2012年1月31日火曜日

田舎から出てきたお姉ちゃん その後

  2週間前にビコールの田舎から出てきたお姉ちゃん。 我が家で、メイド・介護士の仕事の見習い中。 何とか頑張ってやってます。ホッ。 若いから明るいのがいいですね。愛子とは仲良しの友達になってくれました。母の介護作業の手伝いも嫌な顔せず、やってくれます。

  ただ、、、、、、、、、、遅い。

  多分、田舎のゆーーーーーーーっくりした時間の中で、生活していたのでしょうね。何するにも遅いなあと感じます。フィリピン人全般に言えることですが、一つずつしか物事が出来ない。次の動作が全然頭に無い。 頭の中で、段取りができないのですな。

  自分で言うのもなんですが、私は何事も早い。最近、ジジババの飯の用意をするときに思います。 俺って、仕事速いなぁ と。 その分、田舎から出てきたお姉ちゃん、、、、、名前はアンちゃんです、、を見てると、イラッ となるときがあります。 が、贅沢いえません。頑張って欲しいものです。

  私は、 『世界一歩くののが早い大阪人』 の中でも、人を追い抜いて歩く人です(笑)。 最近は、  『暑いからゆっくり歩くというフィリピンスタイル』 に慣れてきましたが。。。。

  んんんんんんんんんんん

やっぱり、遅いのはダメなんです。

2012年1月29日日曜日

フィリピン ああ自分は日本人だ

 先日の奇跡の国日本の話しとは、関係あるようで無いようでなのですが、今回はくだらない話しです。

フィリピンに住んでいて、自分自身が、 『日本人だなぁ』 と感じた瞬間を思いつくまま。



レストランで席を立つとき、椅子をテーブルの下にしまう私

ファーストフードのお店でもやってしまいます。礼儀正しいでしょ(笑)。無意識にやってしまうのです。私が椅子をしまっているところに、テーブルを片付けに来たウェイトレスさん、ニコッと微笑んでくれました。日本人の株を少し上げたかな(笑)。




スーパーで、買わないことにしたカゴの中の品物を元にもどす時

一旦、カゴに入れた商品を、買わないことにしたので、もとに戻そうと、あちこちウロウロして、その商品の元の場所を探し回る私。 嫁さんに、何してんの? と言われました。 フィリピン人さん、絶対にそんなことしません。その辺にポイッ、です。律儀ですね日本人(笑)。




窓口の列に並んで、ドンドン追い抜かれる私

場外馬券売り場(笑)。締め切り直前、おっさん連中殺気立ってますから、お構いなしです(笑)。人に抜かれることより、抜いてしまうことに気を使う日本人の私。なかなか馬券が買えません(笑)。




交差点、赤信号で停車していたら、後ろからクラクションを鳴らされる私

車がいようがいまいが、歩行者がいようがいまいが、赤信号は止まるものです。右折時もそうです。赤信号は止まるものです。ブーブー、クラクションを鳴らされます(笑)。赤信号でも、行けるなら早く行け! というクラクションなのでしょうね。 以来、信号が赤だと停車することに、気を使う日本人の私(笑)。




フィリピンで生活していると、何となくフィリピン人化していく気がします。
日本人のいい所。失わずにいたいものです。

フィリピン 不可解な偽物DVD業界

  1月とは思えないくらい、ガンガン暑いマニラです。日が沈むと涼しくなりますが、日中はプールに飛び込みたい気持ちになります。

  ロビンソンスーパーに行ったついでに、隣のバザールを見て回ったのですが、姿を消していたDVD屋さんが堂々と復活しておりました。と言いますのは、扱っている製品は全て違法コピーのまがい物(もちろん中国製)ですから、たまに警察のガサいれがあるようです。 その前後だけ、DVD屋さんは姿を消します。 で、ほとぼりがさめたらまた復活。その繰り返しを延々やってます。

  先日、キアポをウロウロしたとき、道の両側ビッシリDVD屋さんの道があるので、いってみたら全くDVD店の姿が無くなっている。おっさんに聞くと、警察が取り締まったとのこと。で、どうなったかというと、屋内に無理やり移動して、堂々営業を継続している(笑)。

  ”いたちごっこ” という言葉があるが、それにはあたらないと思う。何故なら、直ぐ復活するDVD店を警察が知らないわけ無いからだ。本当に、摘発・撲滅するつもりなら、もっとガンガン抜き打ちでやったら、商売自体が出来なくなるのに、どうも警察には、そこまでの意思は無いようだ。違法コピーがまかり通っているのは、よくないので、体裁を繕うために、時々ガサいれをやっているように思える。

  ということは、警察として、社会として、違法コピー業界を温存しているわけだ、ここフィリピンは。色々な利害関係があるのでしょうね。みかじめ料とか、見逃し料とか。警察にも十分実入りがあるんだろうな。 真面目に取り締まらないところを見ると。

  茶番ですな。

  バクラランの路上不法店舗もそうです。2回ほど見たことありますが、警察が来ると、皆大騒ぎして、店を仕舞う。でも、警察が立ち去ったら直ぐに復活。 警察は戻ってこない。こんな茶番を、あきることなく繰り返す、平和なフィリピン社会です(笑)。

2012年1月26日木曜日

フィリピンと日本 異常なのは日本だ!

  
ネットで読んだフィリピン経済についての分析で、非常に頭に残っているものがあります。その分析の一部は、私がフィリピンという国で生活する上での、物の見方考え方のベースになったと言っても過言ではありません。


その要旨は、



『フィリピン経済は成長が遅くて、フィリピンは劣等生のように見られているが、それは間違いである。東アジア・東南アジアという、世界でも稀な超高速経済成長地域にいるから、そのように見えるだけである。フィリピンがアフリカにあったら、経済成長の優等生である。』



まあ、こんな一節でした。



言うまでもなく、日本の戦後の経済成長は世界史の中のミラクル。それに続いた韓国、そして中国。台湾、シンガポール、タイ、マレーシア、そしてベトナム。 その中にいるフィリピン。 確かに言われてみれば、相手が悪い(笑)。



私の考えですが、日本という国は、奇跡の国なんです。明治維新そのものが奇跡的。あの国の大転換は民度の高い日本人だからこそ出来た奇跡。世界史上初めて、有色人種が白人を打ち破った日露戦争も奇跡。武士道を礎にした国民の道徳レベルの高さも奇跡。もちろん戦後の経済復興・成長は超奇跡。



