居たいのです。フィリピンに脱出できるだけの条件が揃っていただけでも、幸運だと私などは思うのですが、本人たちは、なかなかそうは行きません。



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◎日本人に好かれないフィリピンという国


一般的に言って、フィリピンという国は嫌いになる要素が多いような気がします(笑)。フィリピンに馴染める日本人というのは、少し変わっている人(私です私!)か、馴染むよう努力している人だと思います。例えば、平均的日本人が10人フィリピンで生活してみたら、9人までは嫌だというのではないでしょうか。残りの少し変わった1人が、フィリピンにはまってしまう少数派。これが現実だと思いますよ。

※男の夜遊び・女遊びは別の話しですよ。男の遊びに関して言えば、数字は逆転するでしょう(笑)。フィリピン大好き!という人が9人、嫌いだという人は1人でしょうね(笑)。



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ただでさえ馴染みにくいフィリピン。仕方なくといってもいいような、消極的動機で来ている老人がフィリピンがフィリピン人が嫌いになるのも、やむを得ないと、冷静に考えれば、そう思います。




この件に関して、フィリピン介護生活スタート前の私の考えはこうでした。 
両親がフィリピン大好きになってくれれば言うこと無いのだが、そうは行くまい。 ただ劇的に好転する介護環境があれば、それを有り難く思う気持ちが、フィリピン嫌いという気持ちを凌駕するであろうと。あるいは、多少フィリピンが嫌いであっても、我慢してくれるだろうと。何故なら、それほど日本の地獄の介護生活からすると、状況は好転しているからです。



それで、2年経過して状況はどうかというと、都合のいい老人の頭(笑)。状況の好転は、すっかり既得権化してしまって、フィリピン嫌い・フィリピン人嫌いが、前面に出まくってます。嫌いな国で、嫌いな人に囲まれて楽しいわけがありません





親父などと話しするときには、私は言います。
両親揃って、体が不自由になったのは誰のせいでもない運命。それを受入れなさいと。 受入れ無ければならないのは、人の世話にならなければ生きていけないという現実です。人に世話してもらう立場の人間は、基本的に感謝の念をもって生きなければならないと。不平不満ばかり抱いていきるのと、人に感謝して生きるのと、どちらが幸せか。フィリピンを嫌い、フィリピン人を嫌い、結果、自らを不幸にしていませんか、、と。




私が何を言おうと、ダメです。現実は
親父なんぞは、フィリピン人嫌いで凝り固まってしまってます。フィリピンのフィリピン人の何が嫌いなの?という論点には触れません。 すごくくだらない話しになるからです。 足で物を拾うとか、手で飯を食うとか、うるさいとか、、、、、、、、、、バカみたいな話しです。



ここフィリピンでは、いい意味で鈍感な人がいいのかもしれませんね。そう言えば、かなり進んだ認知症の方が、フィリピンで幸せに暮らしているという話しは複数聞いたことがあります。





ここまで出来るだけ一般論として言えることを書いてきたつもりです。
我が家の親父は、それに輪をかけて、フィリピン生活に馴染めない特性があります。それは、何もしようとしないということです。せっかく、母の介護は人に任せられる状況なのですから、何らかの楽しみを見出せばいいと思うのですが、全く何もしません。そして、フィリピン人に目を光らせて、不機嫌になっていらっしゃいます(笑)。庭があるのだから園芸をするとか、野菜を栽培するとか、盆栽するとか、犬でも飼うとか、写真を一杯とってアルバムにするとか、語学を勉強するとか、、、、、。家に居てもやろうと思えば取り組めることいくらでもあると思います。言葉が少しでもわかれば、世界が一気に広がるなんてことは常識なのですが、2年もフィリピンにいて、タガログ語で、ありがとうをどういうのかすら知りません。あまりにも下手くそすぎるというか、自ら楽しくない生活を選択しているとしか思えません。好きな水泳だって、行こうと思えば近くにプールあるのだから行けます。自分でトライシクルに乗る練習するとか、タクシーの運転手に意思を伝えるだけの語学を習得するとか、そういった自分の世界を広げる行動は皆無。それでは、フィリピンが楽しくないのは、自分のせいです。これは、母のホームシックとは別次元の問題だと思います。




