ほとんど使って無い、新品同様の車椅子あります。
アラバン・フェスティバルモールのローズ・パーマシーで、4800ペソ+で買ったものです。 コンパクト仕様で、足は悪いけど、しっかり自分で座位を保てる人向けの、軽快な車椅子です。
3000Pで使っていただける方、よろしくお願いします。
メール jjwinkle14344@yahoo.co.jp まで。
2012年5月31日木曜日
フィリピン 生まれて初めて老眼鏡
最近、急速に本の文字が見にくくなった。 イヤダイヤダ。 これって、結構イライラする。 文庫本の文字が読めない、車の中で地図が見えない、競馬新聞の文字がわからない・・・・・・・。
どんなんでもいいから、買ってきて! と嫁さんに言って買ってきてもらった。100ペソ。
老眼鏡なんて、確か100均で売ってたように思うので、とりあへず何でもいいかと思って掛けてみた。 よく見える(笑)。
私の持論。 人間の体の部品、耐用年数50年論。 まだ数年あるが、徐々にあちこちガタが来るんだろうな。 目は既に来てしまった。 頭の毛は既に耐用年数を終ってる(笑)。 歯は今のところ頑強。 心臓は既にサイボーグ。 肩は全然大丈夫。 腰もOK。 なにも今のところOK(笑)。
各パーツの耐用年数は50年程度なのだが、人間の耐用年数は、日本では80年超の時代。 ここフィリピンでは、50年程度で終わりの人が多い。 これは、日頃の手入れの差。 それと、パーツの修理能力(医療)の差。 私の心臓だって、日本の病院で、保険使って、高度治療をしたもらったから、事無きを得ているだけ。 フィリピン庶民だったら、ハートアタックで死亡、40代半ば。 全く珍しくも何とも無い。
若くは無いのは自覚しているが、一層、気をつけていかないと。
自分の人生は、正直いつ終っても別にいいんだが(本音)、娘はまだ2歳。
まだまだ、一頑張りも二頑張りもしなければ。
どんなんでもいいから、買ってきて! と嫁さんに言って買ってきてもらった。100ペソ。
老眼鏡なんて、確か100均で売ってたように思うので、とりあへず何でもいいかと思って掛けてみた。 よく見える(笑)。
私の持論。 人間の体の部品、耐用年数50年論。 まだ数年あるが、徐々にあちこちガタが来るんだろうな。 目は既に来てしまった。 頭の毛は既に耐用年数を終ってる(笑)。 歯は今のところ頑強。 心臓は既にサイボーグ。 肩は全然大丈夫。 腰もOK。 なにも今のところOK(笑)。
各パーツの耐用年数は50年程度なのだが、人間の耐用年数は、日本では80年超の時代。 ここフィリピンでは、50年程度で終わりの人が多い。 これは、日頃の手入れの差。 それと、パーツの修理能力(医療)の差。 私の心臓だって、日本の病院で、保険使って、高度治療をしたもらったから、事無きを得ているだけ。 フィリピン庶民だったら、ハートアタックで死亡、40代半ば。 全く珍しくも何とも無い。
若くは無いのは自覚しているが、一層、気をつけていかないと。
自分の人生は、正直いつ終っても別にいいんだが(本音)、娘はまだ2歳。
まだまだ、一頑張りも二頑張りもしなければ。
2012年5月28日月曜日
フィリピン 汗を流して労働
昼から、スリッパーショップの模様替えをした。
新学期シーズンにあわせて、学校・仕事用の靴をコーナーにまとめて売り出すのが目的だったが、やりはじめると納得いくまで止まらないA型の私(笑)。 こうしよう、ああしようと言い出して、店員がノロノロやっているのがイライラして、自分でガンガン働いてしまった。
Tシャツがグッショリなるくらい汗かきました。でも、たまにはいいものです。一生懸命、屈んだり立ったりしながら労働していると、ストレスフリーです。 家で、料理しているより、よっぽどいいです(笑)。 愛子ちゃんも汗みどろになって、パパの邪魔をしておりました(笑)。