奇跡の国民が、自分の見方考え方で、フィリピン人を見ると、そりゃ、劣等民族に見えますよ。フィリピンに居ながら、フィリピンを嫌い、フィリピン人を軽蔑する人は多いです。



違うんですよ。フィリピン人は普通なのですよ。日本が、日本人が世界に類を見ない奇跡的存在なのです。



文化・習慣の違いで片付けられない、劣った点が多々あるのは事実です、ここフィリピンに。でも、劣ったというときに、その比較対象は奇跡の国になっています。それはフィリピンが可愛そうです(笑)。


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LRT・MRTに時刻表ありません。でも、秒単位のダイヤのほうが異常なんです。


車の運転は無茶苦茶です。でも、夜の田舎道、対向車も歩行者も何もないのに、赤信号を待っている国民が異常なのです(笑)


警察は公私混同、金目当ての連中です。でも、日本の警察がすごすぎるのです。


働かずプラプラしている奴がやたら多いです。でも、日本人が働きすぎなのです。


人の迷惑を顧みない奴が一杯です。 でも、日本人のマナーが良すぎるのです。


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日本のことを買いかぶりすぎですか?そうは思いません。少なくとも昭和の日本までは。このように誇れる日本であり続けて欲しいものですが、もう無理にようです。奇跡の国は、どんどん普通の国になっていくような気がします。



私はフィリピンが大好きです。フィリピン人も大好きです。

奇跡の国から、上から見下ろすことを自戒したとき、すごく住みやすくなりました。

2012年1月25日水曜日

フィリピン 介護生活を考える② ホームシック

フィリピン介護生活の影の部分を先に書こうと思います。

今回は母親についてです。親父の場合は特殊ですので、また次回に。
  
フィリピンの介護生活の最大の問題点だと思います。
じじばばの 『ホームシック』 です。 

『日本へ帰りたい。』 『京都へ帰りたい。』

これを母親がよく口にします。特に、嘆いたり泣いたり、何か感情が高ぶったときに必ず言い出します。



  2年間、フィリピンで重度障害の母を介護する日々を送ってきて、やはりどうにもならない問題。それは、ありきたりですが言葉の問題です。フィリピン人の介護スタッフも、片言の日本語を勉強して、意思疎通をはかろうとしてくれる人もいます。でもやはり、まともな会話は望むべくもありません。我が家の場合は、私と親父がいるので、会話はもちろんしますが、この2年間、母はその2人としか、ほとんどしゃべったことが無いのです。



  以前、日本人の整体士の先生に自宅で施術してもらった時、マッサージそっちのけで、母はしゃべりまくってました。話しができるだけで、うれしいと、壊れた頭から本音がでていたような気がします。以前、近くにあった、喫茶店『じゃんけんぽん』に行って、日本人のマスターが色々話し相手になって頂いたとき、母は本当にうれしそうでした。



  日本にいれば、例え施設に入っていても、そこのスタッフさんと、家に居ても、時折訪ねてくる親戚・友人と、挨拶もできれば、雑談も出来るわけです。ここでは、それが出来ません。 特に母のような重度障害者は、頻繁に出歩くわけにもいかず、知り合いもできません。



  そこに輪をかけて、引き篭もりをしている親父に引っ張られて、家の中でも孤独になりがちです。これは次回の話題ですが、フィリピン人を毛嫌いする親父によって、母はフィリピン人との接触をかなり遮断されています。以前は、玄関先で、おやつでも食べながら、みんなで和気藹々と話しをするような場面もあったのですが、親父がそれを決して許しません。まあ、これは我が家の特殊事情ですが。



この日本へ帰りたいというホームシックは、全て上手くいっているフィリピン介護生活を根底からぶち壊す力を持っています。





日本へ帰りたいという気持ちは、ここフィリピンが嫌いという思いに直結します。

フィリピンが嫌いという思いは、ここにいる人間が悪いという思いになります。

結果、母のことを思い介護している人間が悪者になります。

その悪者の筆頭は私です(大笑)。





  母は脳卒中のためとはいえ、やはりかなりボケていますから、自分のおかれている状況を理解しません。いや、理解できるのですが、理性が感情に勝てません。日本では、考えられないほど、恵まれた介護環境にいるのですが、そんなことは、ホームシックという強烈な感情の前では、全く関係ありません



結局、母は自ら望んでフィリピンに来たわけではないのです。フィリピンに行ったほうが良いという状況の理解も半分程度でしょう。ということは、連れて来られたという表現が、母には一番しっくりくるのでしょう。



体は不自由でも、頭がしっかりしていれば、転地による全ての状況の好転も理解できるでしょうし、それに対する感謝の気持ちもでてくるのでしょうが、いかんせん、母にはそれは無理です。



結果、母を幸せにしようというフィリピン介護生活が、母を不幸せにしているのではないかという思いが出てくるのです。
壊れてしまった母の頭。母にとって何がベストな状況なのかを判断するのは、母自身ではなく、私を含めた周りの者なのです。それは分っているつもりですが。。。。。




ホームシックはフィリピンのせいでは無いです。これが、日本の何処かであっても、母の憧れのハワイであっても、どこでもホームシックは出てくるのでしょう。ただ、言葉の問題で、ホームシックが大幅に増幅されているのは確かです。




フィリピンでの介護生活。衣・食・住ほか全て問題ありません。マンツーマンどころか、母1人に対して、2名のスタッフが付くという、日本では考えられない好環境が実現しています。



ただただ、このホームシック。



状況の好転を理解できる頭が健在であればいいのですが、母の程度までボケてしまうと。。。。。このホームシックという問題1点で、諸手を挙げてフィリピン介護生活を推奨する気になれない私です。

2012年1月23日月曜日

フィリピン あきれるBDOのATM

  BDO バンコ・デ・オロは私が2つ口座を持っている銀行です。近くのプレジデントアヴェニューブランチなのですが、ここのATMは2回に1回は、オフライン。 ここの支店がひどいような気がするのですが、BDO全体にオフラインが多い気がする。

  何回もやられました。財布の中のキャッシュは少し足らないが、出先で引き出せばいいと思って、キャッシュカードを持って出ても、肝心のATMがサービス停止中。金が引き出せず困った思いを何回もさせられました。

  日本だったら、銀行のATMがサービス停止になったりしたら大問題。 頭取が記者会見して、謝罪するレヴルですよね。ここフィリピンでは全く平気です。利用者も、すごすごと引き下がって何も言わないようです。これが普通だという感覚なのですね。

  大企業も含めて、ビジネスの決済に、未だに小切手や現金が多いようなので、決済機能の重要性は日本とは比べ物にならないくらい低いのだと思います。

  はああ。これにも慣れないといけないのですね。

  家に現金を持ちたくないのですよ。家庭内泥棒が再発すると嫌ですから。財布の中には、必要最低限しか持ちません。でも、ATMがこれではね。いざと言う時困りますね。 ったく!