ぐちゃぐちゃと書いてきましたが、只でさえ馴染みにくいフィリピン。消極的選択でやってきた日本の老人が馴染むのは難しいということですね。親父はその中でも特例だとしても、こう結論つけていいのではないでしょうか。



2年が経過した今。時折、私の頭によぎる考え。この辺が限界かな、と。




実生活面ではなんの問題もありません。私も別に問題ありません。問題は被介護者の心の中です。 親父のフィリピン(人)嫌い、母のホームシック この2つです。




『皆に良くしてもらって、フィリピンに来てよかったね。』

そうはならないのです、現実は!

フィリピン 弔事も大変だ

先週の火曜日ですから10日前、嫁さんの叔父が亡くなりました。お宅はパサイ・リベルタッドです。


ここフィリピンでは、日本のように慌しく事を運びません。
人が亡くなると、処置をして(多分防腐処理をするんだと思います)、一週間、自宅に居ます。その間、色々な人が弔辞に訪れて、亡くなった方と面会し、飲んだり食ったり遊んだり。亡くなった方が寂しくないように、明るく過ごすのは日本のお通夜よ同じ考え方ですね。でも、ながいのです。


嫁の叔父の場合は、一周間超、埋葬されたのは昨日のことでした。まあ、埋葬が遅れたのは、墓の準備の金銭的なことがあったようですが。。。。



遠い親戚ではないので、嫁さんは一週間の間に、3日もそこのお宅に行ってました。 亡くなった直後、家が最後の日、埋葬の日です。我が家からリベルタッドまでは、距離はそんなに無いのですが、スーカット・エアポート付近・バクラランの渋滞で時間がかかります。 結局、毎回、半日~一日仕事。何でも、時間がかかりますね、ここは。



私と愛子も、しきりに誘われたのですが、下町の小さな家に人があふれかえってると聞いて、結局、少しの香典だけして、遠慮させてもらった。


だから、家で愛子ちゃんと2人で過ごしている時間が、やたら長かった、ここ最近です。買い物・料理・育児・子守。 何やってるんだろな、私は(笑)。 

フィリピン 久々によく喋った

一昨日の夜ですが、日本からいらっしゃった知人の方とお会いしました。


タギッグC5のマーケットマーケットというモールでアポイントしたのですが、当日はバレンタインデー。 モールは凄い人出。 というか、モールに接近するにつれ大渋滞。 とても駐車場に入れる様子ではありませんでした。仕方なく路上駐車。 民家の前だったのですが、住人にお願いすると、チップ欲しさか、すぐにOKしてくれました(笑)。


バレンタインデーなんてのは、全然頭に無い日本人のおっさんの私。何もプレゼントが無いと。嫁さんに嫌味を言われました。 


何処のレストランも超満員なので、選択の余地無し。 席の空いていたピザハットに飛び込んで席を確保。お互いの嫁さん同士も旧知の友達なので、本当に色々と話し込んでしまいました。久しぶりに気を使わずに、思い切り日本語しゃべりました(笑)。考えてみると、嫁さんと話すときは、相手が分るように簡単な言葉を選んで話しますから。たまには、日本人同士、いいですね。ストレス解消になりました(笑)。 喋りすぎてすいませんでした。


お互いにフィリピンを理解する日本人同士。信頼できる知人を持つことも重要だなと思いました。

2012年2月13日月曜日

フィリピン スリッパーは重たかった

今日の午後、仕入れたスリッパー222足の開梱・陳列作業を、私自ら参加して行いました。


まず、スリッパー222足の重たいこと重たいこと
3つの巨大梱包になっていたのですが、大の男の私が、一つしか運べません。 これは、仕入れには車で行かなければ、どうしようも無いです。そして、女性だけでは可哀想です。我が家で、運転できるのは私だけ。 力のある男も私だけ。 よしよし、仕事が出来た(笑)。楽しいですよ、仕入れ。グチャグチャの問屋街で、人と物にもまれながらの買い物です。