重装備の店とちがって、陳列物の機動性は十分。 ですから、当然のマネージメントとして、シーズンに合わせた商品陳列のやり変えは必須だと思います。 そういや、雨期・台風シーズンはスリッパーの売上が上昇する季節。 汚れちゃったり、傷んでしまったりするんですね、スリッパーが。 ここのところ、連日夕立のような雨がふってます。 今日は午前中でしたが。 乾季の終わりを感じます。 雨期、台風シーズン、そして、BERの月へ。 年後半は稼ぎ時なのかな。 稼げたらいいですが(汗)。
嫁さんも、早朝からバクラランへ仕入れに行って、午後は私と店舗の陳列作業に大汗、夕食後は店頭に立ってます。 深夜までの営業です。 頑張ってます。 仕事のあることの幸せをわかっているみたいで、店の仕事は嬉々としてやっております。 うんうん、いいことだ。
次なる商売の構想も出来つつあるんですが、全然前に進んでません(笑)。まあ、あせらず確実にやっていきます。 焦ってやると、ろくなことが無いのがフィリピン。 また軌道にのったらブログでも紹介させていただきます。
2012年5月27日日曜日
フィリピン 海外出稼ぎ・OFW の闇
”WORK ABROAD, SEX AND BAYAD”
今日買ったフィリピンの大衆新聞の大見出しです。 単語直訳すると、海外出稼・セックスで旅費 みたいなかんじです。タガログ語なので、嫁さんに読んでもらって教えてもらいましたが、ダバオにいる韓国人の男:韓国へのフィリピン人労働者斡旋者が、出稼ぎに必要なお金の払えないフィリピン人女性に、体で払うように勧めていたというものでした。
この記事をきっかけに、今日家に来ていたフィリピン人の知り合いと、OFWの実態の話しになりました。その人(女性)は、自らもシンガポールへメイドとして出稼ぎにいった経験を持ち、親戚にも友達にも、マレーシア、ホンコンなどでメイドをしていた知り合いが多いそうです。
OFWとは、オバーシーズ・フィリピノ・ワーカー。 国内に仕事が無いから他国へ働きにでるフィリピン人のことです。なぜ真ん中が F なのかわかりませんが。 PHILIPPINO だったらPですが。
このメイドとしての海外出稼ぎ労働、かなりの確立で、雇主によるセックスの強要があるみたいです。そのことをエキストラ・ジョブ等と言って、出稼ぎ労働者の間では、さも仕方の無いことのように暗黙の了解になっているみたいです。雇い主による強要なのか、合意のものか、あるいはメイドのほうから売り込んだのか、それは知りません。 でも普通に常識的に考えたら、雇主による強要の線が濃厚でしょう。
私は訪ねました。メイドの出稼ぎを希望するフィリピーナは、皆、その実態をわかった上で応募しているのかと。 答えはイエスでした。 覚悟の上の、海外メイド出稼ぎだそうです。
シンガポール、マレーシア、ホンコンなどが多いそうです。
ある人の話しを聞いただけですから、誇張もあるでしょうが、セックスサービス付きメイドが、かなりの確立で存在するのは事実のようです。
以前、大量のエンターテイナーと称するGROが日本のフィリピンパブで働いていた時代がありましたが、さすがは日本、売春の強要などは無いに等しかったようですし、客としてあちこちで遊んだ私の実感としても、日本のフィリピンパブは健全だったと思います。恋に落ちる個人行動は、色々あると思いますが。
まあ、別に驚きもしませんでしたけどね、さもありなん と思っただけです。
ここで、嫁さんの一言、
GUSTO MO BA !? ( DO YOU WANT IT !?)
はははは。
で、今までうちに来たメイドや介護士を思い出してみました。嫁さんと2人で大笑い。
デブばっかり、超おばさんばっかり、オカマあり、、、、、、
この間、23歳の女性が来たと思ったら、まるで子供(笑)。
我が家が、健全なのはあたりまえです(笑)。
はいはい、違います!
どんな美人のメイドが来ようと我が家は健全です!
はい、すいません!