2012年1月21日土曜日

フィリピン 色々舞い込む商売話し

  
  今日は滅茶苦茶暑かった。到底1月とは思えない陽気。それでもカラッとしていたので、日が沈んでからは、凄く涼しくなってます。

  ここ数日、立て続けに商売の話しが持ち込まれてきました。 まあ、フィリピンでは常にそうなのですが、こんな商売どう? なんて感じのお誘い・ご提案が、よく舞い込みます。


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  日本で商売していた頃の私は、行け行けどんどんタイプ。

  『石橋は、とりあえず渡ってみよう!』

  という感じだったのですが、

  フィリピンでは、

  『石橋を叩いても、まだ渡りません』(笑)。


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フィリピン人相手の生活も長いので、もう慣れたものです。ニヤニヤしながら相手の話を聞く余裕です(笑)。まあ、大概何も考えずにしゃべってますから相手は。聞き流すに限ります。ろくな話しは無いと思ったほうが良いです、というか、ろくな話しありません。

しかしながら、

今まで色々やって来たことは、ことごとく失敗だったのですが、それは私が日本にいた時のこと。私がここに居て、現場に入り実際に見て、金の出入りは自分が完全に管理し、重要な決定事項は全て自分で下す。そうしたら、極々小さなお店ですが、順調に利益を生み出してます。




ここフィリピンでは、

任せる = 失敗

です。これはもう確実にそうです。



色々の商売話しは全部聞きます。ちゃんと聞きます。
そして、リサーチして自分で判断します。
自分の判断と、自ら現場を見届けること、金は絶対に自分が握ること。


生業レベルであるから、尚更、この原則は重要です。


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例えばサリサリストアのことを、駄目な商売の代表格みたいに言う人がいますが、それは、任せるからです。サリサリストアは堅実な商売の王様だと思いますよ。利幅が大きいかどうかは別にして、最も失敗しにくい商売だと思います。人に任せなければ

売上と粗利の違いが分ってない人。
前期在庫+仕入れー販売=現在庫。この意味が分からない人。
おつりの計算が出来ない人。
在庫を食う奴(大笑)。

そんな人だらけですから。

2012年1月20日金曜日

フィリピン FXはつらいね

  

 昨日は、キアポ・チャイナタウンに買い物に行ってきました。

家から、

トライシクル→FX→LRT→ジープ→FX→トライシクル

という行程でした。往路は、バクラランに所要があったので、バクラランでFXを降りて、LRTに乗り換えました。 帰りは、キアポからスーカット行きのFXがあるので、1本で帰ってきました。

  チャイナタウンのオンピン通りは、旧正月(チャイニーズニューイヤー)を迎えるための商戦真っ只中。チャイニーズドラゴン(獅子舞みたいなもの)が、練り歩き、見物客・買い物客でごった返してました。日本と同じで、正月には注連飾りみたいなものをするのですね。小さなみかんのついた木の枝や、パイナップルのお飾り物等など、正月の装飾品で一杯でした。

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公共交通機関のFXというのは、乗り合い路線タクシーです。 ライトバンや1ボックスカーで営業しているところが、日本の路線バスと違うところ。 フィリピンには停留所なんて無いですから、手を上げて車を止めて乗って、降りるときは、 『パラ!』(ここです!)、といって停めて降ろしてもらいます。 ジープと違って、エアコンがある車です。 

難点は、とにかく狭い。 3人掛けのシートに4人乗せるのが標準。7-8人乗りの車に10人が標準。 狭い狭い。 体の小さなフィリピン人はいいですが、私みたいに大柄の人間は、窮屈この上ないです。 自分が窮屈なのは我慢するとしても、私が乗ったがゆえに、他の乗客に狭い思いをさせていると思うと、恐縮するし。

昨日の往路、両隣が若い女性だったもので、気をつかって背もたれは他の3名に譲りました。私は背中を起こして、シートに浅く座り、前のシートにつかまってました。4人がどっかりと座って、背もたれを使うことは、余程小さな人ばかりでないと無理ですね。

アメリカ人なんか絶対に乗れません。


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◎フィリピンのFX 賢い利用法

倍額払って、助手席を占拠させてもらうことです
スーカットからバクラランまで、FXは30ペソ(安い!)、倍額はらっても60ペソ。 助手席を占拠させてもらえば、タクシーのような快適さです。
フィリピンの公共交通機関はとにかく安いですから、上手に利用したいものです。

2012年1月18日水曜日

愛子に会いにきてくれた 故ポールさん

  
別にオカルトの話しではありません。脚色なし実話です。
 

ここ2日間程、愛子の様子がおかしくて、夜になると何かに怯えたように泣きました。 私が抱きかかえると安心して寝るのですが、布団の上に寝かせると、とたんに泣き出します。 抱きかかえても、宙を見るように目を泳がせて、私の目から見ると、本当に何かに怯えているようでした。



  『 病院に連れて行ったほうがいいのだろうか? 』

  私が言うと、嫁さんは、

  『 誰かが愛子の後ろにいる。。。。。』

  私にバカにされるのを気にしながら、言いました。



バカにするどころか、私も様子が変だから、そういった類のことを想像していたところです。教会に行ってお祓いしてもらうか、、と真面目に考えました。

昨日、午後から少し元気になって、今日はいつもの愛子に戻ってます。






そして、今日の朝、電話が入りました。

ここの家のオーナーからです。 ここの家の管理をしていて、よく遊びに来てくれる、そして、愛子のグランドファーザーでもある、おかまのポールさん(オーナーの弟)が、昨日、旅行先のセブで亡くなったとのこと。。。。。まだ、30歳そこそこの若さ。。。。