次に開梱作業を行いました
スリッパーって、結構きちんと一足ずつビニール梱包されている。しかし、店では梱包は全て不要。一足一足、封を開けて、スリッパー用に小さなハンガーに付けて、展示していく。 実に楽しかった(笑)。 もともと、私はこういった単純作業の山をみると、俄然気合が入る人(笑)。 汗かきながら、嫁さんと、『これ格好いいな。自分で買おうかな?』なんて、言いながらの作業。楽しいもんです(笑)。



ドレスみたいに、在庫の取り扱いに、そんなに気を使いませんから、良いです。 なんたって、所詮ゴムの塊ですからね。 ポイッ と置いたって何ともありません。 でも、改めてゴムは重たい(笑)。


そんなこんなで、スタート切った、モンキースモールビジネスです。目論見通りに行くといいですが。

在庫処分品、一足くすねてきた(笑)

フィリピンより拍手喝采 橋下旋風

そのようになるとは思っていたが、予想以上。大阪維新の会の主催する 『維新政治塾』 に、実に3326人が応募したそう。凄まじいですな。 応募者の中には、現職の国会議員(それも与党民主党)が含まれるというのだから笑いが止まらない。



中央政界の連中が、大阪からの旋風に戦々恐々として、橋下市長にすり寄る姿が、あまりに哀れで滑稽。橋下市長の言ってる、次期衆議院選挙で、300人擁立200人当選が、夢物語とは思えなくなってきた。500人擁立400人当選でもいいのでは?



思い出してください。民主党が政権を取ったとき。彼らは、政治主導を強く掲げて、官僚・役人との対決姿勢を押し出して、国民の指示を得たはずです。腰砕けもいいところじゃないですか、現状は。橋下徹は、そんな弱腰ではありません。大阪でぬるま湯に使った役人・公務員を震え上がらせたように、霞ヶ関に正面から挑んで、これを粉砕していただきたいものです。



石原新党の動きも気になりますが、慎太郎さん、遅すぎたのじゃないですか。そのメンバーでは、大きな勢力にはなりませんよ。橋下・維新の会は、石原新党とは一線を画したほうが、いいかも知れませんね。何処とも組まないで、単独で圧倒的な勝利を収めて、政権を取ってしまったほうがいい。




私は、保守本流を自認してますから、本当は石原新党の言う 『保守勢力の結集』 が希望なんですけどね。 橋下・維新の会の外交・国防政策などはわかりませんしね。それでも、今の日本の閉塞状況を打破するには、相当のエネルギーが必要。 橋下・維新の会しか無いです。



この地方からのクーデターとでも言うべき動きが、成就しなかったら日本の将来は、本当に暗いというよりも、将来は無いと感じます。



それで、どじょう首相は、いつ解散するのかな? 消費税を含めた、税と社会保障の一体改革で、国民に信を問うのですよね。身を守るなら、維新の会の準備が整わないうちに早くやったほうがいいのでは? どじょうさん。

行け!行け! 橋下徹! 大阪維新の会!

フィリピン スモールビジネス 小売粗利

本日は、スリッパの第1回仕入れを行った。
数値を分析してみたら、私の常識には無い、面白い傾向が出てきた。



こんなに早く在庫補充をしなければならないのは、少し誤算だったが、よく考えてみると当然か。というのも、前オーナーの立場からすると、売却しようとしている店の在庫を、最新の状態にしているわけが無い。ですから、数日営業しただけで、売れ筋が足らないのが直ぐにわかった次第。



仕入れ先の領収書から、真実の仕入値が出てきたので、領収書の余白に店での実売価格を、嫁さんと店員に書かせた



本日の総仕入れ数は222足。私がざっと棚卸ししたところ、店の現有在庫は1000足程度。全体の22%の更新だから、全体の様子を推測するには十分なサンプル数。早速、久々にエクセルにデータ入力して、ボリューム掛け、加重平均をとってみた。



結果、平均の粗利率は70%弱。 
粗利がですよ、原価じゃないです。 代理店商売(物の単純売買)を過去によくやっていた私の頭は、どちらかというと反対。30%が粗利がのればいいというのが、実感。 この店、実に70%の粗利が乗ってる。



