2011年8月20日土曜日

フィリピン人的 刹那主義的な生き方、、出来ない。

  フィリピーノは、夜越の金を持たない、、とよく言われます。

  あくまで、庶民レベルのフィリピーノに関してですが、 刹那主義的といいますか、その日暮らしといいますか、明日には明日の風がふく的といいますか、長期的な人生計画なんてものは、全く頭に無いような気がします。

  実はそれが、彼らの幸せの秘訣かもしれません。だって、いつも楽しそうですよ。日本人の勝手な見方からすると、あんな家に住んで、お金もなく、生活大変で、、大層不幸に見えてしまうのかもしれません。

 でも、彼らは笑っています、家族や仲間と楽しそうです

  思い出すのは、大阪梅田の地下街、時間は朝8時半。 会社へ向かうサラリーマンの大群。 まだシャッターの開かない地下街に、響き渡る、革靴の音。 疲れた顔、顔、顔。 笑顔なんて全くなし。疲れた日本人の、『ゾンビのような行列』に、ぞっとしたものでした。家庭で話しもせず、いやいやの会社で疲れ、人生と体をすり減らしていく生活。食っていくため、世間並みの生活をするため、家族を養うため、毎月の小銭のために、身を粉にする。 私も以前は、そのまっただ中にいました。

 言い過ぎかも知れませんが、ここフィリピンの人は、

『金が無い? それがどうした? いつも無い、みんな無い、でも死んでない。』

 こんな言葉が聞こえて来そうです。

初めてフィリピンという国を知り、のめり込んだ時、私の心に訪れた、コペルニクス的転換は、

『幸せとは何か?』

という問いかけでした。庶民的フィリピン人の幸せが、だんだん、私の憧れにまでなってきました。そんな、自分なりの幸せを求めて移住、そして、はや2年。

 先ばかり見て、将来の準備をする、準備ばかりしている。フィリピン人的。刹那主義的、幸せ感には、全然浸れません。心底、日本人である自分に、イライラします。でも、先を見ているから、どうにかなっているのも事実ですけど。

 どこかで聞いたことがある。
『目標とか欲を持たなければ、気楽で幸せになれると。』

フィリピン人的感覚かもしれませんね、これって。
どうしても。私には出来ない!!

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