2012年1月8日日曜日

フィリピン コネクションを自慢する輩

『大丈夫、私のお父さんの友達は、メイヤーの友達だから。』

『任せなさい。私の友達のお姉さんは、バランガイキャプテンの秘書だから。』

『私の従兄弟はポリスの偉いさんだから。』

『このビジネスは凄い。バイスメイヤーに話してあるから。』


 てな具合で、訳の分らない人脈コネクションを、さも凄いことのように自慢する輩が多いです。 これは私がまだ単なる旅行者の時から感じていたことです。フィリピン人だけではなく、怪しげな在フィリピン邦人にもこういう人が多い。

 コネが物を言う社会であることは事実でしょう。日本人の正常の感覚から言えば、例え市長の友達であっても、それがどうしたということになる。ルールはルール、法律は法律、黒のものを白には出来ないでしょうし、そんなことしてはいけないでしょう。 これが普通の感覚。

 でもここフィリピンでは、本当に有効なコネクションがあれば、黒を白にしてしまうことが出来るようです。当然、袖の下という金が必要なことは言うまでもありませんが。 いや、逆に多額の袖の下が出せる人には、そういうコネクションが向こうからやってくるのかもしれませんね。

私はその手の話しが大嫌い。

理由は、何の役にも立たない場合が多い。
そして、危ない臭いのするところには決して近づかないのが、フィリピン生活の信条だからです。

日本に居る時は、危ない話し程、儲けが大きいなんて考えて、無茶してたこともありますが(笑)。ここでは、私は異邦人。 君子危うきに近寄らず、です。

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(実際に使ったことがあるコネ)

実にくだらないコネばかりですが(笑)、一応有効だった経験です。

◎嫁さんの友達=MMDAの隊長クラスのEさん

 2回助けてもらいました。車運転中に違反で止められたときです。そのEさんは、そこらの路上にウロウロしている交通取締り官からすると、 『YES SIR!!!!』 となるくらいの人らしいです。違反切符を切られるところが、その場の電話一本で、100ペソの手数料で終わりになりました(大笑)。


◎私の知り合いの日本人の方の嫁さん=市役所の婚姻係のスタッフと懇意

 これは助かりました。当地で超ややこしい結婚手続きが実にスムーズ。あちこちで待たされたもありませんでした。当然、必要書類はキチンとしましたが、いわゆる超特急処理というやつで、優遇して頂きました。そのお姉さんへの袖の下は、1000ペソを2回くらいだったと思います(笑)。


◎嫁さんの幼馴染=LTO(陸運局)の職員

 LTOは待ち時間の長いことで悪名がとどろくところですが、お陰で私はLTOで待った経験がありません(笑)。免許の発行も、更新も、単車の届出も、実にスムーズに終ります(大笑)。 袖の下は、500ペソくらいだったかな。 これは安いと思った(笑)。

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まあ、このくらいに話しだったら笑いで済みますね。
これくらいにしておくのが、安全に生きるコツですよ。ここでは。

2012年1月7日土曜日

フィリピン 久々に凄い光景を見た

  昨日のこと。 単車を飛ばして1人で、キアッポに行きました。 正確にいうとキアッポの隣の、ビノンドにあるチャイナタウンに用事があったのです。 その用事は、関係ありません。

  帰りのこと。 ロハス通りを南へ向ってはしっていて、信号で止まったのです。 

 ふと、右の路側を見ると、乞食がいます。 

 汚い汚い、ほこりと砂だらけのコンクリートの上に、幼児が全裸でうつ伏せで寝ています。体の大きさからして、2歳未満でしょう。 お尻をこちらに向けて、顔をコンクリートに直につけて、寝ています。 寝ていると思います。 死んでいるのかもしれません。

 その傍らには、はっきり狂人の相が見える母親と思われる女性が、座っています。服というより、ボロキレをまとっています。顔は真っ黒です。

 さらには、寝ている子供の兄弟と思われる小さな子供が、これまたボロキレをまとって泣き叫んでいます。年のころ3歳くらいでしょうか。

 そして、母親に話しかけている男が1人。 これは何者か分りません。信号の停車中の時間しかありませんでしたから。

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以上が見た光景です。

寝ていた子供ですが、不思議と痩せていないのです。 むき出しのお尻しか見えませんでしたが、丸々とした幼児のお尻でした。

うちの愛子と同じくらいの年恰好に思えたので、余計に印象に残りました。

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何で、こんな子供がこの社会にいるのでしょうか?

