介護における人間関係について思っていることを、書きたいと思います。昨日の続きみたいな話しです。
介護とは、被介護者が介護者に、世話してもらうということです。直接的な接触です。 我が家の愛娘、愛子ちゃんの世話をする時に、よく思うのですが、愛情が無ければ、人の世話なんてやってられませんよ。愛子ちゃんがウンチをたれたときも、おしっこでマットを濡らしてしまったときも、笑いながら後始末が出来て、愛子が傷つかないように決して怒らず、励ましてやる。こんな気持ちで世話できるのは、娘を愛してやまないからです。
赤ちゃんを陰でいじめるベイビーシッターじゃないですが、嫌いな人を世話するなんて、本当に嫌な仕事です。適当にやって済ませようと思うはずです。嫌々する仕事なんて、決して上品質の仕事にはなりません。 特に介護の現場では、それは事故を生む可能性もはらみます。 嫌がらせを生む可能性もあります。介護者が被介護者を嫌っていれば、ろくなことになりません。
介護者と被介護者の人間関係の悪化は、往々にして、被介護者の側に原因があると思います。被介護者というのは世話してもらう身なのですから、
『すみませんね、ご迷惑ばかりおかけして。ありがとうございます。』
という姿勢でいてもらわなくては困ります。そういわれると、介護者のほうも、気持ちが良くなり、更に良い世話をしてあげようという気になるというものです。
身体障害者の方や、お年よりは社会全体で守っていかねばばりません。それは絶対です。ただし、年寄りや身体障害者はそれを当然の権利ととらえてはいけません。 電車の中で、席を譲らんか!とばかりに座ってる人の前に立つ、年寄りがいますが(特に大阪 笑)、憎たらしいことこの上ない(笑)。年寄りや身体障害者といった、守ってもらう立場の人には、 『すいませんねえ』 という姿勢でいてもらいたいものです。でないと、物事が上手くいかなくなります。
更に、介護というのは、いつまで続くのかわからない仕事です。介護の必要性がなくなるのがいつかということは、神様しかしりません。うちの母だって、明日終るかもしれないけど、10年以上続く可能性も十二分にあると思います。そして、介護という仕事に休日はありません。主婦の仕事と一緒です。365日ずっとです。24時間ずっとです。
本当に、人間関係が良くなければ、絶対に成り立たない仕事だと思います。
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
これだけ、前置きの考えを述べておいて、フィリピンの我が家です。
この基本的な考えが全くわかっていない日本人(私の親父)と、それでも、心を入れて一生懸命介護してくれるフィリピン人、その真ん中で、ストレス一杯ながら踏ん張っている私と嫁さん、こんな構図です。金を払ってフィリピン人を雇っているんだから、仕事をするのは当然だ、みたいな姿勢で狭い家の中が、上手く行くはずがありません。いい人には、恵まれるのですが、仕事が長続きしない、定着が悪いというのは、こういう状況のせいかも知れません。
年寄りというものは、そして、認知症のある人というものは、どうしてこうも頭が固いのか、偉そうなのか。介護されるのをあたかも当然の権利みたいに考え出したとき、介護する人は嫌になります。人間関係が崩れると、全て上手くいかなくなります。介護って、なんてヤリガイのない仕事だろうと、思えてしまうのです、被介護者の、 『すみませんね、ありがとう。』 この言葉が無ければ。
これが我が家の危機の状況の本質なのですが、それを生み出すベース、つまり被介護者側に不満を蓄積していっているのは、以前に述べた、ホームシック ・ フィリピン(人)嫌い なのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