今日買ったフィリピンの大衆新聞の大見出しです。 単語直訳すると、海外出稼・セックスで旅費 みたいなかんじです。タガログ語なので、嫁さんに読んでもらって教えてもらいましたが、ダバオにいる韓国人の男:韓国へのフィリピン人労働者斡旋者が、出稼ぎに必要なお金の払えないフィリピン人女性に、体で払うように勧めていたというものでした。
この記事をきっかけに、今日家に来ていたフィリピン人の知り合いと、OFWの実態の話しになりました。その人(女性)は、自らもシンガポールへメイドとして出稼ぎにいった経験を持ち、親戚にも友達にも、マレーシア、ホンコンなどでメイドをしていた知り合いが多いそうです。
OFWとは、オバーシーズ・フィリピノ・ワーカー。 国内に仕事が無いから他国へ働きにでるフィリピン人のことです。なぜ真ん中が F なのかわかりませんが。 PHILIPPINO だったらPですが。
このメイドとしての海外出稼ぎ労働、かなりの確立で、雇主によるセックスの強要があるみたいです。そのことをエキストラ・ジョブ等と言って、出稼ぎ労働者の間では、さも仕方の無いことのように暗黙の了解になっているみたいです。雇い主による強要なのか、合意のものか、あるいはメイドのほうから売り込んだのか、それは知りません。 でも普通に常識的に考えたら、雇主による強要の線が濃厚でしょう。
私は訪ねました。メイドの出稼ぎを希望するフィリピーナは、皆、その実態をわかった上で応募しているのかと。 答えはイエスでした。 覚悟の上の、海外メイド出稼ぎだそうです。
シンガポール、マレーシア、ホンコンなどが多いそうです。
ある人の話しを聞いただけですから、誇張もあるでしょうが、セックスサービス付きメイドが、かなりの確立で存在するのは事実のようです。
以前、大量のエンターテイナーと称するGROが日本のフィリピンパブで働いていた時代がありましたが、さすがは日本、売春の強要などは無いに等しかったようですし、客としてあちこちで遊んだ私の実感としても、日本のフィリピンパブは健全だったと思います。恋に落ちる個人行動は、色々あると思いますが。
まあ、別に驚きもしませんでしたけどね、さもありなん と思っただけです。
ここで、嫁さんの一言、
GUSTO MO BA !? ( DO YOU WANT IT !?)
はははは。
で、今までうちに来たメイドや介護士を思い出してみました。嫁さんと2人で大笑い。
デブばっかり、超おばさんばっかり、オカマあり、、、、、、
この間、23歳の女性が来たと思ったら、まるで子供(笑)。
我が家が、健全なのはあたりまえです(笑)。
はいはい、違います!
どんな美人のメイドが来ようと我が家は健全です!
はい、すいません!
2012年5月26日土曜日
フィリピン 介護生活は成功だったのか?
母が死んで1週間が経ちました。 初七日は昨日なのかな、今日なのかな。完全に宗教色を排して行ったフィリピンでの母の見送りでしたので、日本で納骨の時に、ボンさん読んで法要をとりおこなうことになりました。フィリピンにいる私は出来ませんので、兄弟が万時段取りしてくれることになってます。
母が急にいなくなって、入浴などの毎日の大騒ぎイベントが必要なくなり、何とも静かな、喪失感が漂っています。これで、愛子ちゃんの騒ぎ声が無かったら、本当に寂しさもひとしおのことでしょう。
突然の終わりを迎えた、フィリピンでの母の介護生活。 振り返っても仕方のないことですが、私の発案に親父が賛同して始まった異国での介護生活。 どうだったんでしょうね。 確実に言えるのは、母の寿命というか運命は、日本にいてもフィリピンにいても、ここまでだったんだろうなとは思います。胆石が発端の肝臓障害ですから、日本だとかフィリピンだとか関係ないですものね。
そんなことより、母にとって良かったのかどうか。。。。。
親父や私、そして日本にいる私の兄弟にとって良かったのは間違いありません。自分が自ら手を下す介護からは開放されて、少ない少ない年金で人を雇って、世話してもらって生活が送れたのですから。しかし、母自身は、そんなことを有難いと思うより、日本への郷愁が強くなってしまって、幸せを感じることなんて無かったんじゃないかと思ってします。 かと言って、日本にそのまま居れば、幸せだったかというと、フィリピン以上に、不幸だったと思います。