更に面白いのは、低価格のモデルほど、粗利が大きくなる
これも、私の常識は反対。単価の高いものほど利益率が良い、というのが私の頭。 この店、安物ほど、よく儲かる構造になっている。 これは、数字を出してみて、なるほどと思った。というのは、クラスAでもBでも、所詮はスリッパ。確かに、商品の出来は違うのだが、根本的にスリッパに価格には常識的上限があり、クラスAのものは、値段の頭を抑えられているかんじですね。反面、Bのものは、仕入が極端に安く、Aを少し下回るくらいの値付になっている。 当然、Bのほうが利益率がよくなるのです。




ここで得た率に、在庫処分販売見合いをリスクを取って、65%くらいの粗利率で、収支とってみた。売上は過去の正味実績が手に入ってますから。俄然、やる気が出てきた(笑)。


とらぬタヌキにならないよう、頑張りたいですね。


私は、元経理マン・原価管理マン。 計算は固い目固い目にします。それでも、今回は期待出来る数字だと思います。


期待ったって、モンキースモールビジネスですよ。
日本人の皆様、笑わないで下さいね。
でも、それでいいんです。
大きくたって、小さくたって、商売の基本は一緒

2012年2月12日日曜日

フィリピン CATV スカイケーブル 最低!

腹が立つので、もう1回叩いてやろう、スカイケーブル。


先週、3日間ノーシグナルがありました。それが直ったら、今週は4日間、音が出なかった。映像はキチンとあるがテレビは沈黙。テレビの故障かと思って、他のテレビに繋いでもダメ。音声信号そのものが来ていませんでした。


そのうち直るかと様子を見ていたのですが、ダメ。沈黙2日目にサポートセンターに電話。今回はお決まりの『ネイション・ワイド』とは、言いませんでした。メンテナンス員を差し向けるとのこと。明日には行くとのことでした。 で、次の日(沈黙3日目)結局、誰も来ませんでした。今日(沈黙4日目)の朝、再度電話しました。答えは、今日来るとのこと。夕方まで、誰も来ません。


やれやれ、と思って、確認のためテレビをつけました。勝手に直ってました。


沈黙の4日間の間に、請求書はキチッと期限通りに配達されました(笑)。ビリング業務だけは完璧なようです。


最低です、スカイケーブル。

今日の 愛子ちゃん 9

今日じゃないけど、ここ最近の愛子ちゃんのスナップ。とにかく、スーパー元気。何の問題も無くスクスク育ってくれてます。愛子がいるから、何かと問題の多い我が家も、明るくなります。


左は従兄弟のアケミちゃん。アテ(お姉さん)愛子です。

レストランOKINIIRIのウェイトレスさんと遊びました。

MAXレストラン 全然座席に座ってないで、走り回りました。

グチャグチャのお部屋(笑)。誰かさんのせいで、いつもグチャグチャ。

2012年2月10日金曜日

フィリピン スモールビジネスを買った

昨日書いたスリーパー屋さんの買い取り。 昨日夜、先方オーナー女史と合意、本日、ノータリーパブリック(公証人事務所)で、DEED OF SALES(売買契約書)を作成して、買い取り完了


買い取ってから、『そうか!』と思ったのだが、営業中の店の丸ごとそのまま買い取りだから、今日から直ぐに、売上金が入ってくる。開店準備が全然要らないから楽でいいですな、このパターン。


昨日会った、先方のオーナーさんは30台後半くらいの女性で、なかなか明朗な方でした。頭に被り物してましたから、モスリムの方なのでしょう。2つ同じような店を持っていて、私に売却したのは、2店舗目らしいです。最初の店も同じ条件で売却済みとのこと。



 『儲かっている店なのに、売却しないといけないのは残念ですねぇ。』


と、私がインテンション丸出しの発言をすると、


『OO!』(そうですよ!)

と言って、昨年の分まで売上帳を見せてくれたり、展示品を手にとっては、これは売値がいくらで、仕入れ値がいくらで、というような具合に、オープンに色々話ししてくれました。


まあ、よかったよかった。




店の名前は、 『KOKKO スリッパー ショップ』 。

『KOKKO ドレス ショップ』 に続く、2つ目のモンキービジネスです。




※KOKKO こっこ  とは?