首に出来た腫れ物を、手術されたのですが、経過が思わしくなかったようです。

この家は、ポールさんの実家。 私たちの使っている部屋はもとポールさんの部屋。

愛子を、可愛い可愛いといって、とてもとても愛してくれました。





  嫁さんと話しました。

『 多分、ポールさん、家に帰って来たんだね。。。。』

『 そしたら、大好きな愛子がいるものだから、、、、、、』


  愛子にも言いました。

『 それだったら、怖くないよ。 来てくれてありがとうって、言いなさい。。。』



ご冥福をお祈りします。


ありしひのポールさん、愛子の誕生日

2012年1月16日月曜日

フィリピン生活 健康のための中国茶

 昨日の晩飯はこれ。 かぶりつくのが美味いから、どうしてもこんな食事がおおくなる。


炭火で焼くポークバーベキュー
 

  以前に、心臓の血管がつまって手術したのも、2年間に渡るフィリピン食生活が原因だと、ひそかに思っている。 野菜はふんだんに採るようにはしているが。

 そこで、健康のためにはじめたのが、食べた油を排出する中国茶。 以前、シンガポールを訪れたとき、中国人は脂っこい食事が多いにもかかわらず肥満が少ない。 全ては食事の時の、お茶の効用ですと、教えられた。なるほど、中国人には、どっぷりした肥満体が少ない気がしますね。反面、フィリピン人やアメリカ人は、デブばっかり。醜いデブがやたら多い(笑)。ここは中国何千年の歴史に習って、お茶を始めました。




 鉄観音茶と書いてあります。 チャイナタウンで、シンガポールの人が飲んでいたプーアール茶を求めたら、同じような効用だと、これをすすめられました。

 便秘薬のような効きすぎもなく、毎朝、自然な感じでお通じがあります。 なんというか、下腹がすっきりする感じですね。良いです。

 フィリピン人はやたら早死にが多いし、ハートアタックがやたら多い。 そうならないように、健康には気をつけたいものです。 愛子ちゃんのためにも、まだ死ねませんから(笑)。

2012年1月15日日曜日

フィリピンから応援 行け!行け!橋下徹

  
  ある意味、私は祖国日本に絶望しています。数年前までは、本当に国を憂える真性保守派国民だったのですが、自民党時代の最後の希望だった安部政権が、訳のわからないうちに倒れてからは、悲惨の一言。

  民主党が政権を取ったときは、これで日本も終わりだと直感しましたが、まさにその通りの展開です。マニュフェストに書いたことは嘘八百でいいのですか? 官僚への対決姿勢は何処へ消えたのですか? それでも怒らない国民も、どうかしてます。 クーデターものですよ今の民主党政権は。昔のフィリピンのピープルズパワーのような、革命が起きてもおかしくない程の、超最低政権だと思います。

  色々の人の顔を思い浮かべて、日本のリーダーになって欲しい人がいなくなったとき、私は日本をあきらめました。。。。。。このまま、3流国家へ、亡国の道を歩むのだと。


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  私が大阪市民の時に、彗星のようにでてきた橋下徹大阪市長(前大阪府知事)。 数年後、日本を任せられる可能性のある人は、この人しかいないのではないでしょうか。

  はじめは、タレントあんちゃん弁護士が何が出来る!と思ってましたが、どうしてどうして。最近では、威風堂々カリスマ性が出てきて、体からオーラを放っていますよ、本当に

  とにかく堂々たる 『正論正面突破』 これがいい。実にいい。じつにエネルギッシュ。 

  橋下徹大阪市長の言動のニュースみているだけで、気持ちが爽快になる、そして笑顔になる、最後には頑張れ!という気持ちになって涙が出てくる

  『正論正面突破』 されると、反対者は悪役にならざるを得ないのです。小泉流の抵抗勢力つくりにも似たところがありますが、違うのは、橋本氏の場合は、本当に分りやすい正論だということ。

  府・市の二重行政のことなど、府民であれば誰でもわかること、わかっていたこと。それを何十年間、誰も何もしない。水道事業が2つあれば、2つの組織があり、倍のポストが儲けられ、倍の人数のクソ公務員が、鼻くそほじくって新聞よんで、高給を取っているなんてことは、猿にでもわかること。でも、歴代の知事市長を含め誰も何もしない。水道事業が府・市それぞれにあることなんて、府民市民のメリット何にもありまへんで!

  府知事時代に、動かない大阪市を動かすために、敵のトップを奪取した大阪ダブル選挙は、橋下氏の真骨頂。 それを圧勝に導いた大阪市民も素晴らしい!

  昨日のニュースだったかな。市役所に陣取る労働組合に対して、出て行け! もう拍手喝采ものですな。 本来、鋭く対立しなければ意味のない経営者と組合。 それが今の世の中は、馴れ合いもいいところ。 茶番で労使交渉やってんじゃねえぞ。 橋下市長には先が見えたのでしょう。今後の最大の抵抗勢力は組合だと。 まさに、いきなりの正面からの戦線布告。 それも、税金で運営される市役所に6割引の格安で入っているとは何事だ! という全くの正論付き。 胸がすくとはこのことです。


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  はっきり言って、この 『正論正面突破』 が国政の場で、やり切れるかは分りません。 でも、数年後、是非、国のトップを奪取して欲しいです。 そして、本当の意味での霞ヶ関解体による統治機構の根本的変更、そして、 『正論正面突破外交』 で、自立した主権国家、日本を復活してほしいものです。



  民主党の、アホばっかりの政治家が皆言います、

 『国民の声を聞いて、国民の目線にたって・・・・・』

 アホか! リーダーが大衆の声聞いてどうする!大衆の目線でどうするのだ!


 国民がリーダーの声を聞くのでしょう

 大所高所から大衆を導くのがリーダーでしょう!


橋下徹総理大臣。 
国民は必ずや、その声を聞き、絶大な支持を寄せることでしょう。

頑張れ! 橋下大阪市長! 