結局、、、、6年前か7年前か忘れたが、母が脳卒中で倒れて半身麻痺及び若干の知的障害を負ってしまったときに、母が幸せになる道は無くなってしまったのだと思う。 おそらく、あの世にいる母の記憶に、脳卒中以降の辛い記憶は無いのではないかと思います。
絶望的な状況の中で、せめてもの、ベストの選択をしたと思いたい。 フィリピンに来なかったら、もっと悲惨な状況だったと思う。
成功か、失敗か、、、なんて今更どうでもいいことだが、
これでよかったんだと、、そう思っておこう。
母が急にいなくなって、入浴などの毎日の大騒ぎイベントが必要なくなり、何とも静かな、喪失感が漂っています。これで、愛子ちゃんの騒ぎ声が無かったら、本当に寂しさもひとしおのことでしょう。
突然の終わりを迎えた、フィリピンでの母の介護生活。 振り返っても仕方のないことですが、私の発案に親父が賛同して始まった異国での介護生活。 どうだったんでしょうね。 確実に言えるのは、母の寿命というか運命は、日本にいてもフィリピンにいても、ここまでだったんだろうなとは思います。胆石が発端の肝臓障害ですから、日本だとかフィリピンだとか関係ないですものね。
そんなことより、母にとって良かったのかどうか。。。。。
親父や私、そして日本にいる私の兄弟にとって良かったのは間違いありません。自分が自ら手を下す介護からは開放されて、少ない少ない年金で人を雇って、世話してもらって生活が送れたのですから。しかし、母自身は、そんなことを有難いと思うより、日本への郷愁が強くなってしまって、幸せを感じることなんて無かったんじゃないかと思ってします。 かと言って、日本にそのまま居れば、幸せだったかというと、フィリピン以上に、不幸だったと思います。
結局、、、、6年前か7年前か忘れたが、母が脳卒中で倒れて半身麻痺及び若干の知的障害を負ってしまったときに、母が幸せになる道は無くなってしまったのだと思う。 おそらく、あの世にいる母の記憶に、脳卒中以降の辛い記憶は無いのではないかと思います。
絶望的な状況の中で、せめてもの、ベストの選択をしたと思いたい。 フィリピンに来なかったら、もっと悲惨な状況だったと思う。
成功か、失敗か、、、なんて今更どうでもいいことだが、
これでよかったんだと、、そう思っておこう。
2012年5月25日金曜日
フィリピン イライラ いつなんだ!!!
久しぶりのイライラシリーズ。
フィリピン人と接していると感じること。
彼らには、 『When』(英語) 、 『いつ』(日本語) の概念が、かなりのレベルで欠落していると思います。 これが、私の嫁さんも含めてですから始末が悪い。
例えば、こんな会話。
私 『今日来る約束の彼は、いつ来るの?』
嫁 『いま田舎にいるって。』
私 『あのね、どこにいるかはきいてないの。いつくるの?』
嫁 『田舎から帰ってきたら。』
私 『だから、それはいつ?』 イライラ イライラ
嫁 『知らない』
私 『さっき電話で話したんでしょ、いつ帰るかきいてないの?』
嫁 『まだ子供の学校の用事あるって。』
私 『だからね、いつ帰るか、聞いたの?聞いてないの?』 イライラ ブチッ
彼が、どこにいようが、何の用事があろうが、私は興味ないし、聞いてないの。 ただ一言、いつなのか、日付と時間を言ってくれたらいいのに、会話がかみ合わない。
嫁さんの名誉のために、これは嫁さんばかりではない、確実にフィリピン人全般に言える。話しの中に、あるいは段取りの中に、『When』(英語) 、 『いつ』(日本語) の概念が入らないことが多い。
何時か?、何てどうでもいいのか。 段取り、調整で一番大事なポイントだと思うのは、私、日本人だけか。
私 『おい、貸した金の期限過ぎたぞ、いつ返す?』
友人 『娘の学校のお金を払ったばかりなんです・・・・・』
私 『何の話しや、お前の娘の学校はどうでもいい、いつ返すの?』 イラ
友人 『学校のお金高いんです・・・・』