別に、ここフィリピンでは珍しくも何とも無いです。 ただ、私が久しぶりに凄い光景を目撃しただけです。 昔、旅行者として、マビニ等を徘徊していた時は、よく見かけたのですが。 それにしても、ここまでひどい子供の寝姿は初めてです。 路上で寝ていても、母に抱かれていたり、ダンボールや新聞紙を下に敷いていたりしたものです。

お金が無いからですか。。。。。。。。。。。

ここフィリピンにあるのは、経済的困窮のみ。 経済的に困窮していても、餓えはありません。コンクリートに突っ伏していた子供も、決して食べていない体ではなかったです。

自然に思いっきり恵まれた、フィリピンは飢えとは無縁です。

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何で、あんなに可哀想な子供がいるのだろうか?

それも母親と一緒に居ながら。。。。。。。。

バイクを飛ばしながら、考えがめぐりました。

フィリピンは共産主義にしてしまえばどうか。

どうせ、怠け者が多いんだし、貧富の格差は凄いし、金が万能の汚職社会だし、子供の命も金次第、、、、そんな社会だったら、いっそ金の重要性を無くしてしまえばいい。

自由競争の資本主義というのは、個々の会社や個人が一生懸命、経済活動をして初めて全体として発達する。 アダムスミスの見えざる手は、個々が一生懸命活動しない社会では、機能しないのだ。ここフィリピンは、自由な資本主義の良い面は見られない、醜い面ばかりが見える。 私的所有の無い、国民全部が怠け者になる共産主義が一番適しているのじゃないか?この国は。


大人はどうでもいい。 大人の乞食は蹴飛ばしたくなる。

でも子供はダメだ。子供には、守ってもらう権利がある。子供には庇護をうける権利がある。何よりも優先する、地球上全ての子供に共通の最強の基本的人権です。

それを守れない社会は、社会じゃない。

フィリピン 介護生活を考える 序章

 
 このブログ、日常のしょうもない話題ばかりで、肝心の本題にあまりふれていません。

  我が家は、左半身麻痺の母親、右足歩行障害の父親。 2人の日本人老夫婦を介護しています。 昨年末で、フィリピンに来て満2年になりました。 これから何年あるいは何十年この介護生活が続くのかは、神のみぞ知る、ですが、とりあへず2年間、フィリピンで過ごしてこれたということは、見切り発車した異国での介護生活は、成功していると判断していいのではないかと思ってます。

◎母親の状態

くも膜下出血の後遺症による左半身麻痺、及び記憶・知的・情緒障害です。 歩くことはおろか、立ち上がることも1人では全然出来ません。 寝たきりではなく、座位は保つことが出来ます。 頭のほうは、普通に話しも出来ますし、一見問題ないようにみえるのですが、新しい記憶が入りにくくなっていることと、情緒が非常に不安定で、突然泣き出して叫んだり、夜間せん妄があります。74歳。

◎父親の状態

大動脈瘤手術の合併症の脳梗塞による、右足の障害。歩くことはかろうじて出来ます。足を引きずりながら、杖あるいは歩行器につかまりながら、足を引きずりながら、ゆっくり歩けます。頭のほうは以前と変わっていません。73歳。


この両親2名を抱えて、何処の施設にも入らず、一から生活をここフィリピンマニラで立ち上げてきました。最初の半年ほどは悪戦苦闘の日々でしたが、今はもう落ち着いて、大過なく毎日を過ごせています。

両親の体の状態は、よくはなりませんが、現状をしっかり維持できていると思います。

自分で言うのもなんですが、色々と人のしない経験をしてきたと思います。

ブログでそれにあまり触れなかったのは、書きたいことがありすぎて、頭が整理できなかったからです。今後は順番に少しずつ、フィリピンにおける介護生活の実体験に基づいた、私の所感をゆっくり語って行きたいと思ってます。



序にかえて、

結論。

フィリピンの介護生活は、

十分にやっていける。
でも、やっていける条件を満たせる人は少ないであろう。

最大の問題は、

ホームシック。

2012年1月5日木曜日

フィリピン生活 通常営業です

  
  今日はもう新年5日。 クリスマス、NEW YEARとイベントも終わり、我が家の愛子ちゃんもすっかり元気になり、年末年始、うちに来ていた義母も帰り、いつもの普通の生活にもどってます。