2012年1月14日土曜日

家庭内使用人 田舎から出てきたお姉ちゃん

 
 例の家庭内盗難事件の後、結局1人辞めて、後任探しが難航を極めていた、我が家の使用人探し。 知人の紹介で、やっと決まりました。 今日から、マリアンというお姉ちゃん、ステイインです。

 これでやっと2名体制。 どうしても2人要ります、我が家は。 結局残留した、マリビックおばちゃん(4?歳)と、今度来た、マリアンお姉ちゃんです。

 新人のマリアンお姉ちゃん。23歳。ビコールのタバコ市近郊の田舎から出てきました。 知人の紹介で、マニラで働き口があるとのことで、我が家の仕事をするために上京してきたお登りさんです(笑)。 マニラの滞在経験はマカティに6ヶ月だけ。 ずっと田舎暮らしとのこと。 昨日、叔母さんに伴われて我が家にやって来ました。

 このパターンこそ、私が希望していた形。 というのは、このマリアンお姉ちゃん、マニラには帰る先が無いのです。 ある程度覚悟を決めて田舎から出てきてます。頑張ってくれるでしょう。 近所の人とか、知り合いとか、どうしても腰掛感覚で、ちょっと嫌なことがあると、すぐに辞めてしまいます。 今度の、マリアンお姉ちゃん、長続きしてきれるといいのですが。

 うちには、親父という、”いびり” をする大敵がいますので、精神的に頑張れるかです。

若いだけあって、明るくて元気。 挨拶もキチッと出来るので、第一印象は良好です。

たのむ! 頑張ってくれ! もう人で苦労するのはコリゴリ。

あるフィリピンファミリーとの復縁

  
  先日、久々に夜出かけたという記事を書いたが、一緒に行ったのはフィリピン人のC君。男です。36-7歳になるのかな。 このC君は、2年前までは親友といっていい仲でした。出会ったのは、かれこれ7-8年前。 正直で実直。頭は悪いが、悪い奴では決してなかった。

  大阪のクラブでウェイターとして働いていたC君。私がフィリピンに通うようになってからは、何時も出迎えから、案内から、ボディガードから全部やってくれました。 いつしか、彼の家族とも親交が深まり、カローカンのボロ家にも何度も訪問しましたし、日本語を話す嫁さん、ロロ・ロラと子供たち。 それはもう、まるで私の家族のようになっていました。

  でも、いつしか色々な援助要請が多くなりました。商売の軍資金、入院代、薬代、等々。おきまりのパターンです。私もフィリピンへの足がかりが欲しかったので、大した額じゃないので、これで、友情が更に深まるなら、という安易な考えでした。 しかし、それにも限度があります。 彼らは、借りた金は必ず返す、と言います。 返すあてはありません。 でも、誠心誠意、返すと約束します。私の家の玄関口で、夫婦そろって土下座して私に謝ったこともありました。



 他のフィリピン人のおじさんからアドバイスされたことがあります。

『あなたに金が無くなったとき、友達でいてくれるのが、本当の友達ですよ。』 と。



 嫁さんからも言われました。

『あのファミリーとは、しばらく距離をおいたほうがいい。』 と。




そして2年間。私がC君ファミリーに取った行動は、金の蛇口は完全に閉めるのはもちろん、貸金の返済を法的にガンガン迫りました。バランガイとポリスで書類にサインさせて、いつでもCを収監出来るところまで持って行きました。


私の強烈な意思表示です。


『私からはもう一銭も金は出ない、さてどうする?』




そして、一昨日、ほぼ2年ぶりに会いました。 Cの嫁さんとも電話で話しました。
終始一貫、

借りた金は返す・恩は忘れていない・私のことをいつも心配してた

とのことでした。一緒に話した感じも昔と変わらなかった。。。。




金が絡んでしまうと、ここまで踏み絵を迫らないと信用できなくなってしまう。もともとCは、タクシーの運転手をしていても、メーター以上を客に要求することも出来ない小心正直者。私の取った行動が間違っていたとは決して思わないが、随分と回り道をした友情だ。


金は一銭も出さないのは、これからも同じ。彼らもよく分かっているはず。 それでいて、昔の友情が復活できるなら、それでよし。


ラーメン一杯おごってやって、むちゃくちゃ美味そうに食っていたCを許す気になった私です。

愛子ちゃんの英語の発音

  1歳と9ヶ月になる我が家の愛子ちゃん。我がままが激しくなっておりますが、正に可愛い盛りです。言葉も大分出てきました。やはりタガログ語中心ですが、英語も出てきます、そして少しの日本語。

  部屋でパパ(私)がひっくり返って寝てました。私の足の裏を指差して、愛子ちゃん大きな声で、
 
 『 Dirty! Dirty! 』 (汚い!汚い!)

 言われて自分の足の裏見ると、真っ黒(笑)。 フィリピンに来てスリッパ履きが多いので、ついつい足の裏は汚れがち。 そのかわり水虫は自然に治りましたが。

 そんな話しはどうでもいいんです、愛子の 『Dirty』 の発音の見事なこと。日本語には無い、舌を巻いて発する ”R" のこもった音が見事に出ています。 思い出します、大学時代に英語を学んだ時、舌を口の中で上に巻いて、”R" の発音を練習しました。 そんな練習なんか全くいらない。 テレビのディズニーの影響か、日本語には無い英語の音を、しっかり発音してる愛子です。

 最近、流行のキャラクターに、 『アングリーバード』 という奴がいます。 これを愛子は、 『Bird! Bird!』 と呼びます。 このBird(鳥)の発音がまたしっかりしたRサウンドです(笑)。

 愛娘・愛子の成長を心強く見守りながら、タガログ語はおろか、英語力でも、すぐに私を追い抜いていくのだろうなと思います。 日本語が出てこないのが寂しいですが、まあ仕方ありません。おいおい習得していくでしょう。

愛子ちゃんの代表的日本語

『ネンネ、ネンネ』  (寝んね、寝んね)

『 タイ! タイ! 』 (痛い!痛い!)

『マイ マイ』  (甘い 甘い)

こんなとこです(笑)。


アングリーバードとはこいつ。日本にもあるのかな?


2012年1月11日水曜日

自戒 自分のものさしでフィリピン人をはかるな

 
 最近、心がイライラすることが多い。2年間フィリピンに滞在していて、まだイライラする。何もかも経験済みで、分っているはずなのだが、どうにもイライラする。

 ダメですね。本当に。修行が足らない。

 私の、 『元経理マンの典型的A型日本人』 の血はかなり濃い。 そう思います。

大体、この2つの言葉

『元経理マンの典型的A型日本人』 と 『フィリピン人』

が、相容れる訳が無い(笑)。

全く相容れないものだから、惹かれるのでしょうね、フィリピンに。でも、時々、 『元経理マンの典型的A型日本人』 の血が騒ぎ出す。 『元経理マンの典型的A型日本人』 の物差しでフィリピン人をはかって、どうするのだ。 

過剰な期待を人にするのも、やめましょう。 期待すると疲れる結果になりますから。

もうちょっと、ゆっくりおおらかに。

何のためにフィリピンにいるのだ。

『元経理マンの典型的A型日本人』 を全開するのは、自分の部屋の、自分のデスクだけにしよう。

でも、 『元経理マンの典型的A型日本人』 は大切な自分のアイデンティティー。 今まで書いたことに反するかもしれないが、この血があるから、フィリピンでやっていけるのだ。 それは確かだ。 このアイデンティティーが崩壊して、フィリピン人化してしまえば、決してやっていけないと思う。