愛子ちゃんのニックネームです。フィリピンの人は、名前の後ろの発音だけで、親しい人を呼ぶことが多いんです。 例えば、アーニー君は”ニー”、 クリスチャン君は”チャン”

で、家の愛子は、コー(笑)。

それではあんまりなので、可愛く ”こっこ!” と私が呼び始めたら、それがニックネームになりました。愛子は自分のことを、”こっこ!” と呼びます。

フィリピン ボーズ

昨日、記事にした嫁さんの前の子供、ボーズ。 預け先で暇をもてあましたのか、今日、何の前触れも無く、ボサーッと、やって来た。

自分で寛容さが無いとは思いながら、気に食わん。実に気に食わん。

私の顔を見ても、ハローの一言もなし。だまーって入って来ました。小学生のクセに、どこのおっさんかと思うくらい。

そんな態度を、怒らない嫁さんも気に食わん。

やっぱり、火種だな。

2012年2月9日木曜日

フィリピン 嫁さんの子供(ボーズ)の問題

  私たち夫婦は、バツ1同士の結婚です。嫁さんには、今、小学校6年になる男の子が1人います。連れ子という言葉がありますが、これは彼にはあてはまりません。というのは、この子(以下ボーズと呼びます)は、父親側に引き取られていたのです。私が、嫁さんと結婚するときも、多少の経済援助はしてやっても、家族の一員とは考えてなかったし、嫁さんもそれで了承していたし、問題は無かったはずなのです。ところが、、、、、


私たちの結婚後すぐに、ボーズの父親(嫁さんの前夫)が、心臓麻痺か脳卒中か知りませんが、半身麻痺の知的障害者に成り果ててしまったとのこと。そこからです、嫌な問題が噴出してきたのは。


家庭の経済的困窮です。まがりなりにもボーズの父親は仕事してたらしいので、それが絶たれて、家庭は崩壊。 その男の嫁さん(ボーズの2ndマザー)は、浮気に走る。実子だけを可愛がって、夫の連れ子であるボーズは他人扱い。


輪をかけるように、ボーズ自身はひねくれる。小学生のクセに、髪染めて、アクセサリーちゃらちゃらして、イヤリングして、肌に刺青風のペイントして。。。。私が一番、殴り倒したいタイプのガキに成り果てています。


私の嫁さんは、当然ボーズのことを心配する。気になる。ところが、私に向っては極力そのことを話ししないのです。遠慮ですな。いきさつ上から考えても、実情から考えても、私にそのボーズを引き取るいわれはない。 そして、ひねくれて育っているボーズを、私が気に食わないことを、嫁さんは熟知している。 まあ、嫁さんも可哀想な立場です。


見るにみかねた、ボーズのお婆ちゃん(父親サイド)が、田舎へボーズを引き取ったのが、4ヶ月前。ここから北へ200キロのオロンガポです。


とりあへず、問題が収まってよかったと思ったのもつかのま、ボーズが田舎を家出、学校放棄して、私の家にやってきたのが、先々週のこと。ボーズにしてみれば、母を訪ねて200キロ、という感じでしょうが、家出に大した理由なんてありません。もともと、マニラの下町で育ったボーズ、田舎がつまらんということでしょう。



怒りながらも、仕方なく受け入れる嫁さん。 そんな、我侭勝手許されないと、態度を硬化させる私。ボーズが田舎へ引き取られるときに、それなりの援助もしてやったのです。私は、くだらないボーズの身勝手が非常に気に食わない。家で数日ゴロゴロしていたボーズですが、私が怒り出す前に、嫁さんが手を打ちました。元いた場所の近所の、知り合いの家にとりあえず、預かってもらうということで話しがまとまったみたいです。預かってもらうといったところで、その家はバラックともいえないような家。経済的にはどん底の家庭です。どうしたものか。



