前の記事で、大変えらそうなことを書きましたが、私の家族は、少子高齢化の典型例のようになってしまってます。両親は、それぞれ、昭和13年、12年生まれですが、子どもが3人いて、孫がいませんでした。私の長女が今年の4月に、フィリピンで生まれるまでは。
私の兄弟3人は、全て40代。 一人は未だ独身、一人は配偶者はいますが子ども無し、私は過去×1で、つい最近、今のフィリピン人嫁と結婚、長女が誕生しました。 母の年齢で子どもが3人いれば、二十歳そこそこの孫が、5人、6人、7人、8人といても、全くおかしくありません。というより、いるほうが普通なのではないでしょうか。
『核家族化』という表現がありますが、むしろ、『家族の一人化』です。私も含めて兄弟それぞれに、人生観も事情もあるのですが、、、。
ここで、昔の日本の。当たり前の、家族の風景を思い浮かべてみます。おじいちゃん、おばあちゃんに、長男の私、私の妻、私の子ども数人(といっても大人の年齢です)、更に子どもの配偶者、もしかすると曾孫も何人か。そして、未だ独身の弟。 例えばの話しですが、これだけ同居していれば、母が倒れたことくらいは、皆で力を合わせて、分担すれば、十分に、難なく、吸収できるのではないでしょうか。
そこに、介護の問題は存在するでしょうか? しません。 母は家族に囲まれて、幸せな老後が送れるのではないでしょうか。家族が立派に機能していれば、孤独死する老人がいるでしょうか?施設がそんなに必要でしょうか? 必要ありません。そんな家族の風景が、日本、特に都会では、消えて無くなってしまった。
家族の機能は、それだけではありません。おじいちゃん、おばあちゃんがいれば、孫や曾孫の面倒をみるくらいのことは朝飯前です。 嫁が働きに出たければ、いくらでも出来ます。そこに、保育所が必要でしょうか? 待機児童があふれかえるような事態があるでしょうか?
おじいちゃん、おばあちゃんがいれば、子どもの教育、しつけにも。大きなプラスになるはずです。おじいちゃん、おばあちゃんと身近に接して、敬う心を持ってたら、電車でお年寄りを前に立たせて、ふんぞりかえる高校生が出現するでしょうか?
私の兄弟は、全て独立して、別居、子ども無し。 この状態が、両親を、老々介護の地獄へと追いやってしまったのです。 長男の私が同居し、嫁がいて、立派な孫が数人いて、という昔なら、当たり前の家族があれば、ゆうゆう、母を守れるはずです。 でも、それが無かった。
私自身、高度経済成長の只中に生まれ、日本の精神崩壊の過程の時代に、育ちました。『高度経済成長時代』というのは、『高度精神後退時代』ですから。 受けた教育も、祖国を悪い国だと徹底的にたたきこまれました。 昔あった、修身のような、道徳的な教育、導きも受けた覚えはありません。個人の自由や権利ばかりを、尊重するよう教育され、自分のことばかり考える人間になっていたのは、否定する気はありません。
子どもを持つなんてことは、自分の人生に重荷になる、なんて、とんでもない考え違いをしていたこともあります。いや、つい最近までそうだったかもしれません。
フィリピンに接し、フィリピンの国民を知り、フィリピンが好きになるまでは。
ここフィリピンは、日本に比べ、様々な面で遅れています。特に社会インフラの面は、全くどうにかならないかと思いますし、汚職に代表される、金にたいするモラルの低さは目をおおうばかりです。日本に比べて、確実に何十年分はおくれています。
そのかわり、日本に何十年前にあった、家族というシステムが、日本の過去以上に、強固な形で存在し、ファミリーが社会の基礎をなし、それが、フィリピン社会の一番の特色であります。ものすごい数の家族は当たり前、少子高齢化なんてかけらも無い、子どもはどんどん生まれます。同じ屋根の下に住まないまでも、生まれた街を大事にし、そこに寄り集まって、困ったときには助け合い、おじいちゃん、おばあちゃんを大切にし、外国に働きに出て自分を犠牲にし家族を支える子たちがあり、、、。確かに排他的な一面はありますが、そこに、今、日本で起こっている問題はありません。全て家族という、社会の最も基本的なシステムが機能しているからです。
私は、フィリピンに接した時、
『なんで皆、あんなに幸せそうなんだろう。とても貧しいのに。』
『あんな一杯子どもつくってアホだなあ、金もないし、将来設計も無いのに。』
なんて考えてました。
今では、全く私の考えは、間違っていたと思います。
家族があるから、皆一緒だから、何は無くとも、笑顔がいつもあるのです。
金が無いから、将来が見えないから、子どもをつくり、家族を存続させるのです。
根本的に私の価値観を、転換させられました。フィリピン的な幸せの前では、私の追い求めていた日本的な、物質的な幸せは、色あせてしまいました。
自分の将来、老後を支えるのは、年金じゃなく、子どもだと、思うようになりました。
年配者を敬い、異形のものにとても寛容なフィリピン。それが、実感としてわかり、私の妻が、
『おかあさんと一緒にフィリピンに来なさい。ここなら、何とかなる。』と言ってくれた時、フィリピンへ母を連れていけると、確信したのです。
やさしいケアギバーと、メイドさんと、私の妻と、私と、親父に囲まれて、母が暮らしていく風景は、はじめから私の頭に描くことが出来ました。そして、細かな点はともかく、その通りになりました。
そして、私自身、ここで家庭を持って、生きて行きたいとの思いは止まりませんでした。
なんか知らないけど、、、暖かいのですよ。 気候だけじゃなく、人が。
写真は、プールサイドで、家のスタッフに囲まれる母。
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