フィリピン 超久々 夜のお出かけ

 昨日、色々あってムシャクシャしていたので、旧友を誘って繰り出してしまった。夜の9時、車をレメディオスサークルに停めて、一歩外にでると、懐かしい懐かしい夜の街。エルミタ・マラテ。よく遊んだなあ昔は。

  ぽん引き連中、フィリピンの若人、多国籍の観光客、乞食、物売り、日本式KTVも頑張ってますね。私の知っている頃とは、かなり店の名前が変わってますが、アドリアテコ・マビニ通りなんかを歩いていると、日本語でのお店のぽん引きも健在です。悪いもんじゃないですね、あの雰囲気。昔だったら、血が騒ぎ出したのですが、今は全然。特にKTV遊びは心から卒業していますね。行きたいとも思わない。決して嫁さんに遠慮している訳ではない(冷汗)。ははは。

  昨日は、遊びに出たというよりは、用事があって旧友に会ったので、ババエのいる店には行きませんでした。居酒屋でラーメン食って、BARで話し込んで、屋台で夜食を食って帰ってきました。それでも帰ってきたら深夜2時でした。

  最初に寄ったのは、居酒屋『大虎』さん。大将のブログを見て知っていたので、ちょいと寄ったのですが、醤油ラーメン美味かった。 スープまで全部飲み干してしまった。 面白いのは、まるで大将と客が一緒になって、競馬中継を楽しんでいる! 何をかくそう、私は競馬マニア。フィリピン競馬にも大分精通して来ました。 皆さんの話し聞いているだけで、楽しかった。 今度は競馬新聞もって行くかな(笑)。

酒処 大虎さん ホームページ
http://www.geocities.jp/ootora0216/index.html

2012年1月9日月曜日

キアポ・チャイナタウンを征服したい

 
 やっと嫁さんから、キアポチャイナタウンを1人でウロウロしてもいいという許可を得たので(笑)、出掛ける気満々だったのですが、なんと今日は、ブラックナザレの祭りの日。900万人?(ほんまかいな・・・)の信者一時に祈るとかで、テレビでもその大騒ぎ振りが報道されてました。

  さすがに今日は行くのをやめました。

 大統領からテロリストの注意報まででてましたから。そんなところにノコノコ1人で行くわけにはいきません。

 ダウンタウン探検が好きな私。汚い格好して、帽子を目深にかぶり、ポケットに小銭押し込み、手ぶらで歩きます。 ぱっと見て、日本人に見えないようにして歩きます。

どうも最近、そんな心配しなくても、誰も私を日本人とは見てないようだ、、、。平気でタガログ語で話しかけられるし。。。。フィリピン人化が進行しているのか。。。。。

 バクラランをほぼ制圧したいま、次の興味はキアポチャイナタウン。何回も行ったことはあるのですが、車かタクシーで用事を足しに行ったことばかり。 散策という形で街をあるいたことありません。パッシグ川の橋を渡った瞬間に始まる、オールドマニラのダウンタウンの喧騒が好きで、今度じっくり歩きたいと思います。

 バクラランディビゾリアは、安物安売り・卸売りのイメージですが、キアポチャイナタウンはマニアックな感じがしていいですねぇ。人を案内できるくらいまで、街に精通したいなと思います。

フィリピン 介護生活を考える① 必要条件

  
  日本で完全に行き詰まった老老介護生活。 それが、ここフィリピンという異国の地に来て、2年間やってこれたのは、やはり我が家特有の環境があったからです。 それが無ければ、全く出来ない話しです。 もっとも、その条件を満たせる人は、極めて少ないと思いますが。

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《介護生活の場をフィリピンに移せた理由》

①私がいること

当たり前ですが、私という息子の存在が無ければ、フィリピンで介護生活をするなんてウルトラCは決して出来なかったと思います。では、『私』が持っていた出来る条件とは何か。

『私』の条件

 ◎ある程度、フィリピンという国柄、フィリピン人という人柄を理解していたこと
 ◎英語、タガログ語でフィリピン人と意思疎通が出来ること(生活レベル)
 ◎嫁さんがフィリピン人であること
 ◎日本料理が出来ること
 ◎親の面倒を見ようという覚悟があること


  40数回の旅行を重ねたフィリピン。当然住んでみるまで、分らなかったことはありますが、両親を連れてフィリピンで生活するというイメージは明確に持つことができた。言い換えると、出来るという自信をもてるくらい、フィリピンのことが分っていました。



②フィリピン人の嫁さんがいること

『嫁さんの条件』

 ◎日本滞在の経験があり、日本人の生活様式をある程度理解していたこと
 ◎片言ではあるが日本語が出来ること
 ◎親の介護生活に同意してくれたこと
 ◎家の中を仕切れる能力の持ち主であること
 ◎フィリピンにおける社会常識のあること


  うちの嫁さんもタレントあがりには違いないですが、自分で言うのもなんですが、これなら大丈夫と思えるだけの、能力の持ち主です。 何の能力かというのは、表現が難しいのですが、、、、まあ、パッパラパーの姉ちゃんではダメだということです。私の過去のフィリピン人彼女たちを思い出しても、適格者は1人もいません(笑)。本当に自分の国のことを、何にも知らないババエ多いですから(笑)。



③定期的収入のあること

両親には『年金』があります。低額年金者といってもいいくらいの額ですが、2人合わせて、場所がフィリピンなら何とかなる金額です。年金じゃなくてもいいですが、とにかくフィリピンで稼がなくても何とかなる収入のあることです。ここで稼ぐのは至難の業。私はその至難の業を成し遂げようと思ってますが。



④日本の協力者と連絡先があること

我が家の場合は、私の姉が日本サイドの面倒を見てくれています。何せ見切り発車したフィリピン介護生活。両親の家も、そのままでほったらかしにして来ましたから。


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フィリピンを理解している日本人(私)、日本人を知っているフィリピン人(嫁さん)が、いる事が絶対条件だと思います。語学の能力も必須です。