6年生だから、3月に卒業らしいのですが、田舎の学校を飛び出してきているものですから、普通に言えば、卒業できません。 ところが、このあたりがフィリピンの真骨頂。 先生を買収することでなんとでもなるらしいです(笑)。あと2-3ヶ月のことですから。  (この話題は面白いのでまた今度)



結局、くそボーズの我侭勝ちです。今は、地元で学校もいかずプラプラしているようです。タバコでも吸って、ドラッグに走ってという、アホなパターンにはまらなければいいですが。



甘すぎる! と嫁さんに意見を言う私。 意見を言ってから、私には関係ない話だと思い直す。関係ない話で通せればいいのですがね。どうも、そうは行かないと思います。それなりの援助が要るなら、口も出すぞと、嫁さんにクギを差す私。


このボーズ問題。 どうも、将来の大きな火種になりそうです。

フィリピン スモールビジネスを買う

 
先般から検討していた、スモールビジネスの買い取りに、ほぼGOサインを出した。嫁さんのやっているドレスショップの隣りのスリッパー屋さんです。場所・在庫・店員を全て丸ごと、仕入れルートの紹介付きです



  通常、この手の話しは、誇張された営業成績で話しが来るので、あまり乗り気にならないのですが、今回は上手く実情が見渡せたので、前向きになりました。



最初のポイントは、売却理由が明確なことです。

オーナーさんが、3ヶ月後にオーストラリアへの移住が決まっていて、手放さざるを得ないということでした。基本的に、生業レベルの話しで、好調なビジネスを手放すことは、あり得ないと思ってますので、この売却理由というのは、非常に重要なポイントだと思っています。



次のポイントは、売上と粗利が、数字で明確につかめたこと。

通常、オーナーが全てを開示することなどありえませんし、口頭で誇大広告されるのが普通です。 ですから、今回は、店員を買収しました(笑)。もともと、嫁さんと友達ですから、ジョリビーのハンバーガーで買収成功(笑)。数ヶ月にわたる、店のノート見せてもらいました。日々の一品ごとの品名と売上明細が確認できました。そして、店頭から売れ筋を数点買い求め、同じものの仕入れ値を、ディビゾリアの卸売り屋に確認に行きました。結構、乗るものですね粗利が。ちょっと感心しました。フィリピンの一番安いところで買って、一番高く売れるレベルの地域(BF)で販売する。当たり前かもしれませんが、これが一番良いようです。



更に、売上の季節による変動が少ないこと。
ドレスショップはどうしても、クリスマスとかホーリーウィークとかのイベント時に偏重した売上になりがちですが、スリッパーは年がら年中、安定して売上があがります。まあ、考えてみれば、フィリピン人ずっと履いてますしね。 面白いのは台風シーズンが売上がプラスになることです。足元が悪く、汚れたり破損したりするのでしょうね。



そして一番肝心な、投資回収が読めること、早いこと。
上記の要領で確認した数字で計算すると、硬く見積もって、投資回収は1年半。上手くいけば、今年末のクリスマス商戦で回収できてしまうかも知れません。



最後のポイントは、経営が容易なこと。
とにかく、在庫コントロールに尽きます。デッドストックを如何に持たないか、それだけです。但し、デザイン・サイズともに豊富に品揃えしなければ、売上は絶対上がりません。上手く在庫をコントロールする、これだけです経営のポイントは。





気になる投資額は、、、、
私が買えるレベルですから、日本人の方からすると、『はぁ??』 と思うくらい安いです(笑)。あくまで、生業レベル。それでいいのです。

今日の夜、先方のオーナーさんと最終確認で、お会いします。あくまで私はウィットネス。嫁さんを当事者に立てての、話しです。

上手くいくといいですねぇぇぇぇぇぇ。

2012年2月8日水曜日

フィリピン生活 危機的状況

  ここ3日ほど、ブログなんて書く気に全くならないほど、嫌なことがあって、更新をしてませんでした。 家庭内の人間関係です。 家庭の恥をさらすようですが、日本人の私の親父が中心となって、家庭内のギクシャクが絶えない。もう嫌になります。



  私はイザコザの当事者のようで、当事者ではないのですが、どう考えても、150%私の親父がイザコザの発信源になっている。 頭の固い頑固者というような言葉では片付けられない酷さです。



