昨日のこと。 単車を飛ばして1人で、キアッポに行きました。 正確にいうとキアッポの隣の、ビノンドにあるチャイナタウンに用事があったのです。 その用事は、関係ありません。
帰りのこと。 ロハス通りを南へ向ってはしっていて、信号で止まったのです。
ふと、右の路側を見ると、乞食がいます。
汚い汚い、ほこりと砂だらけのコンクリートの上に、幼児が全裸でうつ伏せで寝ています。体の大きさからして、2歳未満でしょう。 お尻をこちらに向けて、顔をコンクリートに直につけて、寝ています。 寝ていると思います。 死んでいるのかもしれません。
その傍らには、はっきり狂人の相が見える母親と思われる女性が、座っています。服というより、ボロキレをまとっています。顔は真っ黒です。
さらには、寝ている子供の兄弟と思われる小さな子供が、これまたボロキレをまとって泣き叫んでいます。年のころ3歳くらいでしょうか。
そして、母親に話しかけている男が1人。 これは何者か分りません。信号の停車中の時間しかありませんでしたから。
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以上が見た光景です。
寝ていた子供ですが、不思議と痩せていないのです。 むき出しのお尻しか見えませんでしたが、丸々とした幼児のお尻でした。
うちの愛子と同じくらいの年恰好に思えたので、余計に印象に残りました。
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何で、こんな子供がこの社会にいるのでしょうか?
別に、ここフィリピンでは珍しくも何とも無いです。 ただ、私が久しぶりに凄い光景を目撃しただけです。 昔、旅行者として、マビニ等を徘徊していた時は、よく見かけたのですが。 それにしても、ここまでひどい子供の寝姿は初めてです。 路上で寝ていても、母に抱かれていたり、ダンボールや新聞紙を下に敷いていたりしたものです。
お金が無いからですか。。。。。。。。。。。
ここフィリピンにあるのは、経済的困窮のみ。 経済的に困窮していても、餓えはありません。コンクリートに突っ伏していた子供も、決して食べていない体ではなかったです。
自然に思いっきり恵まれた、フィリピンは飢えとは無縁です。
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何で、あんなに可哀想な子供がいるのだろうか?
それも母親と一緒に居ながら。。。。。。。。
バイクを飛ばしながら、考えがめぐりました。
フィリピンは共産主義にしてしまえばどうか。
どうせ、怠け者が多いんだし、貧富の格差は凄いし、金が万能の汚職社会だし、子供の命も金次第、、、、そんな社会だったら、いっそ金の重要性を無くしてしまえばいい。
自由競争の資本主義というのは、個々の会社や個人が一生懸命、経済活動をして初めて全体として発達する。 アダムスミスの見えざる手は、個々が一生懸命活動しない社会では、機能しないのだ。ここフィリピンは、自由な資本主義の良い面は見られない、醜い面ばかりが見える。 私的所有の無い、国民全部が怠け者になる共産主義が一番適しているのじゃないか?この国は。
大人はどうでもいい。 大人の乞食は蹴飛ばしたくなる。
でも子供はダメだ。子供には、守ってもらう権利がある。子供には庇護をうける権利がある。何よりも優先する、地球上全ての子供に共通の最強の基本的人権です。
それを守れない社会は、社会じゃない。
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