2012年1月8日日曜日

フィリピン コネクションを自慢する輩

『大丈夫、私のお父さんの友達は、メイヤーの友達だから。』

『任せなさい。私の友達のお姉さんは、バランガイキャプテンの秘書だから。』

『私の従兄弟はポリスの偉いさんだから。』

『このビジネスは凄い。バイスメイヤーに話してあるから。』


 てな具合で、訳の分らない人脈コネクションを、さも凄いことのように自慢する輩が多いです。 これは私がまだ単なる旅行者の時から感じていたことです。フィリピン人だけではなく、怪しげな在フィリピン邦人にもこういう人が多い。

 コネが物を言う社会であることは事実でしょう。日本人の正常の感覚から言えば、例え市長の友達であっても、それがどうしたということになる。ルールはルール、法律は法律、黒のものを白には出来ないでしょうし、そんなことしてはいけないでしょう。 これが普通の感覚。

 でもここフィリピンでは、本当に有効なコネクションがあれば、黒を白にしてしまうことが出来るようです。当然、袖の下という金が必要なことは言うまでもありませんが。 いや、逆に多額の袖の下が出せる人には、そういうコネクションが向こうからやってくるのかもしれませんね。

私はその手の話しが大嫌い。

理由は、何の役にも立たない場合が多い。
そして、危ない臭いのするところには決して近づかないのが、フィリピン生活の信条だからです。

日本に居る時は、危ない話し程、儲けが大きいなんて考えて、無茶してたこともありますが(笑)。ここでは、私は異邦人。 君子危うきに近寄らず、です。

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(実際に使ったことがあるコネ)

実にくだらないコネばかりですが(笑)、一応有効だった経験です。

◎嫁さんの友達=MMDAの隊長クラスのEさん

 2回助けてもらいました。車運転中に違反で止められたときです。そのEさんは、そこらの路上にウロウロしている交通取締り官からすると、 『YES SIR!!!!』 となるくらいの人らしいです。違反切符を切られるところが、その場の電話一本で、100ペソの手数料で終わりになりました(大笑)。


◎私の知り合いの日本人の方の嫁さん=市役所の婚姻係のスタッフと懇意

 これは助かりました。当地で超ややこしい結婚手続きが実にスムーズ。あちこちで待たされたもありませんでした。当然、必要書類はキチンとしましたが、いわゆる超特急処理というやつで、優遇して頂きました。そのお姉さんへの袖の下は、1000ペソを2回くらいだったと思います(笑)。


◎嫁さんの幼馴染=LTO(陸運局)の職員

 LTOは待ち時間の長いことで悪名がとどろくところですが、お陰で私はLTOで待った経験がありません(笑)。免許の発行も、更新も、単車の届出も、実にスムーズに終ります(大笑)。 袖の下は、500ペソくらいだったかな。 これは安いと思った(笑)。

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まあ、このくらいに話しだったら笑いで済みますね。
これくらいにしておくのが、安全に生きるコツですよ。ここでは。

2012年1月7日土曜日

フィリピン 久々に凄い光景を見た

  昨日のこと。 単車を飛ばして1人で、キアッポに行きました。 正確にいうとキアッポの隣の、ビノンドにあるチャイナタウンに用事があったのです。 その用事は、関係ありません。

  帰りのこと。 ロハス通りを南へ向ってはしっていて、信号で止まったのです。 

 ふと、右の路側を見ると、乞食がいます。 

 汚い汚い、ほこりと砂だらけのコンクリートの上に、幼児が全裸でうつ伏せで寝ています。体の大きさからして、2歳未満でしょう。 お尻をこちらに向けて、顔をコンクリートに直につけて、寝ています。 寝ていると思います。 死んでいるのかもしれません。

 その傍らには、はっきり狂人の相が見える母親と思われる女性が、座っています。服というより、ボロキレをまとっています。顔は真っ黒です。

 さらには、寝ている子供の兄弟と思われる小さな子供が、これまたボロキレをまとって泣き叫んでいます。年のころ3歳くらいでしょうか。

 そして、母親に話しかけている男が1人。 これは何者か分りません。信号の停車中の時間しかありませんでしたから。

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以上が見た光景です。

寝ていた子供ですが、不思議と痩せていないのです。 むき出しのお尻しか見えませんでしたが、丸々とした幼児のお尻でした。

うちの愛子と同じくらいの年恰好に思えたので、余計に印象に残りました。

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何で、こんな子供がこの社会にいるのでしょうか?

別に、ここフィリピンでは珍しくも何とも無いです。 ただ、私が久しぶりに凄い光景を目撃しただけです。 昔、旅行者として、マビニ等を徘徊していた時は、よく見かけたのですが。 それにしても、ここまでひどい子供の寝姿は初めてです。 路上で寝ていても、母に抱かれていたり、ダンボールや新聞紙を下に敷いていたりしたものです。

お金が無いからですか。。。。。。。。。。。

ここフィリピンにあるのは、経済的困窮のみ。 経済的に困窮していても、餓えはありません。コンクリートに突っ伏していた子供も、決して食べていない体ではなかったです。

自然に思いっきり恵まれた、フィリピンは飢えとは無縁です。

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何で、あんなに可哀想な子供がいるのだろうか?

それも母親と一緒に居ながら。。。。。。。。

バイクを飛ばしながら、考えがめぐりました。

フィリピンは共産主義にしてしまえばどうか。

どうせ、怠け者が多いんだし、貧富の格差は凄いし、金が万能の汚職社会だし、子供の命も金次第、、、、そんな社会だったら、いっそ金の重要性を無くしてしまえばいい。

自由競争の資本主義というのは、個々の会社や個人が一生懸命、経済活動をして初めて全体として発達する。 アダムスミスの見えざる手は、個々が一生懸命活動しない社会では、機能しないのだ。ここフィリピンは、自由な資本主義の良い面は見られない、醜い面ばかりが見える。 私的所有の無い、国民全部が怠け者になる共産主義が一番適しているのじゃないか?この国は。


大人はどうでもいい。 大人の乞食は蹴飛ばしたくなる。

でも子供はダメだ。子供には、守ってもらう権利がある。子供には庇護をうける権利がある。何よりも優先する、地球上全ての子供に共通の最強の基本的人権です。

それを守れない社会は、社会じゃない。

フィリピン 介護生活を考える 序章

 
 このブログ、日常のしょうもない話題ばかりで、肝心の本題にあまりふれていません。

  我が家は、左半身麻痺の母親、右足歩行障害の父親。 2人の日本人老夫婦を介護しています。 昨年末で、フィリピンに来て満2年になりました。 これから何年あるいは何十年この介護生活が続くのかは、神のみぞ知る、ですが、とりあへず2年間、フィリピンで過ごしてこれたということは、見切り発車した異国での介護生活は、成功していると判断していいのではないかと思ってます。