具体的に言ってしまうと、私の嫁さんと親父が戦争状態なのです。。。。

  

喧嘩両成敗といいますが、口げんかがはじまってしまうと、はっきり言って、両方とも大人気ない。 しかしながら、人間関係が上手くいかないような土壌をつくったのは、160%親父。



  簡単に言うと、 『 嫌うから、嫌われるのです。 』



 うちの嫁さんも、切れると収集のつかない勝気な人ですから、始まってしまうと、どうしようもありません。 『 まあまあ、もうやめときなさい 』  という私のとりなしが全く効かない(笑)。 これは夫婦喧嘩のときもそうですが(大笑)。



見て見ぬふりをしていても、結局、親父が私に対して、


 『 なんじゃ! あの女は! 』


と食ってかかってくる。 
そうすると、私も親父に言い返す。 自然にというか、そうせざるを得ないというか、私は嫁さん側に立ってしまう。 それが、親子喧嘩に発展する。


もう、本当に嫌になりました。



親父は二言目には、『日本へ帰るわ!』。


身の程もわきまえず、一から十まで人の世話にならないと生きていけない状態のクセに、言うことだけ一人前だから始末に負えない。 母のことがあるから、



『そうか!勝手にしろ! わしゃ、もうしらん!』



と突き放せない私。 ストレスがたまりすぎます。




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日本でどうしようもなくなった介護難民が、フィリピン来て、この地でフィリピン人に世話をしてもらい、悠々たるのんびりした生活をしながら、フィリピン人を見下し、フィリピン人の些細なクセなどに一々目くじらをたて、フィリピン人を軽蔑し、フィリピン人を嫌い、フィリピン人に嫌われ、自分を面白くない状況に追い込んでいる、おろか者です。

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フィリピンにいながら、フィリピンをバカにする人多いですけどね。

そんな人には一言、

『 嫌やったら、帰りなはれ。 』

2012年2月5日日曜日

フィリピン マイホームタウン

 
  ここパラニャケ、バランガイBFホームズに住んで、はや2年。 最近、思うのですが、もうこの地域がホームタウンとなっていて、他の地域に移り住むのは面倒だなと思うようになりました。



  フィリピン人は自分の住む地域に深く根ざして生活します。他の地域のことは全くしらないが、自分の住む地域は、街中の人が知り合いと言えば大げさですが、地域にどっぷりつかって生きていきます。



  私の嫁さんのホームタウンは、もともと2つ。 生まれ育ったパサイ市リベルタッド、もうひとつは、マカティ・パテロス・タギッグ・パッシグの境界の入り乱れたダウンタウンです。どちらも超下町です。パラニャケBFなんてのは、全く縁が無かった嫁さんです



  でも、2年も経つと、徐々にこの街が嫁さんのホームタウン化しているのが、よくわかります。我が家のスタッフを雇用するときに、以前は必ず、旧ホームタウンの知り合いから引っ張ってきたのですが、最近では、現住所の近くに、様々なつてが出来て、こちらで調達できるようになりました。小さな商売もしている関係上、友人・知り合いも、ここでたくさん出来たようで、スーパーや市場でも、挨拶を交わす人が増えてきました。



 その反面、旧ホームタウンとは、徐々に縁が薄れていきます。



人間関係が気さくで、人と人がつながって生きていくフィリピン。ホームタウンへの密着度は日本の都市型生活の比ではありません。




私が、大阪の都心でしていたような、マンション暮らしなんて、近所付き合いとか全く無し。何処へ引っ越しても、駅が近いとか、買い物便利とか、自分の利便性だけの問題で、地域の人とのつながりなんて、全く問題じゃ無かったです。冷たい都市生活ですね。 まあ、本当に大阪市中央区のド真ん中でしたから、無理もないですが。




先のながくない両親とは違い、私と嫁さんと愛子は、末永くここで生きていかねばなりません。夢の小さなマイホームを考えるのですが、この近辺でなんとかGETしたいなあ、というのが私と嫁さんの考えになりました。以前は田舎への移転を考えていたのですが。。。。.