私 『学校の話しは私には関係ない! いつ返せるの?』 イライラ
友人 『お金があったら、すぐ返します・・・・』
私 『だから!それはいつだ!』 ブチッ ブチッ
友人 『すぐです、お金があったらすぐ返しに行きます』
私 『(スゴイ・・文字通り話しにならん・・・・・) 』
これは、確信犯だと思えますが、そうでもないんです。一生懸命、答えているのです。いつ?という問いかけに、日時を答えるという頭脳回路は持ち合わせていないようです。
(2年前、母の入院中)
私 『明日、感染症の専門の先生が来るのですが、いつ来られますか?』
受付 『明日来ますよ。』
私 『明日の、いつですか?』
受付 『明日スケジュール入ってますから。』
私 『明日の、何時頃ですか?』
受付 『そこまでは、わかりません。』 (うんざりした顔で言いやがった)
私 『せめて、朝なのか昼なのか午後なのか夕方なのか・・・・・』
受付 『明日来ますから、心配しないで。』
彼らの、 『いつ』 調整最小単位は、日のようです。その日の何時という調整は、彼らの許容範囲を超えるくらい精密すぎることのようです(笑)。
患者は、いつ来るかわからない先生を、朝からずっと待っているらしいです。私には出来ませんでした。
こっちにも段取りというのもがあるの!
『だから、それは いつだ!!!!!』
フィリピン人と接していると感じること。
彼らには、 『When』(英語) 、 『いつ』(日本語) の概念が、かなりのレベルで欠落していると思います。 これが、私の嫁さんも含めてですから始末が悪い。
例えば、こんな会話。
私 『今日来る約束の彼は、いつ来るの?』
嫁 『いま田舎にいるって。』
私 『あのね、どこにいるかはきいてないの。いつくるの?』
嫁 『田舎から帰ってきたら。』
私 『だから、それはいつ?』 イライラ イライラ
嫁 『知らない』
私 『さっき電話で話したんでしょ、いつ帰るかきいてないの?』
嫁 『まだ子供の学校の用事あるって。』
私 『だからね、いつ帰るか、聞いたの?聞いてないの?』 イライラ ブチッ
彼が、どこにいようが、何の用事があろうが、私は興味ないし、聞いてないの。 ただ一言、いつなのか、日付と時間を言ってくれたらいいのに、会話がかみ合わない。
嫁さんの名誉のために、これは嫁さんばかりではない、確実にフィリピン人全般に言える。話しの中に、あるいは段取りの中に、『When』(英語) 、 『いつ』(日本語) の概念が入らないことが多い。
何時か?、何てどうでもいいのか。 段取り、調整で一番大事なポイントだと思うのは、私、日本人だけか。
私 『おい、貸した金の期限過ぎたぞ、いつ返す?』
友人 『娘の学校のお金を払ったばかりなんです・・・・・』
私 『何の話しや、お前の娘の学校はどうでもいい、いつ返すの?』 イラ
友人 『学校のお金高いんです・・・・』
私 『学校の話しは私には関係ない! いつ返せるの?』 イライラ
友人 『お金があったら、すぐ返します・・・・』
私 『だから!それはいつだ!』 ブチッ ブチッ
友人 『すぐです、お金があったらすぐ返しに行きます』
私 『(スゴイ・・文字通り話しにならん・・・・・) 』
これは、確信犯だと思えますが、そうでもないんです。一生懸命、答えているのです。いつ?という問いかけに、日時を答えるという頭脳回路は持ち合わせていないようです。
(2年前、母の入院中)
私 『明日、感染症の専門の先生が来るのですが、いつ来られますか?』
受付 『明日来ますよ。』
私 『明日の、いつですか?』
受付 『明日スケジュール入ってますから。』
私 『明日の、何時頃ですか?』
受付 『そこまでは、わかりません。』 (うんざりした顔で言いやがった)
私 『せめて、朝なのか昼なのか午後なのか夕方なのか・・・・・』
受付 『明日来ますから、心配しないで。』
彼らの、 『いつ』 調整最小単位は、日のようです。その日の何時という調整は、彼らの許容範囲を超えるくらい精密すぎることのようです(笑)。
患者は、いつ来るかわからない先生を、朝からずっと待っているらしいです。私には出来ませんでした。
こっちにも段取りというのもがあるの!