◎母親の状態

くも膜下出血の後遺症による左半身麻痺、及び記憶・知的・情緒障害です。 歩くことはおろか、立ち上がることも1人では全然出来ません。 寝たきりではなく、座位は保つことが出来ます。 頭のほうは、普通に話しも出来ますし、一見問題ないようにみえるのですが、新しい記憶が入りにくくなっていることと、情緒が非常に不安定で、突然泣き出して叫んだり、夜間せん妄があります。74歳。

◎父親の状態

大動脈瘤手術の合併症の脳梗塞による、右足の障害。歩くことはかろうじて出来ます。足を引きずりながら、杖あるいは歩行器につかまりながら、足を引きずりながら、ゆっくり歩けます。頭のほうは以前と変わっていません。73歳。


この両親2名を抱えて、何処の施設にも入らず、一から生活をここフィリピンマニラで立ち上げてきました。最初の半年ほどは悪戦苦闘の日々でしたが、今はもう落ち着いて、大過なく毎日を過ごせています。

両親の体の状態は、よくはなりませんが、現状をしっかり維持できていると思います。

自分で言うのもなんですが、色々と人のしない経験をしてきたと思います。

ブログでそれにあまり触れなかったのは、書きたいことがありすぎて、頭が整理できなかったからです。今後は順番に少しずつ、フィリピンにおける介護生活の実体験に基づいた、私の所感をゆっくり語って行きたいと思ってます。



序にかえて、

結論。

フィリピンの介護生活は、

十分にやっていける。
でも、やっていける条件を満たせる人は少ないであろう。

最大の問題は、

ホームシック。

2012年1月5日木曜日

フィリピン生活 通常営業です

  
  今日はもう新年5日。 クリスマス、NEW YEARとイベントも終わり、我が家の愛子ちゃんもすっかり元気になり、年末年始、うちに来ていた義母も帰り、いつもの普通の生活にもどってます。

  今の日本では、正月でも普通の生活をする人が多いので、小売店でも元旦に休業するところは、近所の商店街くらいのもので、何も不便を感じたことはないのですが、こちらのクリスマスや元旦はスーパーなどでも閉まっていたり、営業時間を大幅に変更していたり、気をつけないと不便を感じることが多いです。

  とにもかくにも、嫌なシーズンが終った。

  終ったとたんに、カンカン照り、やたら暑いマニラです。

2012年1月2日月曜日

フィリピン 正月から散々な日です。

  
  昨日の夕方から、愛子ちゃんが激しい下痢と発熱。 夜には熱が39、4度まで上がったので、近くのパラニャケメディカルセンターの緊急室に連れて行った。 今日は珍しく、元旦にもかかわらず、小児科の先生がいてくれて助かった。 ウンチのラボラトリーまでして、何かのばい菌を口にしたみたいで、まあ、激しくお腹を壊したという症状でした。 そんなことは初めから予測がついているのですが、薬を買うには、医者の処方箋がいりますし、検査をしないと処方箋は出ませんし、仕方ないですね。 全部終ったのは夜の2時でした。 

  今日は、症状は大分回復したのですが、下痢のせいで、おしりがかぶれて、可哀想。 イタイ・イタイと日本語で泣き叫ぶ愛子でした。 一日、看病にかかりきりみたいな正月2日目ででした。

  今は熱も引き、楽になったみたいで、すやすや寝てます。
なかなか華々しい新年のスタートをきってくれるわい、愛子様(笑)。



  元旦の夜、愛子のおしりふきを買いに、24時間オープンのマーキュリードラッグに行ったのですが、なんと40人待ち。 閑散とした元旦の夜なのですが、マーキュリードラッグの前だけ人があふれかえっていました。 他の店が早仕舞いしていることと、当のマーキュリードラッグも、限られた店員の出勤で対応しているためと思われますが、それにしても、ウンザリでした。

 明日は元気ないつもの愛子ちゃんにもどってますように!

2012年1月1日日曜日

フィリピン生活 壮大な私の夢

 元旦です。夢を語りましょう。前を向いていきましょう。
人間、自分の10年後なんてわかりません。10年となると生きているかどうかも分らない。 5年もちょっとながすぎる。 でも、せめて3年後くらいは、自分はこうなっていたいというイメージは持ってないといけませんね。 そのイメージがあるから、今日という日の過ごし方の方向性が決まるわけです。 細々としたことの判断の基準ができるわけです。

 ということで、私の3年後の壮大な夢を。

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住まいはメトロマニラもしくは近郊。
一戸建てもしくはタウンハウス。小さい家だけど綺麗。
ローンは組まずキャッシュで買った。嫁さん名義。
もう嫁さんに付いていくしかない(笑)。 

仕事は嫁さんの商売の手伝い。
ただ、入出金管理だけは自分で行う。帳面付けが私の仕事。

朝一番の日課は、愛娘の愛子を幼稚園へ送っていくこと。
車はトヨタのヴィッツ(フィリピン名ヤリス)。
私はもう少し大きい車が欲しかったが、嫁さんの希望でヴィッツ。
たまに天気のいい日は、自慢の自家用トライシクルで送って行く。
昼前に迎えに行く。
昼飯は親子3人一緒に家で食べる。

午後からは自分の時間。
私の小遣いは1日100ペソ。
毎日サリサリストアで買い物。タバコ・飲み物・お菓子。
玄関先のリクライニングチェアに座って本を読む。
愛子が遊んでとうるさい。
近所の暇な友達連中が、やって来る。
うるさいので2階のベッドルームに逃げ込む。
うとうとしたら夕方。

嫁さんは店に行く時間。
夜飯のクッキングは私の仕事。
3人で市場で買い物して、嫁さんは4店舗の見回りへ。
愛子と2人で家に帰ってクッキング。
出来上がったら、テレビを見ながらママの帰りを待つ。
また、3人一緒に晩御飯。

週末は外食します。
嫁さんが好きなジェリーズグリルが多いです。

義母は毎週のように訪ねて来ます。
悪かった親子関係も良好です。

嫁さんの兄貴2人は、何とか自活しているようです。
それぞれ、理容師とセキュリティガードの仕事があります。

私は日本への退路を断ちました。
万一のために医療保険はフィリピンで入ってます。

小さな小さなものですが、絵に描いたような幸せがここにあります。

フィリピンより 謹賀新年

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

朝霧がかかって、COOLな初日の出
昨夜の花火の煙ではありません