何故って、、ここが、マイホームタウンになっているから。

2012年2月4日土曜日

フィリピン 寒い寒い一日

  今日は涼しいを通り越して寒かった。一日中、どんより曇っていて日照は無し。かと言って雨は降らなかった。風が強くて、久しぶりに寒いという感覚を感じました。


  フィリピンに長く生活していると、確実に体感温度は変わっていると思います。 体感だけでなく、体そのものが熱帯に適応して、変わっているように思います。 まず、汗をかかなくなりました。 日本にいた時の私は、それはもう、大汗かき(笑)。満員電車の中など、他の人は涼しい顔しているのに、私だけ汗ダラダラ。 旅行者としてフィリピンに来ていたときなど、すぐに背中ぐっしょり。ひどい汗かきでした。 それが、最近よく考えてみると、ダラダラという感じでは汗をかかなくなりました。暑ければ、じとっ、という感じでは汗がでますが、シャツまでぐっしょりにはなりません。体が順応しているのですね。




 《平凡な今日一日 我が家の点描》


スカイケーブルは相変わらず映らない。NHKワールドプレミアムが視ることが出来ず、頑固親父は終日不機嫌。しかめっつらで、沈黙のテレビの前に座ってられると、こちらまでイライラする。



愛子ちゃん、どうしようも無いくらい元気(笑)。おしっこはトイレで出来るようになりましたが、ウンチがダメ。 『パパーーー、プープー!』 と言って走ってきたので、オマルに座らせようと、パンツを下ろしたら、既にウンコがべっちゃり。 それも大量(笑)。パパの服まで、ウンコ一杯つきました(笑)。



田舎から出てきたお姉ちゃん、頑張っている。特に、愛子が可愛いようで、子守役をよくやってくれています。何よりも助かるんですよね、子守をしてくれることが。それくらい、元気でうるさくて、もう大変な愛子ちゃんです。



は今日は調子の良い日でした。調子の良さのバロメーターは、叫び声があるかどうか(笑)。今日は近所まで響きわたる声で、叫んでましたから元気一杯です(笑)。ついでに、親父に毒づいていましたから、それも、元気の証拠。



両親の晩御飯は 『おでん』 。大根・ごぼ天・こんにゃく・じゃがいも・ゆで卵。 いつも、文句しか言わない親父も、何も言わずたくさん食ってましたから、美味かったのでしょう。



野良猫の赤ちゃん、家の前で、ご臨終。ほっておけば、腐って大変なことになる。でも、私をはじめ、誰も触りたがらない。明日、誰かに頼んで処分してもらおう。



『こっこドレスショップ』 (嫁さんの服屋)の拡大計画を嫁さんに指示した。嫁さん、うれしかったのか、俄然張り切った模様。 模様というのは、嫁さんはあまり喜怒哀楽をストレートに出さないタイプ。でも、様子を見ていると、ヤル気が出て、一日中上機嫌の模様でよかった、よかった(笑)。




今日も一日、ドタバタ過ぎていきました(笑)。こんなんで、いいのだろうかと、ふと思う今日この頃。

2012年2月3日金曜日

フィリピン GLOBEのサポート まあまあ

  
  一昨日夜から、インターネットがつながらなくなってました。見たところモデムの故障のようなので、昨日、GLOBEのサポートに電話してお願いしたら、今日の午前中に新型のモデム持って来てくれた。パソコンの設定もさっさとしてくれて、支払いは無し。


このくらいの対応して頂ければ、納得ですね。パラニャケの我が家、GLOBEのインターネットですが、繋がらないということは、ほぼ無いですし、スピードもそんなに不便を感じないレベルです。


日曜の夜は少しスピードが落ちるとか、日本の環境とは比べるべくも無いですが、、、。





話しは変わって、CATVのスカイケーブルです。 昨日朝から、ずっとノーシグナルです。テレビは沈黙しています。サポートに電話すると、


『NATION WIDE NO SIGNAL』 ダウ。


ネイションワイドだろうが、近所だけだろうが、こっちには関係ない! 毎度ワンパターンのお返事。いつ復旧するのかも全く分らない、謝罪の言葉も無し。

スカイケーブル最低。