『だから、それは いつだ!!!!!』
2012年5月23日水曜日
フィリピン 死亡後の流れ
病院にて病死、フィリピンで火葬、日本へ持ち帰り・・・という一般的なケース(もちろん死因に何の事件性も無い)ですので、諸手続きの流れを書いてみたいと思います。
●看取り、死亡確認
●病院発行の死亡証明書(Certificate of Death)受け取り。主治医、病院発行者、私(遺族)のサインあり
●病院にて会計を済ませる。済まないと病院から出られません。
●遺体は病室を出て、安置室(フリーザー)で待機、迎えを待つ。
※病院、ドクターの仕事はここまでですから、次は葬儀屋の手配です。
●メモリアルパーク(火葬場併設)の事務所に行って交渉。私がお願いしたメモリアルパークでは、全て込み込みのパッケージプライスを提示されました。家族の意向によっては、必要なもの必要でないものがあると思いますので要確認です。しかし、大概、時間はないし、気は動転してるし、値段交渉などしている余裕はありません。ですから、不謹慎でも、生前に急な事態が予測されるなら、万一に備えて、先行して相談しておくことはいいかもしれません。
(今回葬儀屋のしてくれたこと) 130000ペソのパッケージ
・遺体の搬送 病院→メモリアルパーク 救急車型ライトバン
・死後処理 ホルマリン・死化粧・衣装着替え・棺桶への安置
・棺桶、骨壷は全てパッケージに含まれます
・遺体の搬送 メモリアルパーク→自宅 救急車型ライトバン
・自宅内に安置 白カーテンや、照明、カーペット、記帳台など全て設置
・遺体の搬送 自宅→メモリアルパーク 霊柩車
いわゆる出棺です、母の好きだった音楽を鳴らしながらゆっくり進みます
・火葬 待合室で最後の別れ、焼却炉に入るまで見送りました
火葬は、2時間程度で完了。遺骨拾いはありません。
完全に遺灰になって出てきます。
・骨壷 遺灰を骨壷へ、メモリアルパークの綺麗な袋で包んでくれます。
(葬儀屋で受け取る書類)
●火葬証明書(Certificate of Cremation)
●市役所のスタンプのある公式死亡証明書(Certificate of Death)
※市役所への届出は葬儀屋がやってくれましたが、役所の処理が通常なら3-4日要するらしいです。今回は帰国が翌日でしたから、特別にプッシュして、自ら役所に出向いてゲットしました。スケジュール要確認です。
(利用した葬儀屋)
Loyola Memorial Chapels & Cremation (LMCCI Sucat)
sucat rd, Brgy BF Sucat, Paranaque City ℡826-7014
※高いか安いかはわかりませんが、
日本人の納得のいく仕事(迅速さ、マナー、清潔さ等)をしてくれました。
※葬儀屋の仕事はここまで、次は帰国の段取りです。
●死亡証明書の翻訳 日本の役所で要りますが、フィリピン現地では不要でした
(日本大使館にて帰国の手続き)
●母の遺骨・死亡証明書(市役所受付済み)・火葬証明書・故人のパスポート
以上が必要書類でした。
●中身の検査・壷の封印
●『遺骨証明書』 の受け取り(帰国時の最重要書類)
壷の中身は遺骨だけであるという日本大使館のお墨付きです。
これがないと空港で荷物検査で空けられて、かき回され、大騒ぎになって、多分帰国出来ないでしょう。
●故人のパスポートの抹消処理
●大使館の受付が平日の15時半までですの要注意。私は遅れそうだったので16時半まで待って頂きました。
(いざ帰国の途へ NAIAへ)
骨壷を預ける人いませんから、機内持ち込み手荷物です。日本大使館発行の 『遺骨証明書』は、何回も提示を求められます。 空港ビルに入るとき、チェックインカウンター、イミグレーション、搭乗ゲート前のボディチェック。