  今の日本では、正月でも普通の生活をする人が多いので、小売店でも元旦に休業するところは、近所の商店街くらいのもので、何も不便を感じたことはないのですが、こちらのクリスマスや元旦はスーパーなどでも閉まっていたり、営業時間を大幅に変更していたり、気をつけないと不便を感じることが多いです。

  とにもかくにも、嫌なシーズンが終った。

  終ったとたんに、カンカン照り、やたら暑いマニラです。

2012年1月2日月曜日

フィリピン 正月から散々な日です。

  
  昨日の夕方から、愛子ちゃんが激しい下痢と発熱。 夜には熱が39、4度まで上がったので、近くのパラニャケメディカルセンターの緊急室に連れて行った。 今日は珍しく、元旦にもかかわらず、小児科の先生がいてくれて助かった。 ウンチのラボラトリーまでして、何かのばい菌を口にしたみたいで、まあ、激しくお腹を壊したという症状でした。 そんなことは初めから予測がついているのですが、薬を買うには、医者の処方箋がいりますし、検査をしないと処方箋は出ませんし、仕方ないですね。 全部終ったのは夜の2時でした。 

  今日は、症状は大分回復したのですが、下痢のせいで、おしりがかぶれて、可哀想。 イタイ・イタイと日本語で泣き叫ぶ愛子でした。 一日、看病にかかりきりみたいな正月2日目ででした。

  今は熱も引き、楽になったみたいで、すやすや寝てます。
なかなか華々しい新年のスタートをきってくれるわい、愛子様(笑)。



  元旦の夜、愛子のおしりふきを買いに、24時間オープンのマーキュリードラッグに行ったのですが、なんと40人待ち。 閑散とした元旦の夜なのですが、マーキュリードラッグの前だけ人があふれかえっていました。 他の店が早仕舞いしていることと、当のマーキュリードラッグも、限られた店員の出勤で対応しているためと思われますが、それにしても、ウンザリでした。

 明日は元気ないつもの愛子ちゃんにもどってますように!

2012年1月1日日曜日

フィリピン生活 壮大な私の夢

 元旦です。夢を語りましょう。前を向いていきましょう。
人間、自分の10年後なんてわかりません。10年となると生きているかどうかも分らない。 5年もちょっとながすぎる。 でも、せめて3年後くらいは、自分はこうなっていたいというイメージは持ってないといけませんね。 そのイメージがあるから、今日という日の過ごし方の方向性が決まるわけです。 細々としたことの判断の基準ができるわけです。

 ということで、私の3年後の壮大な夢を。

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住まいはメトロマニラもしくは近郊。
一戸建てもしくはタウンハウス。小さい家だけど綺麗。
ローンは組まずキャッシュで買った。嫁さん名義。
もう嫁さんに付いていくしかない(笑)。 

仕事は嫁さんの商売の手伝い。
ただ、入出金管理だけは自分で行う。帳面付けが私の仕事。

朝一番の日課は、愛娘の愛子を幼稚園へ送っていくこと。
車はトヨタのヴィッツ(フィリピン名ヤリス)。
私はもう少し大きい車が欲しかったが、嫁さんの希望でヴィッツ。
たまに天気のいい日は、自慢の自家用トライシクルで送って行く。
昼前に迎えに行く。
昼飯は親子3人一緒に家で食べる。

午後からは自分の時間。
私の小遣いは1日100ペソ。
毎日サリサリストアで買い物。タバコ・飲み物・お菓子。
玄関先のリクライニングチェアに座って本を読む。
愛子が遊んでとうるさい。
近所の暇な友達連中が、やって来る。
うるさいので2階のベッドルームに逃げ込む。
うとうとしたら夕方。

嫁さんは店に行く時間。
夜飯のクッキングは私の仕事。
3人で市場で買い物して、嫁さんは4店舗の見回りへ。
愛子と2人で家に帰ってクッキング。
出来上がったら、テレビを見ながらママの帰りを待つ。
また、3人一緒に晩御飯。

週末は外食します。
嫁さんが好きなジェリーズグリルが多いです。

義母は毎週のように訪ねて来ます。
悪かった親子関係も良好です。

嫁さんの兄貴2人は、何とか自活しているようです。
それぞれ、理容師とセキュリティガードの仕事があります。

私は日本への退路を断ちました。
万一のために医療保険はフィリピンで入ってます。

小さな小さなものですが、絵に描いたような幸せがここにあります。

フィリピンより 謹賀新年

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

朝霧がかかって、COOLな初日の出
昨夜の花火の煙ではありません