2012年1月14日土曜日
あるフィリピンファミリーとの復縁
先日、久々に夜出かけたという記事を書いたが、一緒に行ったのはフィリピン人のC君。男です。36-7歳になるのかな。 このC君は、2年前までは親友といっていい仲でした。出会ったのは、かれこれ7-8年前。 正直で実直。頭は悪いが、悪い奴では決してなかった。
大阪のクラブでウェイターとして働いていたC君。私がフィリピンに通うようになってからは、何時も出迎えから、案内から、ボディガードから全部やってくれました。 いつしか、彼の家族とも親交が深まり、カローカンのボロ家にも何度も訪問しましたし、日本語を話す嫁さん、ロロ・ロラと子供たち。 それはもう、まるで私の家族のようになっていました。
でも、いつしか色々な援助要請が多くなりました。商売の軍資金、入院代、薬代、等々。おきまりのパターンです。私もフィリピンへの足がかりが欲しかったので、大した額じゃないので、これで、友情が更に深まるなら、という安易な考えでした。 しかし、それにも限度があります。 彼らは、借りた金は必ず返す、と言います。 返すあてはありません。 でも、誠心誠意、返すと約束します。私の家の玄関口で、夫婦そろって土下座して私に謝ったこともありました。
他のフィリピン人のおじさんからアドバイスされたことがあります。
『あなたに金が無くなったとき、友達でいてくれるのが、本当の友達ですよ。』 と。
嫁さんからも言われました。
『あのファミリーとは、しばらく距離をおいたほうがいい。』 と。
そして2年間。私がC君ファミリーに取った行動は、金の蛇口は完全に閉めるのはもちろん、貸金の返済を法的にガンガン迫りました。バランガイとポリスで書類にサインさせて、いつでもCを収監出来るところまで持って行きました。
私の強烈な意思表示です。
『私からはもう一銭も金は出ない、さてどうする?』
そして、一昨日、ほぼ2年ぶりに会いました。 Cの嫁さんとも電話で話しました。
終始一貫、
借りた金は返す・恩は忘れていない・私のことをいつも心配してた
とのことでした。一緒に話した感じも昔と変わらなかった。。。。
金が絡んでしまうと、ここまで踏み絵を迫らないと信用できなくなってしまう。もともとCは、タクシーの運転手をしていても、メーター以上を客に要求することも出来ない小心正直者。私の取った行動が間違っていたとは決して思わないが、随分と回り道をした友情だ。
金は一銭も出さないのは、これからも同じ。彼らもよく分かっているはず。 それでいて、昔の友情が復活できるなら、それでよし。
ラーメン一杯おごってやって、むちゃくちゃ美味そうに食っていたCを許す気になった私です。
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