フィリピン介護生活の影の部分を先に書こうと思います。
今回は母親についてです。親父の場合は特殊ですので、また次回に。
フィリピンの介護生活の最大の問題点だと思います。
じじばばの 『ホームシック』 です。
『日本へ帰りたい。』 『京都へ帰りたい。』
これを母親がよく口にします。特に、嘆いたり泣いたり、何か感情が高ぶったときに必ず言い出します。
2年間、フィリピンで重度障害の母を介護する日々を送ってきて、やはりどうにもならない問題。それは、ありきたりですが言葉の問題です。フィリピン人の介護スタッフも、片言の日本語を勉強して、意思疎通をはかろうとしてくれる人もいます。でもやはり、まともな会話は望むべくもありません。我が家の場合は、私と親父がいるので、会話はもちろんしますが、この2年間、母はその2人としか、ほとんどしゃべったことが無いのです。
以前、日本人の整体士の先生に自宅で施術してもらった時、マッサージそっちのけで、母はしゃべりまくってました。話しができるだけで、うれしいと、壊れた頭から本音がでていたような気がします。以前、近くにあった、喫茶店『じゃんけんぽん』に行って、日本人のマスターが色々話し相手になって頂いたとき、母は本当にうれしそうでした。
日本にいれば、例え施設に入っていても、そこのスタッフさんと、家に居ても、時折訪ねてくる親戚・友人と、挨拶もできれば、雑談も出来るわけです。ここでは、それが出来ません。 特に母のような重度障害者は、頻繁に出歩くわけにもいかず、知り合いもできません。
そこに輪をかけて、引き篭もりをしている親父に引っ張られて、家の中でも孤独になりがちです。これは次回の話題ですが、フィリピン人を毛嫌いする親父によって、母はフィリピン人との接触をかなり遮断されています。以前は、玄関先で、おやつでも食べながら、みんなで和気藹々と話しをするような場面もあったのですが、親父がそれを決して許しません。まあ、これは我が家の特殊事情ですが。
この日本へ帰りたいというホームシックは、全て上手くいっているフィリピン介護生活を根底からぶち壊す力を持っています。
日本へ帰りたいという気持ちは、ここフィリピンが嫌いという思いに直結します。
フィリピンが嫌いという思いは、ここにいる人間が悪いという思いになります。
結果、母のことを思い介護している人間が悪者になります。
その悪者の筆頭は私です(大笑)。
母は脳卒中のためとはいえ、やはりかなりボケていますから、自分のおかれている状況を理解しません。いや、理解できるのですが、理性が感情に勝てません。日本では、考えられないほど、恵まれた介護環境にいるのですが、そんなことは、ホームシックという強烈な感情の前では、全く関係ありません。
結局、母は自ら望んでフィリピンに来たわけではないのです。フィリピンに行ったほうが良いという状況の理解も半分程度でしょう。ということは、連れて来られたという表現が、母には一番しっくりくるのでしょう。
体は不自由でも、頭がしっかりしていれば、転地による全ての状況の好転も理解できるでしょうし、それに対する感謝の気持ちもでてくるのでしょうが、いかんせん、母にはそれは無理です。
結果、母を幸せにしようというフィリピン介護生活が、母を不幸せにしているのではないかという思いが出てくるのです。
壊れてしまった母の頭。母にとって何がベストな状況なのかを判断するのは、母自身ではなく、私を含めた周りの者なのです。それは分っているつもりですが。。。。。
ホームシックはフィリピンのせいでは無いです。これが、日本の何処かであっても、母の憧れのハワイであっても、どこでもホームシックは出てくるのでしょう。ただ、言葉の問題で、ホームシックが大幅に増幅されているのは確かです。
フィリピンでの介護生活。衣・食・住ほか全て問題ありません。マンツーマンどころか、母1人に対して、2名のスタッフが付くという、日本では考えられない好環境が実現しています。
ただただ、このホームシック。
状況の好転を理解できる頭が健在であればいいのですが、母の程度までボケてしまうと。。。。。このホームシックという問題1点で、諸手を挙げてフィリピン介護生活を推奨する気になれない私です。
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