無事、機内へ。
●看取り、死亡確認
●病院発行の死亡証明書(Certificate of Death)受け取り。主治医、病院発行者、私(遺族)のサインあり
●病院にて会計を済ませる。済まないと病院から出られません。
●遺体は病室を出て、安置室(フリーザー)で待機、迎えを待つ。
※病院、ドクターの仕事はここまでですから、次は葬儀屋の手配です。
●メモリアルパーク(火葬場併設)の事務所に行って交渉。私がお願いしたメモリアルパークでは、全て込み込みのパッケージプライスを提示されました。家族の意向によっては、必要なもの必要でないものがあると思いますので要確認です。しかし、大概、時間はないし、気は動転してるし、値段交渉などしている余裕はありません。ですから、不謹慎でも、生前に急な事態が予測されるなら、万一に備えて、先行して相談しておくことはいいかもしれません。
(今回葬儀屋のしてくれたこと) 130000ペソのパッケージ
・遺体の搬送 病院→メモリアルパーク 救急車型ライトバン
・死後処理 ホルマリン・死化粧・衣装着替え・棺桶への安置
・棺桶、骨壷は全てパッケージに含まれます
・遺体の搬送 メモリアルパーク→自宅 救急車型ライトバン
・自宅内に安置 白カーテンや、照明、カーペット、記帳台など全て設置
・遺体の搬送 自宅→メモリアルパーク 霊柩車
いわゆる出棺です、母の好きだった音楽を鳴らしながらゆっくり進みます
・火葬 待合室で最後の別れ、焼却炉に入るまで見送りました
火葬は、2時間程度で完了。遺骨拾いはありません。
完全に遺灰になって出てきます。
・骨壷 遺灰を骨壷へ、メモリアルパークの綺麗な袋で包んでくれます。
(葬儀屋で受け取る書類)
●火葬証明書(Certificate of Cremation)
●市役所のスタンプのある公式死亡証明書(Certificate of Death)
※市役所への届出は葬儀屋がやってくれましたが、役所の処理が通常なら3-4日要するらしいです。今回は帰国が翌日でしたから、特別にプッシュして、自ら役所に出向いてゲットしました。スケジュール要確認です。
(利用した葬儀屋)
Loyola Memorial Chapels & Cremation (LMCCI Sucat)
sucat rd, Brgy BF Sucat, Paranaque City ℡826-7014
※高いか安いかはわかりませんが、
日本人の納得のいく仕事(迅速さ、マナー、清潔さ等)をしてくれました。
※葬儀屋の仕事はここまで、次は帰国の段取りです。
●死亡証明書の翻訳 日本の役所で要りますが、フィリピン現地では不要でした
(日本大使館にて帰国の手続き)
●母の遺骨・死亡証明書(市役所受付済み)・火葬証明書・故人のパスポート
以上が必要書類でした。
●中身の検査・壷の封印
●『遺骨証明書』 の受け取り(帰国時の最重要書類)
壷の中身は遺骨だけであるという日本大使館のお墨付きです。
これがないと空港で荷物検査で空けられて、かき回され、大騒ぎになって、多分帰国出来ないでしょう。
●故人のパスポートの抹消処理
●大使館の受付が平日の15時半までですの要注意。私は遅れそうだったので16時半まで待って頂きました。
(いざ帰国の途へ NAIAへ)
骨壷を預ける人いませんから、機内持ち込み手荷物です。日本大使館発行の 『遺骨証明書』は、何回も提示を求められます。 空港ビルに入るとき、チェックインカウンター、イミグレーション、搭乗ゲート前のボディチェック。
無事、機内へ。
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